odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

藤木久志「刀狩り」(岩波新書)-1 秀吉の刀狩りは民間の武装解除ではなく、武士の特権の押し付けと身分制の強化。

 2023年にNHK高校講座日本史(NHKラジオ第二)を聞いていたら、「秀吉の刀狩りは農民の武装解除のために行われたのではなく、身分制の固定のために行われた」と解説していたので、あわてて本書を手に取る。これまでは農民は武装しておらず戦闘はできないと思い込んでいた(堀田善衛「海鳴りの底から」、黒澤明七人の侍」など:本書にあった事例)。でもそうではなく、村の人は武装し戦闘に長けていたという(そういえば明智光秀を討ち取ったのは落ち武者狩りの村人だった)。そうなると真偽を確かめるには、中世から近世の農村と権力の関係を明らかにしなければならない。本書によると刀狩りの研究は戦後行われてこなかったので、古い見方がいまにも残っているとのこと(2005年初出時の様子)。
 自分の関心によせると、農民や職人、町民が武装していたかどうかは武士道の普及に関係していると思う。刀狩りの目的と成果を判明することは、日本精神史の重要問題なのだ。

Ⅰ 中世の村の武力 ・・・ 日本中世の村と農民は武装して、法と習俗を作り、日常的な問題解決や非常事態に対処してきた。野獣害獣の駆除、隣村などとの権利争い、村内の盗み・放火・殺人の処理などに武力を使ってきた(弓矢、鑓、鉄砲など)。村にはサムライもいたが、耕作にを行わず、戦闘(実際は追いはぎに近い)にいそしんでいたので、村の治安や保安には武装した村人自身があたった。時には、領主は農民に武装して兵士になることを要求していて、武器は自弁だった。刀を持つこと(帯刀)は聖人した男の印で人格と名誉の表象。刀を受け渡す儀式は成人儀礼であった(古い時代は烏帽子の授与であったが、戦国時代ころに帯刀式に代わる)。成人男性は日常的に、仕事の最中も台頭していた。刀の種類が異なるので、武士との区別は容易。
(この記述だけで即断するのは危険だが、どうやら当時の領主やサムライは村や惣などの農村共同体の治安や調停を行ってこなかったようだ。全てのサムライが耕作を行わなかったとはいえないが、サムライ自身は農民と違うという意識はあっただろう。サムライは刀に名誉と尊厳を感じていたが、農民ですら刀をアイデンティティにしていたのは驚き。農民でも、他人の帯刀を奪うのは死罪になるような侮辱・名誉棄損行為だったのだ。)

Ⅱ 秀吉の刀狩令を読む ・・・ 1588年にでた秀吉の刀狩り令の目的と結果をみてみよう。刀狩り令は大名や領主あてに公布された。大名や領主に対しては刀狩りを実施する説得のマニュアルとして機能。ここで秀吉の命令が大名の私戦や領土争いを停止させ、秀吉が領土争いの調停をするという体制になった。平和を実現する代わりに、自決権を否定した(刀狩り令と同時期にこのような裁定が行われ、戦争によらずして天下一統が実現する)。百姓は帯刀に名誉と尊厳をもっているので、武器(刀、脇差、鑓に限る)を召し上げる際に理屈が必要。そこで百姓には、耕作に専念すれば現生利益がでて、差し出した武器は大仏の材料になって来世御利益が出るとした。京都の僧兵がいる寺山でも同様の刀狩りが行われ、平和裏に刀の供出が完了。
(秀吉は戦争の原因が領土争いにあるとみて、その原因解決をより上位の権力で行うという風に変えたわけだ。藩や荘園の上の権力を作って帰順させる方法。これで中世の地方権力が否定されていくのだね。)

Ⅲ 刀狩りの広がり ・・・ 刀狩り(サライ、借などさまざまな表記)は全国で行われた。接収したのは主に刀と脇差で、武装解除を目指していない。帯刀できるものとそうでないものを峻別した。獣害対策などで、鉄砲、槍が必要と認められる場合は、免許制にした。
(刀狩りは武装解除を目指していない。帯刀できる身分とそうでない身分を分けることになった。それも含めて地方の領主・大名の決裁権が縮小した。)

Ⅳ 秀吉の平和 ・・・ 秀吉は村や惣の紛争を武力で解決しようとする中世のやり方を改め、平和をもたらす施策を実行した。海にあっては海賊停止(ちょうじ)令1588年、村にあっては浪人停止令1590年、同様に喧嘩停止令である。これらに見られるのは、浪人や海賊が定住せず定職がなく村その他の境界を越えて移動し刃傷沙汰を起こし武力を用いるのを禁止する。身分(と職業)の制御、非定住の禁止。村や集団の紛争(これを喧嘩とする)も当事者集団の武力で解決するのではなく、秀吉の管理する組織が裁判を行って解決する。この平和施策は徳川幕府にも引き継がれ、家光の時代ころに成文化された。
(なるほど、中世の非定住者による騒乱をなくすために、身分制と移住の禁止が行われたのか。自決権や帯刀権を取り上げる施策を受け入れたのは、戦争はこりごりという庶民感情の現れであるわけか。)
(非定住の禁止は秩序と安定をもたらすが、その反面で流浪者・非定住者・異邦人に対する嫌悪や憎悪をもたらす。日本の差別の多くは近世に起源をもっているようだが、その理由に秀吉や徳川幕府の社会秩序安定の施策がありそう。)

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刀狩りは日本だけの政策のように思われるが、16世紀の秀吉より前の12世紀ころに行われた事例がある。そこでも農民や市民(中世都市の住民という意味)の武装権は否定されたが、武器の所持は認められた。また旅などの移動中の携帯所持も認められた。武装禁止はあくまでフォーマルな場での禁止であって、身分を知らしめるための処置だった。西洋の武装禁止令と同じ性質は日本の刀狩りでも見られた。

 

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2024/07/30 藤木久志「刀狩り」(岩波新書)-2 秀吉のあと明治維新と占領軍による2回の刀狩りがあった。 2005年に続く