odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

沼正三「家畜人ヤプー」(角川文庫)-1 白人と女性の優位は日本男子のディストピア

 196*年に登山中のクララ・フォン・コトヴィッツと瀬部麟一郎は空飛ぶ円盤を発見する。そこには2000年未来の宇宙帝国「イース」の貴族であるポーリーンが乗っていた。全裸の麟一郎を見たポーリーンは、彼を家畜人ヤプーを見間違う。ポーリーンの命令を聞く人間の顔をした犬(のちにヤフーと分かる)は、麟一郎にかみつき全身が硬直する毒を与えた。クララの抗議によって、弛緩剤を与えることに承諾したものの、ポーリーンはクララを宇宙帝国人の一員にするべく、帰還までの間に「教育」することにした。麟一郎は家畜人ヤプーとしての新たな使命を与えることにする。そして女権制帝国「イース」の驚くべき技術と習俗と社会体制が二人の地球人の前に明らかになっていく・・・。


 宇宙帝国「イース」は、第3次大戦後に成立した宇宙国家。アングロサクソン人が絶対権力を持つ。驚愕するのは女性の権力が男性よりも上位にあるのだ。女王をトップに政府中枢の役職は女性が独占し、家族でも女性が権力をもつ。白人のなかでも貴族と平民のヒエラルキーがあり、越えられない(女性は階級間に流動性があっても男性にはなさそうだ)。その下には非常に人権を制限された黒人がいる。黄色人種は大戦で全滅したが、一部残った日本人(ヤプー)は家畜として使われている。ヤプーは人語を解することができるが、白人が利用する家具や機器として使用されるのである。なのでヤプーを誤って死亡させてもそそれは犯罪ではなく、たんなる器物損壊となるのである。そこが「家畜」とされるゆえんであるが、ドイツ人であるクララは冒頭で

「貴方はまだ馬に遠慮してるとこがあるの。それがいけないの。馬ってものは、一度増長させたら癖馬になってしまうのよ。こちらのほうが強くて偉いんだということを馬にのみ込ませるまでは、徹底的に責めつけなくちゃ……」

と麟一郎に忠告するのであるが、まさにこれを麟一郎に対して行うのである。反発していた麟一郎は白人女性に隷属することに喜びを感じるようになる。すなわち冒頭数ページにしてテーマと結末が記されていた。
 本書の成立は謎が多い。すなわち発表誌は1956~58年の「奇譚クラブ」であり、これは当時のSM愛好家だけをターゲットにした少数出版でほとんど人目につかなかった。作者「沼正三」もドイツ文学者をなぞらえたペンネームであり、これだけの博識と想像力を持つ書き手はだれかと詮索されたが不明なままである。秘匿された小説が三島由紀夫などによって「発見」され大評判になった。自分が持っているのは1972年の角川文庫版であるが、そのご大幅な増改訂が行われた。どこかの文庫で5巻本の大作になった。また石ノ森章太郎他によってマンガ化されている。
 これは奇書であるが、そういえるのはこの国の文化や言語、技術、社会、国家体制などがひっくり返されているから。その説明に膨大な知識が縦横無尽に引用され、再解釈されている。言語遊戯も随所に現れている。小説家には物語を語るタイプと、言語で遊戯をするタイプのものにわけられるが(厳密な区別はできなくてどちらの素養を持っているものが大半)、この作家は後者のタイプ。それに加えて、作者本人がマゾヒストと自認しているので、再解釈や言語遊戯は自らを貶め辱め苦痛になるように行われる。日本人をルーツにもつ家畜人ヤプーは人体を改造され、身体に刻印を刻まれ、糞尿を食することを喜びと感じ、主の命じるセップクに法悦を感じて応じるのである。そのうえ、社会的政治的文化的な権力を持つのは女性であり、男性は常に女性の視線を感じてマナーを整え、主人の命令に応じなければならず、ときに人前で辱めにあうことを甘受しなければならない。およそ列島とこの国の常識に反するような出来事ばかりが延々と記されていく。ある種の読者には、耐えがたい苦痛であり、ときに立腹する内容だろう(そのような反応を作者は喜びとするといい、読者の反応まで小説に取り込んでいるのである)。
 性愛文学には3つのパターン(澁澤龍彦の分類をを参考にした)、すなわち、饗宴、遍歴、教育(調教)。たいていの性愛小説はこのいずれか。このブログにあげたものだと、作者不詳「ペピの体験」(富士見ロマン文庫) 1908年とギョーム・ド・アポリネール「若きドン・ジュアンの冒険」(角川文庫) 1911年が遍歴であり、 ミラボー伯「肉体の扉」(富士見ロマン文庫) 1786年とポーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」(講談社文庫)が教育(調教)にあたる。饗宴は未読のマルキ・ド・サドの「ソドム百二十日」など。
 遍歴と教育(調教)は表裏一体であって、遍歴は教育を受ける側の物語であり、調協は教育する側の物語といえる。この分類を使えば、本書はクララにとっては遍歴であり、麟一郎にとっては教育(調教)である。いずれも知らない自分の発見があり、技術の習得があり、想像力の飛翔が求められる。性愛体験によっていかに自分を変えるか、いかに自分の喜びを他者の快楽につなげるかが課題になるのだ。

 

<参考>
 河原梓水氏が、沼正三倉田卓次だということを実証した論文を2021年にだしました。

沼正三倉田卓次天野哲夫:『家畜人ヤプー』騒動解読

researchmap.jp

 

2024/01/08 沼正三「家畜人ヤプー」(角川文庫)-2 日本のサムライ男子が夢見る大日本帝国のユートピア 1972年に続く