odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エルヴィン・シュレーディンガー「生命とは何か」(岩波文庫) たくさんのあやまりと、大きな可能性を示唆した分子生物学や生物物理学のマニフェスト。その後の研究の筋道を作った

 エルヴィン・シュレーディンガーの生涯と業績はリンク先を参照。20世紀前半の物理学者で、量子力学成立の立役者。

ja.wikipedia.org


 もとは1944年の講演。この国では1951年に岩波新書ででて、2008年に岩波文庫に入った。すなわち、岩波新書では最新の科学啓蒙書であったのが、60年を経て古典になったということを意味する。事実、本書の生物学に関する記述は古い。講演の時点では遺伝子の本体がDNAであることは確定していなかったし、DNA→RNA→タンパク質というセントラル・ドグマもまだ固まっていなかった。19世紀半ばのメンデルの法則をモルガンが1900年に再発見したのち、遺伝情報を伝達する物質はタンパク質であると考えられていた。それが1930年代に核酸かもという仮説がでて、実験で確認されてきたのがこのころ。核酸の原子配列を決める研究が進められていたが、当時の研究資材ではなかなか確定できなかった。そこにおいて生物学に物理学の方法と考えを持ち込もうとしたのが、シュレーディンガーら。まだ提案の段階なのであって、成果がでてくるのはこのあと。高校教科書の記述にすら達していない時期の生命活動の記述なので、不備・不足が多々ある。そこは留意しておこう。
 シュレディンガーの物理学と生物学の融合という考えを宣言する次第になったのは、上記の「生物学の革命(@柴谷篤弘)」が進行していたから。その時代は、同時に生物学と哲学をごっちゃにした生命哲学の時代でもあった。ヘッケルのような観念論の系譜にあるものと、唯物論(と革命論)を持ち込んだマルクス主義の系譜にある生物哲学が隆盛であった。例えばルイセンコの遺伝学がソ連共産党の公式学問であったのがこの時代。したがって、

「研究の主体として、主体的な現象に密接に伴う過程を選ぶならば、たとえ我々がこの主体と客体との密接な対応関係の真の本性を知らなくとも、われわれの仕事は非常に容易になるでしょう。実際、この対応性は私の見るところでは、自然科学の領域外に属し、おそらく、そもそも人間の理解の及ばないところにあると思われます(P12)」

という記述を訳者の鎮目恭夫は、難解で

デカルトの『私は考える、ゆえに私はある(存在する)』という名句を土台とする世界観に似た一種の唯心論的一元論に近い世界観の述懐だと判断する(P205)」

という。
 俺からすると、デカルト以来の西洋形而上学全体に向けたのではなく、ヘッケルのような神秘思想やマルクス主義生物学への批判や当てこすりとみる。いずれも「唯心論的一元論に近い世界観」であり、生物がおのずと変化・発展するという主体性の観念だからだ。物理学の素朴実在論ダーウィンの進化論はそのような変化生成する主体を想定しない。偶然と選択の積み重ねによる変化生成には主体の意思は関係しない。だから「主体と客体との密接な対応関係の真の本性」を知らなくても、生物の活動を記述することができる。シュレーディンガーによる生物物理学-物理生物学のマニフェストが宣言するのはそういうこと。
ナチスの民族思想は生物学や医学の知識を反映して、主体の選択を重視していた。ソ連のボルシェヴィズムは労働者が主体的に意識変革して「革命家」になることを要求した。その点からすると、ファシズムとボルシェヴィズムの批判であったといえるかもしれない。)
柴谷篤弘「生物学の革命」(みすず書房)
エルンスト・ヘッケル「生命の不可思議 下」(岩波文庫)
レーニン「国家と革命」(国民文庫)
今西錦司「進化とはなにか」(講談社学術文庫)
 このような時代の制約がある本であること(および同時代ならいわなくてもわかることが時がたってわからなくなっていること)に注意しておこう。

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第1章 この問題に対して古典物理学者はどう近づくか? ・・・ 生命体(Living Cell)の活動は巨大分子によって行われているので物理学法則が適用される。関与する粒子(原子、分子)が多いので、統計的に把握され、近似的に記述できる。

第2章 遺伝のしくみ ・・・ 細胞分裂減数分裂と染色体の交差。高校の生物学の内容。この時代には染色体のなかに遺伝子があることはわかっていた。

第3章 突然変異 ・・・ 遺伝子の表現型、顕性-潜性(優性-劣性を使うのはやめましょう)、突然変異。高校の生物学の内容。このころにはX線が危険であると認識されていた(シュレーディンガーの話によると、X線照射で突然変異が起こるという発見はそうとうな衝撃を研究者にもたらしたらしい)。

第4章 量子力学によりはじめて明らかにされること ・・・ X線による突然変異(その逆の自然界での遺伝子の安定性)は生物学の知識では説明できないが、量子力学で説明可能になる。原子の配列を変えたり、異性体を作ったりするには、ある閾値以上のエネルギーを与えて準位を超えなければならない。

