odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1 ドスト氏の地下室に孤独に引きこもるキャラは、社会の問題から解放されて(引き受けなくてもいいことにして)、孤独な人格の問題を取り上げることに専心する。

  レフ・シェストフ(1866年2月12日(ユリウス暦1月31日)- 1938年11月19日)はロシア出身、ドイツに住んだ哲学者、文芸評論家。本書によるドストエフスキー読解は戦前の若者に大きな影響を与えたという。そういう歴史的な古典を、古本屋で河上徹太郎訳の文庫で手に入れたので、読む。

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序 ・・・ はなはだ要領を得ない文章。ドイツ観念論の系譜はこんなに無内容な文章を書くものなの? 「悲劇の哲学」のさすものは何かわからないが、哲学は科学(と同じ客観性をもつ)となり、自己変容を目標にしている一元論。芸術家の無意識的創造(の方法)を観念化しよう、そんな感じ(哲学と科学を一緒にする一元論を構想したのは同時期のエルンスト・ヘッケルもだった。当時のはやりだったのか?)。気になったのは、健康-病気、正常-異常、天才-狂気の二分法があること。ニーチェも好んだこの二項対立は当時(19世紀末)の流行りだったのかな。

ドストエフスキー ・・・ 図式的にこの論文をまとめてみる。1840年代にプーシキンゴーゴリネクラーソフ(彼らはロシア文学を立ち上げた最初の世代)の亜流としてドスト氏は作家になった。楽観主義で現実を皮肉ったり、感傷的な物語を書いたり。1850年代にシベリア流刑になって、考えが激変。それまでに依拠していた西洋・ヨーロッパ(文学、科学、自由主義、理性と良識、善と悪、「水晶宮」など)を一切信じられなくなる。さらに収監されていたことによる屈辱、辱められ虐げられている人々の存在と彼ら実情を知るに及び、「地下室」の思想を構想する。すなわちヨーロッパ的なもの・ことへのほぼ全面的な否定、せめて人間らしくあれという人間の尊厳の尊重(ただし人権の確立には無関心)、理性よりも心理(というより屈辱から生じた信念や信仰)の強調、孤独な人格を囲む「壁」との格闘。テーマはエゴイズム。地下室にいることで、孤独に引きこもることで社会の問題(隣人、人類、文明、俺が加えると社会と倫理)から解放されて(引き受けなくてもいいことにして)、孤独な人格の問題を取り上げることに専心する。ここらの変化はペテルブルグ帰還後の「死の家の記録」「虐げられた人々」「地下室の手記」で熟成され、後期長編に結実する。なるほど、ドスト氏の「地下室」の思想は社会や信仰の悪を告発するには優れた方法。様々な罪びとを摘出し、表現し、彼らを裁断することに極めて優れた手腕を発揮する。でも、悪や悲劇を描いたのちの後の物語を作ることができない。「罪と罰」が終わったところから、「大審問官」が終わったところから始まる希望や更生をかけなかった。それはドスト氏が「何をなすべきか@チェルヌイシェフスキー」の問題に身を投じないから。「地下室」の住人は社会投企(アンガージュマン)する契機をもたないから。というのも、社会を断罪する罪びと(ラスコーリニコフやイワンや大審問官など:いずれも無神論者の系譜にある人で、ドスト氏は無神論者を罰する)は、自分が真実を持っていると思うが民衆はそれを知る必要を感じず、民衆と乖離しているうえに、彼らが民衆の教師になろうとすると何も言うことがない、指導や啓発することができない。それでいて彼ら罪びとは人道の功労者であると自認している。そのような矛盾を解消できずにいて、ときに自覚しているのか民衆の不幸をなくすために恐怖・苦痛・戦争を認めてしまう。これらが「地下室」の住人の「悲劇(タイトル)」に他ならない。
1903年に書かれたもので、古すぎると思ったが、そうでもなかった。途中にトルストイ論が長く挿入されたり、カントの「物自体」などのドイツ哲学の話が出てくるのはご愛敬。そこらは適当にすっとばしました。いろいろ啓発されるところがあって、「地下室」の思想が図式化されていて、なるほどと思いました。シベリア流刑体験は、死刑宣告からの帰還という特異な事件にあるのではなく、ヨーロッパ的なもの・ことの否定であるというのは自分もそう考えていたので納得(本書を10年前に読んでいたので記憶が残っていたのかもしれないが)。「地下生活者の手記」「夏象冬記」でみられる「自由・平等・世界同胞(米川正夫訳)」の無理解や科学と資本主義の批判がでてくるところがそれ。都市のエリートが監獄にいって、社会のさまざまな階層にもみくちゃにされ、自分が無視され孤独になるという経験のうちに、若い時につけた流行思想に対する批判者になった。そういう「転向」はよく見られること。それは継続していて、知識人と大衆、エリートと民衆の二項対立はのちまで続く。とくに「大審問官」の知識人批判のところにあるというシェストフの分析は説得的。シェストフの時代をみると、労働運動・共産主義運動の高揚で、まさにそれが問題にされていたのだし。
 あと、ロシアという非西洋が西洋にどう見られていたかも重要。1840年代はロシアは西洋の投資先(商人シュリーマンの事業先)で、ロシアは西洋の科学や技術の吸収につとめていたが、ドスト氏が娑婆に戻ってきた1860年代にはロシアとトルコの戦争が西洋の非難を浴び、ロシア人がヨーロッパで嫌悪されていた(「賭博者」にみられる)。これもまたドスト氏のものの見方に影響をあたえ、コスモポリタニズムからナショナリズムに傾斜していたとみていい。さらに封建国家、絶対王政国家に対抗するとき、ヒューマニズムナショナリズムは手を携えるから、人間の尊厳の尊重と国家主義は両立する。ドスト氏の考えが近代国家にいるものからは奇妙に見えるのも不思議ではない。
 昭和の戦前時代に本書は、ドスト氏読みの若者に熱狂的に受け入れられたという。「シェストフ的不安」という言葉も流行ったとか。その読みがよくわからないのは、本書では孤独や焦燥、限界状況などの実存哲学のような議論はほとんどされていないこと。ドスト氏の「地下室」はみずから引きこもり社会に背を向けているのであって、国家の弾圧や社会の差別にあっているわけではない(「地下生活者の手記」やラスコーリニコフ罪と罰など)。理想と希望を喪失した(と思い込んでいる)のも自らの意思にある。なので、戦前の若者の読みはよくわからない。手元に河出文芸読本「ドストエフスキー」1972年があるけど、収録されている論文がほぼそういう読みのようなので、読む気が起きないのだよなあ(追記。読んだ)。忖度すれば、1930年代の軍国主義で、世の中が西洋批判になり、「近代の超克」などがいわれていた時に、ドスト氏のヨーロッパ嫌いに共感したのではないか、と。)


