odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

アガサ・クリスティ「ひらいたトランプ」(ハヤカワ文庫)

 奇妙な大金持ちのシャイタナ氏はポアロに「生きた犯罪コレクションをみせましょう」と、自宅の(コントラクト・)ブリッジのパーティに招待した。二組(一組4人)のチームで徹夜でブリッジを遊ぶ。シャイタナ氏はゲームに加わらないで、ブランデーをたしなむ。ゲームが終わりになると、シャイタナ氏は刺殺体で発見された。そのときに同じ部屋にいた組、すなわち「生きた犯罪コレクション」の人たち、が容疑者である。四人のうちのひとりであるはずだが、だれも犯行を目撃していない。ゲーム中に誰が抜け出したかも覚えていない(でもダミーという休みの時には自由に動き回れる)。
 シャイタナ氏が「生きた犯罪コレクション」というのは、その四人が殺人を犯しているが、法に触れず刑に服していないから。そのような殺人者は機会があれば、殺人を犯すであろう。とりわけ、自分の秘密を知っているシャイタナ氏がいなくなるほうがよいと考えるに違いない。というわけで、容疑者は強引な勝負をするロバーツ医師、きってのギャンブラーであるロリマー夫人(不治の病で余命僅か)、堅実なデスパード少佐(冒険家)、慎重な小娘アン・メレディスの四人となる。ともあれ困ったのは、現場に物証がないこと。証人がいないこと。そこで捜査は彼らの話を聞くことと、ブリッジの勝負を再現することしかない。ポワロはなぜか、事件現場の部屋になにがあったか、どういう手だったかを四人に念入りにきく。ときに、過去の「事件」の真相を聞こうと告白を迫る。

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 なんとももどかしいのは、事件が起きてから200ページ以上も、尋問と聞き取り、探偵たちのまとめを聞かされること。ときに三人称多視点になって、アンと友人の会話になる。そのうえポワロは絹のストッキングをたくさん買って(まだナイロンのない時代なのでストッキングはとても高価)、アンに見定めさせたりする(アンはネコババする)。事件らしい事件はこの程度。とても単調だけど、容疑者四人という状況があるので、ほかの作ほど退屈しなかった。とくに、ロリマー夫人とアン(加えて探偵作家のオリヴァ夫人)の女性の会話と病者がみごと。
 たった四人しか容疑者がいないのに、解決編で目を開かされるのは、そこにいたるまでがサスペンスフルだったので。すなわち、ポワロは四人の容疑者をひとりずつお前が犯人であると指摘して、動揺を誘う。その指摘が事件をみごとに説明するものであるので、読者は納得する。しかし、その思惑ははずれ、次の章になって犯人ではないことが明らかになる。その過程で全員が犯人の資格であることがわかるのだ(それ以前では、容疑者それぞれが犯人ではないとため息とともに認定されていたのだ)。そういうひっくり返しが繰り返され、容疑者二人が事故で亡くなり、ひとりは愛を成就するという転換があり、読者が混乱しきったところで、ポワロが「お前が犯人だ」といいつける。容疑者四人にもかかわらず、ここで驚くのは作者のプロットの勝利。とても地味な事件で、ほとんど何も起こらないのに、読者を惑乱させる手腕は見事(三度目)。
 作者は1930年代半ば以降から充実すると思っているが(創元推理文庫新潮文庫はそれ以前の作品ばかりなのが残念)、それを再確認するできでした。
 もう一つの趣向は、多すぎる探偵。最後の謎解きはポワロが行うが、尋問にあたるのはバトル警視(「ゼロ時間へ」での活躍がめざましい。ほかにも多数出演)で、探偵作家のアリアドニ・オリヴァ夫人と、諜報局のレイス大佐がアドバイスやちょっかいを入れる。彼らの探偵談義もまた、読者の目をくらませる仕掛け。もちろんロアルド・ノックス「陸橋殺人事件」(創元推理文庫)のようなことにはならず、ジョン・ディクスン・カー「剣の八」(ハヤカワ文庫)のような業界への揶揄もなく、穏当なところに収まっている。この中ではオリヴァ夫人が小説作りで悩んでいる描写があって、作者の現況の反映かなとクスリとする。