odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 4」(光文社古典新訳文庫)第4部第12編「誤審」(承前) 否定する人=ヨーロッパは破滅し、肯定する人=ロシアは苦痛を受け入れる。

2024/09/10 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 4」(光文社古典新訳文庫)第4部第12編「誤審」 ミーチャへの告発と弁護が交錯する法廷シーン。探偵小説マニアにはたまらない。 1880年の続き

第11編「誤審」(承前) ・・・ 前の章まででキャラクターがそわそわしていたのは、この日の裁判で証言に立つことになっていたため。どのような証言をするかを考えていた。自分の体験をそのまましゃべればよいのにと思うが、被告ドミートリーを擁護するのか告発するのかの態度表明するのが問題なのだ。
 証言は、ラキーチン、精神鑑定医、アリョーシャ、カテリーナ、グルーシェニカ、イワンの順に進む。途中スネリギョフも呼び出されたが泥酔状態のため、そうそうに引き揚げさせられた。イワンの証言は重要。というのは、彼はドミートリー有罪を主張するつもりであると公言していたが、なんと翻した。それも退廷直前に。3000ルーブリを包んだ紙包みをだし、スメルジャコフから受け取ったものだという。「あいつが殺し、わたしが殺しをそそのかした。親父の死を希望しない人間なんてどこにもいるもんだ」。そしてスメルジャコフから聞いたことを説明するが、誰も信用しない。というのもイワンは興奮して錯乱状態になり、制止しようとした廷吏を暴行して退廷させられたからだ。
(イワンの幻覚症はさらに進行していて、ほとんど神がかりな状態になっている。スメルジャコフがフョードルに一番似ているのはイワンだといったが、物語が進むにつれてその通りであることがわかってくる。)
 検事の論告が始まる。彼は「カラマーゾフの兄弟」一家の精神分析を行う。それによると、フョードルはペテン師で道化師で女好きで育児放棄をするもので、公民の反対であり社会からの離反者、完全に敵対的であるとする(俺はまるでドスト氏からみたロシアそのものかと思った)。イワンは否定する人で、気がふれていて、ヨーロッパを体現している。アリョーシャは臆病な絶望とナイーブな理想主義の持主、でもその民衆原理は神秘主義や排外的ナショナリズムに近しいとくぎを刺す。
(この指摘は続編の伏線になるだろう。ことにアリョーシャが神秘主義愛国主義などの全体主義運動に親近性を持っているという指摘。これにナイーブな理想主義が加わると、テロルやジェノサイドを実行しかねなくなるのだ。すでにテロルの気分を持っているコーリャをアリョーシャは制御できるだろうか。)
 検事の見立てによると、ドミートリーはロシアを体現した人物。「両極端をいっしょくたにし、二つの深淵を同時に眺める」。軽薄でだらしなく凶暴で弱い。高潔で寛大であり、高邁な理想を持つ。父フョードル殺しはこの両極端が同時に現れたのだという。計画的でありながら、その場で動転して、めちゃくちゃな行動をとる。
 スメルジャコフは頭は弱いが教養はおぼろげにあり、背負いきれないほどの哲学を吹き込まれていた。イワンを自分の保護者のように見立てていた。彼を犯人とする意見があるが、そのようなことができたとは思えない。
(検事イッポリートは合理主義者で心理学者。でも事件のかかわりが深くないので、ポリフィーリー@罪と罰のような本質直観を働かせることはできなかった。ラスコーリニコフの事件と比較をすれば、匿名で生きられる都市と実名をだれもが知っている田舎、計画的な犯罪と激情で起こした突発的犯罪の違いのせいか。それよりもここでは検事イッポリートが小説の批評家であることに注目。兄弟たちが交わした神学論や世界の救済、許しの可能性などの議論(象徴界のテーマ)はわきに置いた表層のできごとを相対化し、位置づけていく。彼の見立てによって「カラマーゾフ」的なものやことが整理された。)
 これに対するのは弁護士フェチェコーヴィッチ。兄弟とカテリーナが費用を負担して招聘した辣腕弁護士。彼も心理学的推理を行う(そういえば、19世紀後半は精神分析の前の心理学の時代だった。遺伝決定論などのトンデモに近い主張もあったが、現代の心理学でも使われる概念がすでに出そろっている)。検事はドミートリーの心理や性格が説明したとおりであるから犯人であると断定したが、弁護士はそれゆえに犯行を犯していないのだとする。父殺しをしながらグリゴーリー老人にとどめを刺さなかったのは不可解であるとか、金はどこにもなかったとするとか。それにフョードルは父とは呼べない下劣な男であることも斟酌しべきで、ドミートリーがしきりに父殺しをいったのは実行する決意がなかった現れであるとする。そしてスメルジャコフ真犯人説を支持し、最後にはロシアの良心を発揮するよう陪審員にお願いする。この大演説は真相を知っている読者からすると詭弁なのであるが、それでも圧倒される。ことにロシアの良心を期待する結部において。このようなナショナリズム喚起によって動かされる感情は神秘主義や排外主義に近づく。
 しかし一時間の評決は「有罪」であった。ドスト氏はどのような人が陪審員であったかを書かなかったので、傍聴人の気分と異なる結論に達した過程はわからない。映画「十二人の怒れる男」のようなドラマがあったのかもしれない。

 

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2024/09/06 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 5」(光文社古典新訳文庫)エピローグ カラマーゾフの兄弟はまたバラバラになる。13年後の再開を待とう。 1880年に続く