odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」(旺文社文庫) 序文からして回顧調でエピローグでも楽しい時代は終わってしまったという幻滅や悲哀の感情が漂っている。

 最初に読んだのは小学館のカラー版名作全集「少年少女 世界の文学」イギリス編で。スティーブンソン「宝島」「ベオウルフ」も載っていた。
たぶん小学1年の5歳の時(早生まれなので)。子供のころから理屈っぽいのが好きで、論理や合理がしっかりしているものでないと繰り返し読むことはなかった(このblogのエントリーを見ればわかるでしょう)。なので、理窟っぽいけど、論理の展開がずらされる「不思議の国のアリス」はあまり興味をひかなかったと思う。mad tea partyのようなどたばた、はちゃめちゃもあの頃は好みじゃなかったし、「首をちょん切れ」と叫ぶハートの女王や侯爵夫人の残虐趣味もちょっとね。
 次に読んだのは、高校のときでそれまで読んでこなかった「鏡の国のアリス」を読むために一緒に文庫本を買ったあと。記憶があいまいだけど、あの頃(1970年代)「アリス」の文庫本は旺文社と講談社しかなかったと思う。

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 自分は挿絵がテニスンであることを理由に、旺文社版を選んだ。いまではさまざまな訳者で、さまざまな挿絵画家による「アリス」は出版されているが、手に取る気があまりしない。たいていの場合、挿絵が気に入らないから。テニスンでない挿絵だと、画面が明るく、アリスも他の人物も無邪気でかわいいものになっている。そういう話ではないのだよなあ、と思うのだ(だから翻訳の質をチェックするまでにいたらない)。だって、アリスは体が大きくなったり、小さくなったり、部分的におおきくなったり、人や動物に会うたびにわけのわからないことを質問されたり、理不尽な命令を聞いたりしているじゃない。まともなコミュニケーションのできない相手と会話をするというのはすごくエネルギーのいることだし、不条理な世界から脱出する方法はみつからなくて放浪するばかりだし。ビクトリア朝時代の貴族か有産階級の子供だから礼儀正しく、丁寧な受け答えをするようしつけられているのだが、アリスの感情は浮かれていないと思うよ。最初の挿絵画家のテニスンもそう感じたのか、彼の描くアリスは、不機嫌そうで、困惑してばかりいる。
(あと多くの挿絵はテニスンから抜けようとしてもなかなか抜けられない。たとえばチェシャ猫のニタニタ笑いとか、チョッキを着たウサギとか。)
 旺文社文庫は1975年初出だが、訳者・多田幸蔵は1917年生まれの英文学者。そのせいか文章は格調高く、ドタバタはなしで、言葉遊びも原文に忠実。アリスも昭和の初めの中学生みたいな文体でしゃべり、難しい単語も知っている。学者の研究成果としては、こういうものかもしれないが、今読むにはかしこまり気味。そこで、ネットに公開されている1964年生まれの山形浩生訳も読む(ネットにあるテキストをワープロアプリにコピペして、フォントを調整し、レイアウトを変えて、PDFに印刷して、ipadで読んだ。これは30年前にも30年後にも意味が通じないだろう)。

www.genpaku.org
 こちらは、ずっと現代風の文体と口調。アリスは4~5歳(「鏡の国」になると、7歳半くらいなんだそうだ)、それでも小学5年生くらいの知識を持っている。おませで早熟な子が背伸びしているという感じは、山形訳の方がよくでている。山形訳をベースに、ときに多田訳を参照しながら読んだ。まあ、中身については詮索しません。夢の迷宮、言葉遊びの妙なんかは、他の人がいろいろ分析しているようだし(そんなのには興味がないし)。
 ただ、再読でおもしろかったのは、アリスが夢から覚めた後の姉のモノローグ。

「お姉さんは目をつむって(略)、なかば自分も不思議の国にいる気持ちでした。もっとも、また眼をあけさえすれば、なにもかも退屈な現実にもどってしまうのだということを知っていました。(略)お姉さんは自分のこのかわいい妹が、後年長じて一人前の婦人になり(略)、遠い昔の不思議の国の夢まで話して(略)自分自身の子供時代や楽しかった夏の日を思い出す姿などを心に描いてみるのでした。(旺文社文庫、P174-175)」

 序文からして回顧調だし、このエピローグでも楽しい時代は終わってしまったという幻滅とか悲哀の感情が漂っている。アリスの年齢のとき、現実と夢は区別されず、できごとのすべては好奇心の対象になる黄金時代できわめて貴重な体験であるのに、本人はそのことに気付かずただ蕩尽している(だから小学生のときに「不思議の国のアリス」を読んだとき、序文とエピローグはじゃまだった。おまえ、今の楽しみをぶち壊しにするなよ、って気分)。分別をえて失ってしまってからはじめてその価値に気付くも、絶対に再体験できない。そういう悔いや断絶の感情。幻滅と悲哀のモチーフは次作の「鏡の国のアリス」のほうでさらに濃厚になる。成長はかならずしも良いことではないのだ。大人になってからの再読では、こちらに強く共感した。

 

 パブリックドメインで有名作なので、文庫の数だけ翻訳がありそう。

 

ルイス・キャロル不思議の国のアリス」(旺文社文庫)→ https://amzn.to/48Dn91B
ルイス・キャロル鏡の国のアリス」(旺文社文庫)→ https://amzn.to/3wEk7gc

ルイス・キャロル「愛ちゃんの夢物語」→ https://amzn.to/48zI6KF https://amzn.to/48JyBJ0

 

 旺文社版のよいところ二番目は、注釈がたくさんあるところ。たとえば「にせウミガメ」が出てくるけど、イギリスではウミガメのスープは高級グルメ。なかなか手に入らないから子牛の首をソースや調味料で料理した「にせウミガメ」のスープが18世紀に流行った、なんてことは教えてもらわないとわからない。わかってどうなるの?とは思うけど。20代後半の高山宏氏の長文の解説も懇切丁寧。さすが学習参考書を出版している会社の仕事だと感銘を受ける。このような「幻滅」に関する感想はほとんど解説からインスパイアされたことなのだ。(どこかの文庫で解説を復刻しないものだろうか)。
 よいところ三番目は、作者キャロル=ドジスンが撮影したアリス他の写真がたくさん載っていることも。とくに「鏡の国」でね。キャロルはアリスにいろいろな職業などの服をさせて扮装させている。コスプレと今では言われる行為はこのころにはあったのだね(おそらく18世紀末のフランス宮廷で流行った田園趣味あたりから。マリー・アントワネットが牧畜家の娘の格好をして、専用の離宮で遊んだりしていた。革命によって貴族の行為をブルジョアや中産市民がまねをするようになったのだろうか)。

 

2020/05/7 ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」(旺文社文庫) 1871年に続く

 

 映像化されたものも星の数ほどありそう。有名なアニメと映画黎明期のものを紹介。

  

 

 黎明期の映画。古いものはテニスンの挿絵がそのまま動いているよう。

1903年

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1910年

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1915年

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1933年(予告編)

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 1976年にアメリカで作られたポルノ版「不思議の国のアリス」もあるけど、ここでは紹介しません。ネットに転がっています。