第5章 デルブリュックの模型の検討と吟味 ・・・ 「デルブリュックの模型」は「放射線生物学の実験にもとづいた遺伝子のモデル」とのこと。

www.keirinkan.com


 遺伝物質は、熱運動にさらされているが、長期間安定する持久性をもった構造。なので巨大分子で、異性体分子に変換可能で、化学結合が重要で、原子配列に意味(暗号体系と突然変異)を持っている。
(遺伝子の本体は、核酸かタンパク質のどちらかと思われていた。当時は、タンパク質説のほうが優勢。)
柴谷篤弘は1930-60年の分子生物学の科学革命の特徴を理論先行性にあるとしているが、本書はまさにそれ。実態や現象が明らかにされていないときに、理論を提示し、研究の方向を示すものだった。上の意見を担保する証拠は挙がっていないが、形質発現と細胞分裂と遺伝を説明するためにこれらの特徴をもつ巨大分子があるはずといったのだ。実際に、のちの分子生物学の研究はシュレディンガーが示唆する方向に進んだ。)

第6章 秩序、無秩序、エントロピー ・・・ 通常、物質世界では正のエントロピーを作っていて平衡状態になっていく。しかし生命は崩壊して平衡状態になることを免れている。これは生命をもっているものが負のエントロピーを食べているから。
(負のエントロピーとは面妖な。エントロピーを増やして平衡状態になろうとしている物質世界でいかにして負のエントロピーは生成するのか、本書には説明がない。たしか、今の説明では、生命活動は正のエントロピーを作るが、局所的にエントロピーが増加しないか減少する場所を作っている。その際、大量の熱と廃物がつくられるが、水にまぜて排出している。なので活動全体としては、正のエントロピーが増加する。生命は閉鎖系ではなくて、開放定常系なのだ、とされるのでは。こうすれば熱力学の法則に違反しないし、負のエントロピーなるアドホックな仮説もいらない。)

第7章 生命は物理学の法則に支配されているか? ・・・ 生命活動は、古典力学では説明できないし、機械仕掛けの比喩も当たらない。それは、生命には自己形成と自己保存の特徴があるから。これを記述するのに量子力学は役立つ(でも、俺はシュレーディンガーのいう「(生命は)秩序をすいこむ」は首肯できない)。

エピローグ 決定論と自由意思について ・・・ 以上の講演が、(量子力学の)決定論であるとか、宗教・形而上学などからの主体の自由意思を無視・軽視しているという批判に対する返事。霊魂、意識、自我などの科学でない用語をあいまいに説明しているので、どうでもいい。

 

 

 たくさんのあやまりと、大きな可能性を示唆した分子生物学や生物物理学のマニフェスト。その後の研究の筋道を作った。あと重要なのは、生命現象を記述するさいに、主体や意思などの哲学や思想の観念を排除して、科学のことばだけを使おうとする宣言でもあった。そうすることで、研究者が方法を共有し、結果や仮説を検証しやすくすることになった。イデオロギーや政治のことばを入れないことで、一般性をもつ理論や方法を作ることができた。これも1940年代におきた科学の言葉の「革命」。最初に物理学で、つぎに生物学で試行されてたくさんの成果を上げたことで、科学から神秘思想や政治思想を排除できた。
<参考> 1930-40年代のイデオロギーや政治のことばを含む科学の例
アラン・バイエルヘン「ヒトラー政権と科学者たち」(岩波現代選書)-1
アラン・バイエルヘン「ヒトラー政権と科学者たち」(岩波現代選書)-2
アラン・バイエルヘン「ヒトラー政権と科学者たち」(岩波現代選書)-3
廣重徹「科学の社会史 上」(岩波現代文庫)
廣重徹「科学の社会史 下」(岩波現代文庫)
中村禎里「日本のルイセンコ論争」(みすず書房)
 残念なのは、そのような視点と歴史が解説に書かれていないこと。訳者と解説はシュレーディンガーとほぼ同時期の研究者だったので、衝撃を紹介するのに焦点をあてて、本書の可能性の中心を明らかにすることをおろそかにした。なので、今後の再販されるときがあったら、1920年代から60年代にかけての分子生物学の「科学革命」史を追加してほしい。生殖の仕組みが解り、遺伝情報の伝達のアイデアがでて、核酸が遺伝情報の伝達物質であることが明らかになり、遺伝情報から形質発現までのセントラル・ドグマがつくられるまでの歴史とそこに関与する研究者のドラマはとても面白いのだ。そこではワトソン-クリックの二重らせん構造説はたいして重要ではない。
(篠遠喜人/柳沢嘉一郎「遺伝学 (1965年)」 (岩波全書) が詳しかったと記憶。)

  


(追記。wikiシュレーディンガーの解説を読むと、哲学に興味があって、科学と哲学を切り離せない考えの持ち主だった模様。「エピローグ 決定論と自由意思について」に顕著。解説者が「唯心論的一元論に近い世界観」を批判しているというのはシュレーディンガーの考えに即しているのかも。でも大多数の研究者は哲学の部分はスルーして、「可能性の中心」をとらえたのだと思う。)

 

追記2 2022/8/23

 2022/8/12NHK第二ラジオ放送の「カルチャーラジオ 科学と人間「みんなの量子論~不思議で考えさせられる世界」(7)量子論に反対したアインシュタイン?」(講師:竹内薫)によると、「『生命とは何か』を書いた時シュレーディンガーインド哲学にはまっていた」とのこと。