odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

作者不詳「ペピの体験」(富士見ロマン文庫)

 1908年にウィーンで作者不詳で私家出版された好色文学。タイトルを直訳すると、「ヨゼフィーネ・ムッチェンバッヒュル――あるウィーンの娼婦の身の上話」となる。ペピはヨゼフやヨゼフィーネを呼ぶときの愛称とのこと。
 まえがきには、ペピは1852年2月20日生まれ。若くして娼婦になり、ロシアで稼いで、ウィーンに戻り最高級娼婦として君臨。1904年12月7日に死去したとされる。享年52歳は、この時代にしては、しかも体力的にハードで、性病罹患の可能性もあるとなると、長生きしたほうではないか。彼女がたぶん晩年近くになって回想したとされるこの一代記は主に幼少時のことを書く。きわめて早熟で、5歳で下宿の若い職人にいたずらされたのが性体験の最初であり、7歳には近所の少年たちを相手にする。13歳で学校の寄宿舎にはいってからは神父が主な教師であり、問題を起こして退校になってからは、同年齢の少女を先生にして兵士や紳士を相手にするようになり、ついに金を稼ぐに至る。記述は14歳ころで終了。一日に三人を相手にしたと仮定すると、30年で3万人以上を相手にしたと豪語するのであって、この長編にはきわめてわずかなサンプルしか書かれていないことになる。
 ほとんどが好色な行為のあれこれ。相手を取り換えながら、さまざまな行為を試す(そのなかにはオーラル・セックス、レズビアン、鞭うち、猥語、写真撮影などがあり、現代のエロチカ描写にでてくるものはほぼ網羅)のを読み続けるのはいささか苦痛。そのうえ、作者にはそれ以外の関心がないとみえて、家や下宿、町や学校の生活はほとんどかかれない。さまざまな階層の男が出てきても、どのような生活をしているかは記述されない。性や愛に関する哲学的な考察もいっさいない。となると、社会や経済への興味を向けることもできず、感想をのべにくい(四半世紀前に読んだときはおもしろかったが、今回はきつかった)。

 ともあれ、想像や妄想を練りこんで気付いたことをいくつか。
ペピの生年と没年からすると、小説の記述は1860年代になる。このときのウィーン、ヨハン・シュトラウスのワルツが大流行していた。小宮正安「ヨハン・シュトラウス」(中公新書)に詳しいので、参照しておくべき。すなわち、ハプスブルク王朝の繁栄の最盛期で、きわめて景気の良かった時代だ。ペピが相手をとっかえひっかえして行為に及び、果てがないのは、まさにワルツを踊っているかのよう。
・当時の生活からすると、市内のアパートや周辺の農家には風呂はないし、水洗便所もない。洗濯するのも一苦労。にもかかわらず、ペピとその相手はオーラル・セックスを厭わないというのは、その程度の衛生概念だったのか、それともおとぎ話であったのか。
・重要なのは、この好色文学が匿名で秘密出版されたところにある。時代はビクトリア朝あるいはプロテスタントのモラルが社会の規範であったころ。紳士や淑女が性に関することを口にするのは、はばかられる。そのような抑圧の社会であった。しかし、性の欲望は非合法的にはけ口を求め、この種の好色文学(イギリスの雑誌「パール」が有名)がでて、カメラで写真を撮り(ルイス・キャロルが有名)、娼館にいく。ときに猟奇犯罪が起きると、大衆は熱狂する(ジャック・ザ・リパー事件が有名)。性の抑圧が最も強かった上流階級の婦人にはヒステリー症状がよく起きる。そういう背景をみたい。
 この本は第一次大戦終了後、ハプスブルク王朝が消滅したウィーンでよく読まれたという。なるほど、貧乏や不況にあり、敗戦と国の消滅というショックにあったとき、古き良き時代への追憶としてこの小説が機能したのだろう。
 作者不詳とされるが、原作者と目される人物が二人いる。アルトゥール・シュニッツラー(1862-1931)とフェリックス・ザルテン(1869-1945)。前者は「輪舞」などで世界的に高名な作家なので、こちらのほうが想像を楽しめるが、確証はないようなので、あまり広めないように。