いつ書かれたか解説には書いていないし、wikiでもはっきりしないが、1970-72年にかけての作品。1972年に作者急逝(享年48歳)ののちに単行本化された。
鏡の国のアリス ・・・ 左利きのテナーサックスプレーヤーが銭湯でくつろいでいたら、女湯にはいっていた。覗きと窃盗で逮捕されそうになるところを精神科医につれられる。彼は左利きの会を作っていて、マイノリティである左利きの権利を回復する運動をやっていた。彼は鏡像文字を覚えるなどして、この世界に適用しようとするがうまくいかない。突然差別される側であるマイノリティにされた男が悪戦苦闘する、という話なのであるが、物語は弾まない。左利きの会なる組織のトップにかくまわれていたので、社会的な抑圧が彼に降りかからないようになっているからだ。むしろ、昭和40年当時の父権制度がそのまま残っている社会ではそこに暮らす女性のほうがより抑圧されているようにみえる。
この小説はたしか石川喬司の「夢探偵」か「IFの世界」で知ったと思うが、もはやセンス・オブ・ワンダーを感じるどころか、ジェンダーへの抑圧の強い昭和の男社会を描いたものに見える。なるほど当時の社会では左利きは無理やり矯正されていたいて当人には相当な不満と苦労を強いる力が働いていたが、男であることで地位と力をもつことができた。この小説では差別問題の寓話というのもおこがましい。
(なので、ジェンダーロールを逆転させた沼正三「家畜人ヤプー」のほうが「鏡の国」に当てはまる。あそこでは日本人の男性が侮辱的・凌辱的扱いをされるのであるが、それこそが現代日本の反転図にふさわしい。)
こういう文章があった。
「彼が風呂にはいるのは、一週間に一度なのである。不潔だという人もあるが、浩一は、そうは思わない。」(P16)
昭和の清潔観念というのはこういうもの。ちなみに、1970年代初頭の若い女性向けシャンプーのCMのコピーは「ふけ、いやいや」だった。
フオポスとディモス ・・・ タイトルは火星の惑星。そこの探検を終えて帰還した健一がニセモノであるという疑惑が生じる。二人の健一を前に、許嫁のユミは困惑する。設定が同時代の映画「妖星ゴラス」そっくり。
遊覧バスは何を見た ・・・ 1925年の東京に出てきた田舎者が親切に会う。そのあと、1935年、45年、70年、80年に同じ店で再開する。人情は変わらないが(なにぶん戦前のものだ)、世界が変わる。最後の落ちは安易で残念。あと1945年には東京空襲などの結果、市場と配給制は消え、闇経済になっているのがわかる。
おねえさんはあそこに ・・・ 父と母のいない子供はおねえさんに育てられる。次第に、自分の理解がお姉さんたちと説明と乖離していることに気づく。ギフテッド・チャイルドの適応障害。
50年前の日本のSF。発想やテンポが古い、説明過剰で余韻に乏しい、物語が静的、シチュエーションにとらわれて話が膨らまない、など多数の欠点を抱えている。それは同じ時代の推理小説にも共通しているので、とくに作者の能力がということではない。むしろ単行本6冊分の原稿しか残さないのに(実質的な作家活動は二年)、没後すぐに全集が出て5年後には文庫化されたという人柄に魅力があった、と言えるのかもしれない。
ともあれ、誠に貧しい感想になるのは、主に作者が描く昭和の男女観が21世紀には受け入れがたくなっているところ。とくに女を支配したがる中年男性、女に身の回りの世話をさせ、それが当然であると思い込んでいる若い男性、女が主張することを止める男性。これらの抑圧を言動で発揮する男性がたまらなく気色悪い。このような男になってはならない、と決意することになる。
その代わり、解説の井上ひさしがいっているように、細部のリアリティはこだわりを持っていて正確を心掛けているので、当時の風俗を知るのによい資料になった。
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