odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「死の家の記録」(河出書房)-1 収容所体験者はしゃべることで心的なストレスから解放される。

新進作家として順調な創作を行ってきたが、ペトラシェフスキーの主宰する空想社会主義サークルに参加していたために、28歳の1849年に逮捕。1854年までシベリアで服役し(流刑になるまでの経緯は重要かつ劇的であるがここでは省略)、軍隊に勤務する。1858年にペテルブルクに帰還し、創作を再開する。「伯父様の夢」「スチェパンチコヴォ村とその住人」1859年に書いた後、1860年に「死の家の記録」を発表する。
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 「死の家の記録」は妻を殺害したためにシベリア流刑になった貴族が記録したメモを「わたし」が編集したものだという体裁になっている。作者が思想犯として収監されていたので、自分の体験をそのまま記録にすることは危険であると考えたので、このような設定にしたのだろう。実際、本文にはいってからは、この貴族の犯した犯罪に対する言及はない。囚人においては、何をしてきたかの詮索はしない暗黙のルールがあったようで、監獄の暮らしを記録するうえで、犯罪歴を書く必要はなくてもよい(日本の娯楽監獄映画、網走番外地シリーズなど、でも登場人物が何をして入獄することになったたかはほとんど描かれないのだ)。
 この小説を読んでいる間に思ったのは、この小説を書く意図はどこにあったかということ。そうすると、20世紀の収容所体験の記録を思い出す。そこではあまりに厳しい経験をして帰還したとき、厳しさの体験が他人に理解されないので、おしゃべり(というか一方的なまくしたて)をする。しゃべることで心的なストレスから解放されるのだ。フランケル「夜と霧」高杉一郎「極光のかげに」大岡昇平「俘虜記」などを思い出す。彼らもドスト氏と同じく過酷な収容体験後に帰還して、それぞれの体験をしゃべり、文章化した人たちだった。
 「死の家の記録」は、発表に至る経緯をかいたエピローグと、第1部と第2部からなる。第1部は監獄の中のこと、第2部は監獄の外のことをかいているとおおまかに分けることができる。書き手の「わたし(アレクサンドル・ペトローヴィチ)」は貴族として入獄する。貴族の囚人は少なくはないが、圧倒的には農民、市民、流浪人、兵士など。すなわちここで社会の全構成員が平等な資格で、集団生活を送ることになる。彼らは看守や兵士に監視されているわけであるが、さらに囚人服を着ていて、足枷をはめ、さらには頭の半分を剃られる。外見を一般民と変えることによって、彼らは社会の中では目立ち(この監獄は町はずれにあるが、囚人が街中を通ることがあるのだ)、社会から疎外されていることをつねに意識させるようになっている。囚人は自由を渇望するが、それはかなわないので空想するしかない。監獄の暮らしは単調で退屈(なので、ときどきある祭は楽しみになり、クリスマスの芝居上演に囚人は熱狂する)。恵まれた食事と緩い労働であったアメリカの俘虜収容所を描いた大岡昇平「俘虜記」を同じような体験、心理を描く。
 囚人であっても、外部との接触がまったくできないわけではなく、外での労働の移動では町の人を見かけることがあり、町の住民のなかにはパンや軽食などを売りに来ることもある(監獄に私物の持ち込みは禁止されているが、かれらはいろいろ算段して持ち込み、闇のマーケットを作っている)。優れた職人は町の人の依頼で工芸品を作ったり、ペンキ塗りなどの軽労働をすることもある。なにより監獄の外に出たものは町の酒屋から酒を買って(豚や牛の腸に詰め込み、体に巻き付ける)、監獄に持ち込んだりもする。監獄の中には闇屋や高利貸しの親分がいて、それらを高額で販売したりする。賭博はつねに行われている。このような19世紀の監獄を見ると、外見のほかは町の住民と差がないように見える。
(ドスト氏にすれば、囚人だって人間である、せめて人間らしい扱いにせよ、汝の兄弟なのだからというメッセージを込めていて、罪人であっても人間らしい振る舞いをすることを説明しているのである。ところが、このようないいかげんさは20世紀の収容所にはまったくなくなる。19世紀の囚人がぶつぶつ言う食事の記述も、ソルジェニツィン収容所群島」になると御馳走がひんぱんに出てくるように思われる。なにより、囚人たちが楽しんだ芝居や祭りのような祝祭の感覚はないのだ。20世紀の収容所の囚人と同じく、書き手のアレクセイは収監を生き延びるためには目的と希望を持てと忠告するのだが、フランケル高杉一郎のような切実さには欠けているように思える。それくらいに20世紀の収容所や監獄は非人道的なものになった。
 ドスト氏の思惑を超えた非人道さが実現した。より徹底した20世紀の不寛容に対して、ドスト氏の「地下室」の思考(絶望やペシミズム、シニシズムなど)は対抗しうるだろうか。)


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 作曲家レオス・ヤナーチェクがオペラにした。小説のいくつかのシーンを抜粋して再構成したもの。

 

2020/02/07 フョードル・ドストエフスキー「死の家の記録」(河出書房)-2 1860年
2020/02/06 フョードル・ドストエフスキー「死の家の記録」(河出書房)-3 1860年