桑原武夫「文学入門」岩波新書1950年を読んで、そういうものなの?と驚いたのは、現役の作家に文学とは別の生業を持て、そうして収入の心配のないところで小説を書けとこの評論家が薦めていたこと。自分がこの新書を読んだのは筒井康隆のこの小説のでる直前であって、当時の高額納税者に有名作家がずらりと並んでいた。なので、文学一本の収入で生きていけるのではないか、むしろそれにより高収入が得られるのではないかと思ったのだった。問題はむしろ職業作家の一員となることであって、その道がどういうものかであった。
で、この小説では職業作家になりたがる地方在住の同人たちが主人公になる。この小説の十数年前には地方在住の主婦が書いた小説がベストセラーになり、映画やテレビドラマになるという「夢」が実現していたのであって、おそらくそのような選ばれた人になることを彼らも夢見ていたのだろう。戦前戦後からアマチュアは同人誌をつくって、自作を発表し、切磋琢磨していた。同人誌は出版社他に送られ、目利きの編集者が優れた作品を見出し、全国向けの文芸誌に載せた。それをきっかけに職業作家になったものが多数いた。しかし、1970年ころからは出版社は「新人賞」を個別に設け、応募作品から優れたものを見出すというシステムに変えた。いろいろ理由があるだろうがそこはおいておくとして、次第に同人誌の意義がなくなっていった(同人誌はメンバーの交代がなくてマンネリに陥りやすいというのが大きいだろう)。それでも、この小説の同人たちは同人誌にしがみつく。そこまでして職業作家になりたいという切実な理由というか夢にかけていたのだろう。
およそ10名ほどの同人に最近大手企業の勤め人が参加する。彼ら同人の恥知らずと傲慢と世間知らずに辟易するものの、おだてにのって自社の悪徳を暴露した企業小説をものする。それが都会の文芸誌の目に留まり、デビューにいたり有名文学賞の候補にもなる。悪徳を暴露された企業は彼を辞職に追い込み、都会にでて300万円(現在価値で1000万円くらいか)の資金をもって有名文学賞受賞の運動をするものの落選。デビューはおろか収入の道を断たれたので、怒りは選考委員への憎悪へと転化し、ライフル銃を入手して、選考委員を殺戮するに至る。
というのが主なストーリー。このころ著者は精神が壊れていく過程を描くのに興味を持っていたらしく、主人公が発狂に至るという短編をいくつか書いていた。思い出すのは「三人娘」。あるいは精神の壊れた連中に影響されて自我が崩壊するというのも。思い出すのは「最悪の接触」。そのような精神崩壊テーマの集大成がこれ。著者の文章は平易で、とても明晰。それだけに精神崩壊していくさまがとてもリアルで、ぞっとするほどの恐ろしさを感じる。
そのうえ、同人誌のメンバーにしろ、全国文芸誌の編集者にしろ、職業作家にしろまともな連中が一人もでてこない。スノッブで自尊心が強くて、卑屈で、金に汚くて、出る杭を打ち、隣の連中の足を引っ張り、人の懐を当てにしてたかり、罵倒することに熱心で、自分が傷つけられるのを極端に恐れ、ヒステリックにわめき散らし、暴力衝動を押し隠そうとせず、他人を手段としてしか見なさず、うちわで固まりたがって、外を見ようとせず・・・いやあ、人間の嫌なところを見せつけられる。誇張されてはいるものの、一部は読者自身に当てはまるかもしれないと思うと、読書中に冷汗はでるし。全体は笑っていればいいのだけど、ときに身につまされて、深く読み込むのをあえてしませんでした。いやあ、こんな感情的になる小説はめったにないなあ。
あといくつか。
・この小説の広がりはこんな感じ。文芸共同体の汚さ、卑屈さをここまで暴露するとなると、それは著者にもしんどかったのか、直後にユートピア的な文芸共同体を構想し、それが「美藝公」。10年後には今度は大学文学部を舞台に同じことをやったのだった。同人誌の合評会では互いが互いを罵倒しあうのだが、このさきに「朝のガスパール」の読者罵倒があるのだろうなあ。
・精神崩壊やスノッブの分析をこのあたりで打ち止めにして、今度は分析するべき内面のないキャラクターを描くことに興味を移す。「虚人たち」「虚航船団」「夢の木坂分岐点」など。
・途中に著者を戯画化した流行作家が登場して、文壇バーであれまくるのだが、「腹立半分日記」をみると、著者自身は若いころは編集者に書き直しを何度も命じられたリ、理由なく没にされたりする経験をしている。そのときの感情が20年ほどを経て、このように昇華され、ベストセラーにした。著者の貪欲さに驚く。
さて、1960-80年代には職業作家は高額納税者になって、中堅の作家でも専業でやっていけた。その点では、桑原武夫の提言は意味をなくしていたのだが、21世紀になると出版不況といわれて専業作家であり続けるのが困難になった。副業をもっているのはあたりまえな状態。一方で、新人賞に応募する原稿数は増加の一途。読む人(小説の消費者)が少ないのに、書く人(小説の供給者)が絶えないというのはどういうわけか。そこまで人を誘惑するなにかを文学や文壇はもっているのかなあ。
桑原武夫「文学入門」