odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ピーター・ラヴゼイ「偽のデュー警部」(ハヤカワ文庫) 探偵に化けた殺人犯が自分の殺人を捜査することになった。技巧的な謎解き小説。

 1915年、大西洋航行中のルシタニア号がドイツ潜水艦の攻撃を受けて沈没。1200名の死者を出し、700名あまりの生存者がいた。沈没に際し、人格の高潔さと低劣さを示すさまざまな出来事があったらしい。本書にでてくるのは架空の事件だが、グラナドスが似たような事件で死亡している。なにより、この海難事件(1912年)の記憶が鮮明な時代だ。

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 WW1が終わった後の1921年。ロンドンの歯科医ウォルターは唖然とする。売れない芸人だったのを地道な仕事につかせた俳優の妻がアメリカのハリウッドにいって一旗揚げたいと言い出したのだ(それも以前共演したチャップリンを頼るという)。そろそろ事業が軌道に乗りそうなのに、物事をチャラにせずにいられないスター性格の妻に愛想が尽きる。たまたま知り合った花屋の娘に愚痴っているうちに、航路上で人知れず殺せばいいんじゃないとそそのかされる。そこで、ウォルターは派手な喧嘩をしてアメリカにはいかないと宣言したのだが、実は変名(そのころ有名になっていたクリッペン事件を解決したデュー警部の姓を名乗る)で娘と一緒に大西洋航路に乗り込んだのだった。首尾よく妻を海に投げ込んだのだが、船が死体を回収し、犯罪だということで船長は高名なデュー警部に捜査を依頼する。殺人犯が自分の殺人を捜査することになったのだ(ここまではアイリッシュのようなノワールもの)。
 大西洋航路は19世紀半ばには確立され、1910年代には5-6日で米欧間を行き来していた。となると、初日で起きた事件は3日間で解決する必要があり、到着したときには官憲に引き渡さねばならない。ウォルターのいやいやながらの探偵もさることながら、密室状況でどこに犯人がいるかわからない疑心暗鬼(をするには乗客が多すぎて緊張感はない)に加え、リミットが設定されているという焦燥もある。それなのに、どうにものんきなウォルターに読者はやきもきする。
 しかし、事件の様相は一変する。すなわち、回収された死体はウォルターの妻のものではない。別の観光客で、前日にアメリカの富豪一家とホイスト(カードゲーム)をしている一人だったのだ。ウォルターはデュー警部の名前を借りて、彼らを尋問。昔透視術の奇術をしていた杵柄で、ゲームをしていた一人が船客相手のいかさまカード師であると見破る。カード師は自分は殺していないと言い張り、それを聞いているウォルターが何者かに銃撃される。すっかり憔悴したカード師が目を覚ましたウォルターに身の上話をしているとき、ウォルターに天啓が訪れる。
 ここには思弁や教養などは一切書き込まれていなくて、イギリスの中流階級のちょっとゴージャスな家庭の話しかないのだけど、人物描写がたくみなおかげで物語を読む楽しみがあった。1910-20年代のイギリスもよく調べている(ウィリアム・ヒョーツバーグ「ポーをめぐる殺人」(扶桑社文庫)程のマニアックさはないが)。そのあたりの中庸はイギリス文学の伝統を継承していると思う。
 事件そのものの謎はむずかしいものではない。殺害トリックなどないに等しい。豪華客船を舞台にした過去作(例えば、クリスティ「ナイルに死す」カー「盲目の理髪師」など)に比べれば、あっさりとしたものだ。その代わりに、難しいのは動機探し。たまたま乗り合わせた資産などなさそうな独身の女性がなぜ殺されなければならないのか。これはうまく隠していて、あとになってあの描写が必要だったのかを膝を打つことになる。それが成り立つのは1920年代(それも初期)でなければならず、この設定も用意周到。さらに、作者が提供したのは、ウォルターの恋の話。上のような船上の殺人事件にすっかり気を取られてしまったので、こちらの話の結末にも驚いてしまう次第になった。よい使い手です(などと1982年初出ですでに名作扱いなのに、いまさら何を言うか)。

 

 翻訳でちょっと指摘。船上の仮装パーティ優勝者が女子テニスプレーヤーの「スザンヌ・ラングラン」に扮した人だとされる。惜しい。「スザンヌ・ランラン」です。

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