odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

フィリップ・K・ディック「ユービック」(ハヤカワ文庫)

 小説世界の在り方が異様なので、まず抑えておくことにしよう。生者と死者の間に半生者というカテゴリーがある。脳に損傷がなければ生命活動を停止しても、急速冷凍することで「意識」を保存することができる。通常は半生者同士の認識世界(夢ともいうか)にいるが、ときに生者が半生者にアクセスして会話をすることができる(そのたびに半生者の「寿命」は短くなる)。不活性者と呼ばれる人たちのマネジメントをしているグルン・ランシターの妻エラもそういう半生者のひとり。仕事の助言を得るために、グルンはエラと会話することがあるが、最近は別の半生者ジョリーのノイズがひどい。ジョリーの悪意がエラやほかの半生者の意識を侵食しているようなのだ。不活性者というのは、生者の中にいる超能力者(未来予知、テレパスなど)の能力を中和する能力の持ち主。超能力者がほとんどすべての普通人の活動をコントロールできるので、その対抗として不活性者をみつけ、必要に応じて派遣しているのだ。
 グレン・ランシターのもとに奇妙な依頼がくる。不活性者を大量に雇用して月(ルナ)に派遣して欲しいというという内容。最近ライバルたちの妨害が多いので、不審に思ったが、多額の報酬を得られるのが分かり、ランシターは技術者とともにルナに行く。技術者ジョー・チップは借金でにっちもさっちもいかないが、最近スカウトした新しいタイプの不活性者(時間退行能力で過去を改変できる)のミドルティーンをつれていた。彼女の能力でトラブルがあっても修復可能と思ったのだ。
 ルナに着いてプレゼンを受けている途中、爆発が起きる。ランシターは死亡。生き延びたジョー他は地球に戻るが、奇妙な事態が起きる。ジョーの降れたものはすぐに衰退し(枯れたり、腐ったり)、古いものに入れ替わってしまう(最新の車が数十年前の車体になったり、スプレー缶が肝油や粉末薬になったり)。その影響は周囲の不活性者にも伝わり、疲労と衰弱で一人一人と死んでいく。さらに奇妙なのは、死んだはずのランシターからメッセージが届くこと。それもCMの形式で。テレビCMだったり、ちらしだったり、処方箋に書かれていたり、鏡のいたずら書きだったり。それによると、死んだのはランシターではなくジョー達であり、物事の衰退をとめるにはユービック(小説中ではラテン語のubique(あらゆる場所)に似ている造語とされる)のスプレー缶を浴びるしかないという。ジョーはメッセージに従ってユービックを手に入れようとするが、周囲の退行(1939年当時のアメリカにまでもどる)のために役に立たない。そのうち、ジョー自身にも疲労と衰弱が出てくる。生き延びることができるのか・・・