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2019/11/21 レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-2 1903年に続く

レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-2 社会に背を向ける行為は、全体主義やファシズムに取り込まれることになる。この評論はその区別を読者は付けられるかの試金石になりそう。

2019/11/22 レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1 1903年の続き

 

 続いて後半の論文。

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ニーチェ ・・・ ニーチェもまたドスト氏と同じく苦悩と罪人を考えた人。その思想の経歴には似たところがある。ドスト氏のシベリア流刑のように、ニーチェは師であるワーグナーショーペンハウエルと決別した。彼らの影響下にあった「悲劇の誕生」を否定し、「人間的な、あまりに人間的な」によって二人の師を批判する。この転回から孤独と懐疑の内にあり、諸観念の代わりに「無」を見ることになった(あと、訣別後に現れた病気や神経症、不眠が関係している)。
(俺はニーチェをそれなりに読んだが、シェストフが注目するような「生」の哲学には全く興味をもてなかった。「永劫回帰」もよくわからない。俺にとってニーチェは、形而上学の批判者、近代の批判者であることが重要(なので「権力への意志」が面白かった。激烈なソクラテス批判の「偶像の薄明」も)。ワーグナーに関心のあったところから、音楽批評の文章も好んだ(「人間的な、あまりに人間的な」「ワーグナーの場合」「ニーチェヴァーグナー」)。
 でも、哲学は俺には合わないと判断して、ニーチェの本は処分した。その結果、高校時代に買った、色あせたニーチェの本が書棚から消えたら、部屋がいきなり明るくなるように思えた。気分が軽くなったのだろうな。それ以来、ニーチェには無縁なので、この論文はとても退屈だった。後半は全部すっとばしました。ニーチェの章だけ阿部六郎(阿部次郎@「三太郎の日記」の弟)の翻訳だったのが、合わない理由のひとつかも。この人の翻訳だと文意をとれない、という責任転嫁。)

