odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

埴谷雄高「ドストエフスキイ」(NHKブックス)-1 いまだに周期的に読まれる「異常な時代における異常な作家」。

 すでにみたように埴谷雄高ドストエフスキーに震撼された作家。
2021/06/24 埴谷雄高「文学論集」(講談社)-1 1973年
 1965年にNHKラジオで「人と思想」を放送したので、その講演に加筆した。参照したのは、米川正夫の「研究(全集補巻)」。
2019/11/26 米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-1 1958年
2019/11/25 米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-2 1958年

成長する作家 ・・・ 「異常な時代における異常な作家」で、異常な体験と異常な体質。いまだに周期的に読まれるのは、これらの特質が人間性の深い観察と理解を表現しているから。
(日本では最初の紹介から「罪と罰」が読まれてきた。最初のうちは「死の家の記録」の評価が高く、戦後は「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」に関心が向かったとのこと。翻訳事情があるのと、インテリの逮捕経験の有無が関係しているのだろう。)

幼年時代の魂の形成 ・・・ 「憧憬に充ちた明るい輝き(母の教育、兄との自然体験)」と「奥底もわからぬ暗い謎(アル中でDVの父、その暗殺)」。

青春時代の精神の形成―「貧しき人々」 ・・・ 文学青年のドスト氏が読んだのは、ホフマン、バルザックゲーテ、シラー、ユーゴ―、プーシキンゴーゴリレールモントフなど。デビュー作の成功と作家的な停滞。

ペトラシェフスキイ事件、シベリア、「死の家の記録」 ・・・ ペトラシェフスキイ事件、死刑執行(恩赦)、シベリア流刑。原卓也ドストエフスキー」(講談社現代新書)を参照。この体験に基づく「死の家の記録」は、ロシア・リアリズムの正道で、緻密な観察者(19世紀はここで評価された)。のちに「徹底的な懐疑家」になる。

苦悩の準備期 ・・・ 1850年代半ば以降。最初の結婚(のちの小説にでてくる緊張した男女関係に影響している)、兄と雑誌「時代」刊行(スラブ派の主張を鮮明に)、最初のヨーロッパ旅行(幻滅と嫌悪)。

作家の変貌 ・・・ 1863年、愛人ポリーナと二回目のヨーロッパ旅行。賭博。三角関係でどろどろ。徹底的な懐疑家として書いたのが「地下生活者の手記」。「苦痛は快楽である」にまとめられる時代や常識に対するアンチテーゼ。

罪と罰」 ・・・ 1864年。「罪と罰」着手。途中「賭博師」執筆のために雇った速記者と結婚し、3回目のヨーロッパ旅行。「罪と罰」ではスヴィドリガイロフに注目。夜と夢幻の暗い部分を代表し、ラスコーリニコフ存在論的分身である影の主人公である。ラスコーリニコフは、ソーニャに魂の部面で、ポリフィーリィと理論の部面で、スヴィドリガイロフと夢幻の部面で対立する。本作では苦悩による償いがテーマで、キリストと反キリストが同格であると示される。
(英雄論や殺人許容論をぶつラスコーリニコフではなく、スヴィドリガイロフに注目するのがいかにも埴谷らしい。なるほど、「死霊」の首猛夫、高志の前に現れる死霊はここから生まれてきたのだ。アンチテーゼを言いまくって認識を深める役回り。)

 

 引用がたくさんはさまれる。小説の抜き書きのほかには、「作家の日記」の抜粋や二回目の結婚相手が残した回想録など(上記米川の本からなのだろうか)。番組ではみな朗読したのだろうか。そうすると、埴谷自身の感想はあまりない、ということになる。
 前半は通俗的な読解と生涯の解説。でも「罪と罰」になると、アレレと言わざるを得ない。当時の読みの代表は米川正夫が全集や文庫に収録した解説なのだが、そこに書いてあるようなことはほとんど出てこない。上のようにスヴィドリガイロフの夢幻の対立にこだわる。

 

 以下は独り言のメモ。
 自分がドストエフスキー(にかぎらず小説全部)の感想に「実存」「人間の本質」と書かないのは、それらがあらかじめ有ることを前提にしてその痕跡を小説に見つけることが論点先取というかトートロジーになっていると思うから。それらが有って言語化できているのなら、わざわざ個別の小説にみつけることはしないでいいでしょう。それらが有ることを見つけることが小説を読むこととは思えない。まあそれらが有ると考えることはプラトンイデア論みたいな形而上学
 あと、いわゆる実存主義が考える「実存」や「人間の本質」は、普遍的超歴史的な人間のありかたではないと考える。ハイデガーの「ダス・マン」もアーレントの「モッブ」も、資本主義と植民地支配が組み和された帝国主義国家の人びとだ。そこから抽出される「実存」も社会の制約を受けている。なので普遍的概念として個々の小説に当てはめていくのは危険。ドスト氏が想像したキャラは「ダス・マン」や「モッブ」に近しいし、その概念を先取りする特長を持っているけど、それ以前に帝政ロシアの住民であることに注意しないとドストエフスキーの小説を読み誤るでしょう。
(たとえば江川卓の「謎とき」のような発想や読み方が出てこなくなる。)

 

原卓也ドストエフスキー」(講談社現代新書→ https://amzn.to/3WT2Pq8
埴谷雄高ドストエフスキイ」(NHKブックス)→ https://amzn.to/3YE2rxn
加賀乙彦ドストエフスキイ」(中公新書)→ https://amzn.to/3AcFWW1
加賀乙彦「小説家が読むドストエフスキー」(集英社文庫)→ https://amzn.to/4frVntD
松本健一ドストエフスキーと日本人」レグルス文庫→ https://amzn.to/4c9XyiF https://amzn.to/46EloSy
江川卓ドストエフスキー」(岩波新書)→ https://amzn.to/4drnGGw
中村健之介「永遠のドストエフスキー」(中公新書)→ https://amzn.to/4dxGDHG

 

 

2024/08/29 埴谷雄高「ドストエフスキイ」(NHKブックス)-2 ドスト氏に震撼させられた作家によるちょっと目のつけどころが違う作品解説 1965年に続く