 この「ユービック」は自分がPKDにはまり込む端緒になった記念的な作品。それまで数冊の長編を読んでピンとこなかったのが、これで「ぶっとんで」しまって、書店に並んでいたPKDの本を片端から購入し、次々読破していったのだ。ああ、懐かしい。
 今回の再読ではハヤカワ文庫旧版(全体320ページ)の248ページまで(ジョーが衰弱して階段を登れなくなるころ)はひどく退屈だったのだ。というのも、上のサマリーに書いたことが、過去の長編の焼き直しに思えたから。複数人が奇妙な世界にトリップして誰かのコントロール下にあるのではないかと疑うのは「虚空の眼」、物事が衰退、時間逆行するのは「逆まわりの世界」、ある悪意の持ち主が世界に遍在してわけのわからないメッセージを送り付け主人公(物語の中心にいる程度の意)を操るのは「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」、受難にあっている世界の救済者(この小説ではランシター)を救おうとするのは短編「小さな黒い箱」「逆回りの世界」、などそれまでのPKDの作品を混ぜ合わせたアマルガムで、特に目新しいとはおもえなかったから。90ページまでは状況説明ばかりで、物語がはじまらないので、三回も途中挫折した。
 でも、248ページで驚愕の真実があきらかになったとたんに、目が覚める。そのあと、ランシターが姿を現した後、怒涛の展開(というか地と図の反転)に口をあけっぱなし。90ページまでの状況説明のいくつかのエピソードがジョーの物語にからむころには、PKDの仕掛けた罠にはめられたことが読書の快感となって返ってくる。テーマはジョーがいる世界は真実であるのか、誰かの夢ではないのかということ。なるほど全体として読者の現実世界に近しいのに、物理法則が成立しない非ユークリッド幾何学のような世界がいったいなぜ成立するのか。そのような懐疑にとらわれたとき、「真実」を担保するのは何か。現実の正当性を証明するのはいったい何か(通常、現実と正当性はトートロジーにあるものなあ)。現実ではありえない社会を構成するのがあるとするとそれは夢。この小説のすごいのは、夢と現実の間に半生者の意識のネットワークを構想し、そこに現実が介入していること。冒頭の状況説明ページにあるから納得するのだが、1980年代以降であれば仮想現実のひとことで済むのを丹念に説明。そのうえこの仮想現実も規則を改変してさまざまな非ユークリッド幾何学になるのだが、その作り手二は誰もがなれること。このアイデアは可能世界論、平行世界でもあるな。(コンピュータの仮想現実やヴァーチャルリアリティでは「現実」の作り手という主体はないか、集合になっていて意識されない)。
 そのうえ、現実か夢かわからないという仕掛けのとき、外側から主人公たちをコントロールする主体とか意識とかがメタレベルにあるという設定になる。この小説は、夢を見ている主人公(ジョー)をその外で別の主体(ランシター)がコントロールして、別の主体は夢の全体を統括する神のような存在になっているということだ。そして主人公はこの虚構、トリックを見破ってメタレベルに回帰するないし上昇するというのが、たいていの仕掛け(PKDにそういう長編はいくつかある)。でも、この小説はそういうメタレベルの上のレベルがあり、さらにその上のレベルがあり、という無限の階層構造が予測され、最上位のレベルと思われるものが、下位のレベルでコントロールされる夢の側にあるというクラインの壺のような自己言及性が達成される。それが明らかになる最後の3ページは恐ろしい。ジョーの不安や懐疑は一掃されて彼は使命を持って「生きる」のだが、かわりに読者の方がテキストの迷宮に幻惑され、ジョーの現実に対する懐疑が読者のものになってしまうのだ。そんな仕掛けを思いつき、しかも成功させたものはほかに思いつかない。
(現実と夢の境のあいまいさ、世界の階層構造と「クラインの壺」的な自己言及性などは、ひとがその現実から疎外されているという感覚によく合致しているし、世界を変えようとしても個人の力は無力に等しいという気分を補強する。その点では、この小説(と「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」)が「できれば社会参加を避けたいと願う高校生から大学生たちによって、今後も支持されるだろう(「暗闇のスキャナー(P366)」創元推理文庫所収の訳者による解説)」に合点する。)
 すごい。なるほど読者投票でPKDの人気作第一位になるのも無理もない。小説の技術としては「火星のタイムスリップ」に並ぶ。ミステリー好きが愛でるSF。個人的には、前半の退屈さ、過去作の焼き直しの印象が残っていて、そこまでの評価を付けるのを躊躇する。感想エントリーがひとつですんでしまうのがその反映。現実と夢のあいまいさ、現実の正当性の不在以外の問題を見つけられなかった。不足しているのはドラッグ体験と自己破滅衝動と若い女性による救済と絶対に意に沿わない融通の利かない機械あたり。
 1966年12月7日完成原稿SMLA受理、1969年出版。PKD本人は

「いま『ユービック』を読んでみると、わたしの書き方がパターン化しているのがわかる。自分の作品をくりかえしはじめているんだ。わたしの小説のパターンすべてが固定してしまい、もはや進歩していないという証拠があらわれだしている。『ユービック』はなんとか先に進もうとする絶望的な試みだった」(「ザップ・ガン(P366)」所収のインタビュー)」

と芳しくない。