虚無からの想像(チエホフ論) 1908 ・・・ 1904年に44歳で亡くなったチェホフの作品と作家論。自分はほとんど読んでいないので、骨子だけ。チェホフは絶望の詩人で、テーマは罪悪。チェホフの人物は、免れない死・解体・腐敗・絶望などの解決できない問題に引き付けられ、哲学や理想主義を馬鹿にし、孤独や絶望を感じていて何もできないし他人も助力できないと思っている。なので現実を受け入れることも拒否することもできず、床や壁に頭を打ち付けるしかない。他人に助力を壊れても言えるのは「わたしにはわからない」。そういう寄生的人物。なのだそうだ。チェホフとその人物たちは、絶望・孤独という「虚無」にいてそこからなにかしようとするので、評論のタイトルがついた。
(わずかに読んだのが、探偵小説のパロディ「安全マッチ」だけで、この小品では明るいのだがねえ。)

 

 シェストフの方法は、1.作家論の形式化(初期に依拠した理想や思想に懐疑を持ち、展開する重大な出来事があり、その後は構築するのではなく解体するような仕事になる)、2.内面や心理の重視(哲学や理想主義を重視しない)、3.社会状況を無視、あたり。シェストフにかぶれた人はこれを他の作家にも適用しようとした。たとえば、夏目漱石の転換点を修善寺の大患に見て、前後で思想の変化があるというような。まあ、作家の生涯は様々で、そういう転換点のない人が大半であるから、シェストフの方法だけ真似してもだめだということになる。
 社会状況の無視もまた困ったことで、たとえば19世紀後半は科学的なペシミズムが流行った時代(太陽や地球に終わりがある、宇宙のほとんどは真空、宇宙は熱的死を迎える、など)であった。あるいは生気論も流行って、生命に宇宙的目的があるなどのオカルトと紙一重の生物哲学があった。ヨーロッパの領域内で帝国主義国家間の戦争があり、とくに英ロの対立、プロシャの新興が脅威であったなど、社会不安の時代であった。労働組合運動や社会主義運動がおきて、都市は不安であった(数度のパリ革命など)。そのような背景があって、ドスト氏やニーチェ、チェホフの不安や懐疑が生まれ、深刻になったと思うのだが、そこらを捨象して個人の内面の問題に還元するのはどうかと思う。
 この論に影響された人たちへになるが、思想や理想に裏切られたと感じ、社会のありかたに絶望を持って、自分は孤独でなにごともなすことはできないと思い込む「地下室」の人や壁に頭を打ち付ける人の在り方は、カッコ悪い。みっともない、だらしない。ここは重要。社会変革や思想に期待しないのは勝手だが、それを吹聴したり他人を軽蔑・冷笑するのはやめてくれ。こういう「地下室」の人は、

「理想主義に闘うには軽蔑によらねばならない(P272)」

を実践するのだろうが、ファシズム軍国主義の理想主義には無効です(やつらは軽蔑を理解できないし、おのれを恥じることがない)。
 それに「地下室」の人や壁に頭を打ち付ける人からは社会の共通善、公共善という考えが出てこない。せめて人間らしくを要求するが、そのエゴイズムの結果が犯罪や他人の権利の侵害であるとすると(ドスト氏の犯罪者や自殺者たちを思い出せ、チェホフの人物でも犯罪を犯す人多数との指摘あり)、彼らの行為をそのまま無条件で受け入れるわけにもいかない。哲学と理想(と科学)に背を向け、社会に軽蔑と冷笑を浴びせるものの内面は文学の表現にはよいだろうが(ドスト氏くらいになると圧倒される)、それを社会や生活や表現に持ち出すのは困ったもの。社会に背を向ける行為は、全体主義ファシズムに取り込まれることになる。この評論はその区別を読者は付けられるかの試金石になりそう。さすがに21世紀に読み直すほどの重要さや切実さはなくなりました。
(とはいえ、シェストフのドスト氏の作品と人物の分析は面白かったし、参考になりました。)


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河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)-1 戦後25年の間に書かれた論文で日本人がドスト氏をどう受容したかを見られる。自由や自我を抽象的な問題にした批評は全然響いてこない。

