odd_hatchの読書ノート

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藤木久志「刀狩り」(岩波新書)-2 秀吉のあと明治維新と占領軍による2回の刀狩りがあった。

2024/08/01 藤木久志「刀狩り」(岩波新書)-1 秀吉の刀狩りは民間の武装解除ではなく、武士の特権の押し付けと身分制の強化。 2005年の続き

 

 秀吉の刀狩りは武装解除ではなかったし、農民町民から武器がなくなることはなかった。帯刀は成人男性の名誉であり尊厳であった。日本人は中世以来ずっと武器を手放さず、紛争解決の手段に使ってきた。秀吉以後はどうか。ここで著者は(他の研究者の示唆を受けて)、日本で刀狩りが3回行われたとみる。秀吉、明治政府、マッカーサー(占領軍)によるもの。秀吉より後の施策の目的や成果を検討する。

Ⅴ 徳川の平和、刀狩りの行方 ・・・ 幕府や大名が農民や町人の武装解除を目指して刀狩りを行った様子はない。禁止令はでているが、それが徹底された様子はない。むしろ、武士とそれ以外を見分けるみかけ・外見に対する細かい規定をしていた。刀のほかに髪、ひげが規定されていた。それは刀が人々のアイデンティティにかかわり、戦国時代に戻らないという意思があったため(と著者は見る)。それでも町人も農民も帯刀をやめない。村の鉄砲は超獣害対策の農具として所持が認められ、戦国時代よりも数が増えた。大名と農民は鉄砲を一揆で使わない、人に発砲しないという了解があり、幕末のころでも守られた。しかし19世紀半ばになると、農民一揆に悪党がまぎれたり、大名が組織した農兵に武器を渡しいたりして、しだいに一揆に鉄砲が持ち出されるようになった。
(帯刀が日本人のアイデンティティに深くかかわっているのを確認。江戸時代、武士以外は刀を持たないのは思い込みなのだな。そういえば、歌舞伎の影響にある時代劇でも任侠やくざが刀をもっていたり、按摩が居合刀をもっていたりしていた。また一揆がおきて村に略奪強盗などが起きると、村人は武装して一揆に対処することもあった。自警団の始まりをここにみてもよさそう。未読の大日方純夫「警察の社会史」によると1905年の日比谷焼き討ちのあと、民衆の警察化が進められたそう。)
(著者が重要とみるのは、領主と農民(農工商)の間に武器制御の作法があり、権力との合意があったこと。権力が上から抑圧しようとしても、アイデンティティにかかわることは簡単に捨てることはできない。権力はわかっているから、制御の作法を共有することで合意を取り付けていた。その関係があるから、一揆が頻発しても武器が使われることはめったになかった。一揆を起こすと首謀者集団が処罰されたが、それも合意に含まれていた。封建制が単なる抑圧ではなく、双方の合意と納得で成り立っていた制度であったわけだ。でなければ250年続くわけはない。)

Ⅵ 近代の刀狩りを追う ・・・ 近代になってから二回の刀狩りがあったとみなせる。ひとつは明治政府によるもの。1868~1876にかけて、武士の苗字帯刀の特権廃止、散髪の自由、廃刀令、鉄砲取締令などがでた。公然たる帯刀は禁止されたが、所持は認められた。これは帯刀の特権を軍人・警察・(上級)官吏のみに認めるものだった(大礼服を切るような国家行事や皇室行事では帯刀が正装とされた。本書には書かれていないが、天皇と皇族も帯刀特権をもつ)。その代わりに、大多数の武士の特権を撤廃し、武士とそれ以外の身分をなくすことになった。明治政府は国民皆兵を理想にしていたので、武器は国家が所持管理し、国民は非武装化する理想があった。でも実態は以上。多くの人は日本刀を所持していた。明治初期の政令は1900年の治安警察法や行政執行法に引き継がれる。
 その次はWW2敗戦後の占領軍政策。ここで民間の武装解除が初めて目指され、占領軍は警察に銘じて銃刀類を回収した。占領時に軍人・警察・上級官吏の帯刀特権も失われた。美術品の日本刀は所持が認められたが、多くの名品も失われたという。占領終了後も、日本刀を所持することは可能で国内に数万本が流通保管されているらしい。その一方、占領が解除されても、日本人は武器を所有しようとはしない。紛争の解決に武器を使用するのはやめる、そのためには所持しないというのが国民のコンセンサスになって定着した、というのが著者の考え。戦前生まれの著者らしい見方。
(俺からすると、軍人・警察・上級官吏ら権力者の大衆嫌悪や民衆不信が敗戦によって強くなって、民間の非武装化を強力に進めたことも影響していそう。その口実になったのが、組合運動と共産党の活動。ときに警察や機動隊がデモ隊に圧倒されたことがあった。その恐怖は警察や官僚には染みついているはず。そこで起きた暴力事件をプロパガンダに利用して、武器所持を非合法と思わせるようになった。昭和40年代に新左翼武装闘争をした時、銃砲店襲撃で猟銃が奪われたことがあった。その後、銃の所持を厳しくして、新規所持ができないようにした。その結果、21世紀には獣害を駆除する猟師が圧倒的に不足している。農業林業従事者を減少させる政策も保有する武器を減らす目的があったのかもと妄想。)

 

 著者によると、秀吉の刀狩りの研究は2005年時点で60年以上行われてこなかった。そのために秀吉の刀狩りは民間の武装解除であるという俗説が疑われることがなく、受け入れられてきたという。自分が読んできたのもそういうものばかり(でも時代劇や歌舞伎で町人・農民が刀を持っているのに疑うこともなかったというぼんくら)。
 日本の民衆・人民・大衆はいつ武装解除され、武装に嫌悪感を持つようになったかに着目すると、それほど古いことではなかった。決定的なのは占領と反共プロパガンダだったということになる。その前駆には、明治政府による百姓一揆の大弾圧があるだろう。江戸幕府百姓一揆に対して融和的な政策をとってきたが、明治政府は大衆を嫌悪し、仮借ない弾圧を加えた。そのあとの自由民権運動もそう。この鎮圧で大衆蜂起の意欲が薄れる。日露戦争の愛国ナショナリズムの高揚で、右翼の暴徒が現れた。明治政府はこれも恐怖して大弾圧を加える(で大日方純夫「警察の社会史」につながり、民衆の警察化が進む)。こういう経緯が武器嫌悪になり、WW2の戦争体験で強化され、マッカーサーの「刀狩り」を受容していったのだろう。このような精神が起源を実際よりずっと前にした「神話」が秀吉の刀狩りに対する古い評価。権威に盲従する精神が始まったのがずっと古いということで、伝統や歴史にして合理化したのだろうね。
 俺はこういうストーリーをみたくなるが、著者は明治維新後も権力と大衆の了解があったとする。甘い見方だと思うが、まあいいでしょう。

 

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