 河出書房新社が1970年代に出した有名作家の論文・エッセーのまとめ。なくなるまでに国内外の作家30人くらいが出たのではなかったかな。夏目漱石とドスト氏だけが2冊出た。需要が多かったわけだ。タイトルの「ドストエーフスキイ」は、この出版社で出していた米川正夫個人訳全集における表記に基づく。ほかの出版社では「ドストエフスキー」が一般的だった。
 収録されているのは、おもに戦後25年の間に書かれた論文(一部は抜粋)。この国がドスト氏をどう受容していたかがうかがわれる。この国のドストエフスキー受容は松本健一ドストエフスキーと日本人」(朝日新聞社)が詳しかった。

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ドストエフスキイ小伝(池田健太郎)1969 ・・・ 略伝。米川正夫の大著よりこっちがわかりやすい。

罪と罰」について(小林秀雄)1948 ・・・ この人の書いたものはタイトルの対象をダシにして「僕(小林)」のことを語っているので、あまり面白くない。気づいた指摘は、「罪と罰」でそれまでの一人称をやめて三人称になった(ということを米川も指摘。でも中編と「作家の日記」は一人称)。「地下生活者」の延長にラスコーリニコフがいる(前者40歳、後者25歳であることに注目)。第6編の自白で物語は終了したという(でもエピローグの夢を重大視するなど、構成が一貫していない)。

イッポリートの告白(秋山駿)1964  ・・・ イッポリート@白痴は内部の人間、自己自身の内部に閉ざされている。「地下生活者」の直系。(というのなら、イリューシャやリーザ@ふたりともカラマーゾフの兄弟との比較もすればいいのに。まあ、キャラクターの比較や系譜調べにはあまり意味はないけど。この人も自分語りが多くて、参考にならない。)

私のドストエフスキー体験(椎名鱗三)1967 ・・・ 「ほんとうの自由」を考える手立てとしての「悪霊」。(他人が介入できない思想・内面の自由と、他人との関わりで制約が不可欠な行動の自由をごっちゃにした議論はダメだと思う。自由を思想に限って考えて、思考の隘路から生まれる憂鬱や無関心を理由に行動しなくなるのは怠惰の言い訳だよなあ。)

ドストエーフスキーにおける「自由」の一考察(森有正)1949 ・・・ イワンとアリョーシャの会話及び大審問官を例に自由を考える。こういう自由(とくに自己の束縛を破る)を神に絡める議論はよくわからない。おれは自由は「地下室」の中で考えるものではなく、実践のなかでつかむものだと思うので。それにしても隣人とどう交通(@マルクス)するかにおいても、神を通さないといけない西洋は大変。

「地下生活者」の造反(河上徹太郎)1970 ・・・ チェルヌイシェフスキーの理想主義的社会主義に無思想で「造反(1970年当時の流行語)」する地下生活者。(ボードレールドストエフスキーは同い年なんだって。そこで「パリの憂鬱」と「夏象冬記」(にあるパリの記述)を並べる。)

「観想」としてのニヒリズム西谷啓治)1949 ・・・ 「地下生活者の手記」で、ノルマルな人間性からはみ出した「レトルト(蒸留)の人間」がかえって自己をノルマルであると自覚するという説。どうでもいい。

ドストエーフスキイと日本文学(小田切英雄)1963 ・・・ 明治20年代、大正時代、昭和10年代にそれぞれ異なる視点で読んできた。(戦後は、戦後文学の作家が好んで読んだ。そのあとは2000年ころからの光文社古典新訳文庫まで飛ぶ。)

悲劇の哲学(抜粋)(シェストフ)1903 ・・・ 第12-14章。レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1

自由(ベルジャーエフ)1922 ・・・ たぶんギリシャ正教からみたドスト氏の自由(ドスト氏はカトリック社会主義を強制的な調和とみていて、それが「死の家の記録」に典型的なドスト氏の自由を抑圧するので反対するのだという主張になる、というような説明はしっくりきた)。

小演説(ジイド)1921 ・・・ 典型ではなく個人であるドスト氏のキャラクター(これを読むと、この時代にフランスではドスト氏の人気はなかったのか?)

 

 そうじて低調な論文が並ぶ。ドスト氏の自由はいつも具体的な問題として表れる。幼児や児童の虐待、女房への暴力、農民への鞭打ち、他国人やユダヤ人などマイノリティへの排外。そこでどう判断するのか、どう行動するのか、具体的なアクションを問われる。それを批評家は抽象的な問題に還元する。そうすると、ドスト氏及びキャラクターの自由を獲得する過程の苦痛や苦悩の問題がすっぽりと抜け落ちる。上の論文を読むと、批評者のお勉強の成果の発表会に思えて、彼らはどうするかが全く響いてこない。


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