odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

中島河太郎編「日本ミステリベスト集成1戦前編」(徳間文庫) 乱歩を除いた戦前探偵小説の優秀短編をいいとこどりした入門書(もう入手困難だが)

横溝正史「面影双紙」1933 ・・・ 大阪弁と標準語のちゃんぽんで語られた商家の奇談。商い一筋の夫と若い妻。妻は歌舞伎役者と不倫していて、それが発覚したとき夫は失踪する。語りのあとのあざやかな落しで、恐怖が倍増。

久生十蘭「海豹島」1939 ・・・ オットセイのすむ無人島に派遣された技師と工夫。越冬中に一人を除いて全員死亡する。その事件の調査にきた樺太庁水産課の技師が目撃した愛憎の悲劇。最初は役人の無味乾燥な公文書、続いて技師の日記、犯人のひらがな書きの下手な文章と3つの文体を使い分け、読後の印象を深くする。

海野十三「俘囚」1934 ・・・ 1920年代のモボとモガの生態。ここでも老いた科学者と若い妻の三角関係が主題。ポオ「使いきった男」を変容したトリックはつけたしですね。

大下宇陀児「紅座の厨房」1931 ・・・ 胃弱の夫と大食漢の妻。夫の腹いっぱい食べたいという欲望がいかに悲惨な結末に至るか。O.ヘンリー「賢者の贈り物」の皮肉版。あと宮沢賢治注文の多い料理店」、筒井康隆「薬菜飯店」などの食事文学の系譜を思い出そう。あと最近の臓器移植技術の発展によって、この話はブラックユーモアとは言い切れない状況になってきた。

木々高太郎「就眠儀式」1935 ・・・ 奇妙な就眠の儀式をせずには眠れない17歳のお嬢さん。彼女の神経症をたどることによって、犯罪の進行が発覚する。科学者が探偵小説を書くと、解決編は論文のサマリになってしまう。

妹尾アキ夫「人肉の腸詰」1927 ・・・ 堕落した高等遊民(彼はポマードで髪を固めているが、それがモボのファッションになったのは1920年代のこと)が新聞の3行広告に目をつけた。彼はある屋敷から古い手紙を盗み出す依頼を受ける。ルパンにはなれない素人に驚愕の試練が訪れる。この時期、牧逸馬なんかが犯罪実話を書いていて、その反映を見ることができる。

地味井平造「煙突奇談」1925 ・・・ 銀座から見える菓子工場の煙突から二本の足が見えていた。身元不明の西洋人の死体がそこに突き刺さっていたのだった。真相を知るという青年が語る飛行術を会得した西洋の老人の話。重力から逃れたいという欲望がこんな空想譚を描く。

渡辺温「嘘」1927 ・・・ ここでも舞台は銀座。銀座を散歩するのが趣味の青年がおかっぱの貧乏そうな少女を見つける。彼女に語るうそがさらに嘘を招き、淡いロマンスになる。銀座という当時最先端の繁華街の雰囲気を味わおう。

水谷準「屋根裏の亡霊」1936 ・・・ パリから帰郷する新聞記者がモスクワで蓬髪の老日本人と出会う。彼は老婆殺人事件で終身刑を受け、獄死したはずの黒田博士。彼の語る事件の真相は? これから数十年後の矢吹駆が体験することになるのと似たような陰謀が隠されていた。

浜尾四郎「殺された天一坊」1929 ・・・ 講談の大岡裁きを再解釈する一編。ポイントは、知性や論理が個人の才覚に納まっているときに、無謬であることはできない。とくに、政治の場においては一回の決断はのちに覆すことができない。それが己の信じる知性と論理を裏切ることになるということ。それが誠実とか倫理の場において自分を苦しめる原因になる。近代はそのような個人の錯誤とか思い込みとかを排除できるような仕組みを作ることでもあったのだなあ。語り手は大岡の側近で、この種の問題を深く考えることはなく、たんに彼の外観を描写するということで、この悩みをうまく引き出すことができた。

甲賀三郎「状況証拠」1933 ・・・ 疑わしきは罰せずを実行しようとする弁護士。彼の担当した事件はともにクライアントを無罪にするものであったが、密室でガス中毒死をとげる。そして弁護士の家の身辺で不振な出来事が起こり、真実が発覚する。もったいないなあ、これは長編にしたほうがよかった。事件の詳細を語るところは新聞記事を読むようで、なんとも味気ないだけに、じっくりと事件を描いたほうがよいと思う。

角田喜久雄「蛇男」1935 ・・・ 酒場で知り合った老人の一言から不安を醸造されていく男。やみくもな行動がさらに恐怖と不安をあおり、クライマックスに至る。一人称の怪談はこんな風に現実と妄想の境をとっぱらっていくのだが、それがこの時代では新しかった(のだと思う)。

渡辺啓助「屍くずれ」1937 ・・・ 炭鉱事故で命を取り留めた男とその妻。包帯で顔を隠しただけでなく、性格の一変した夫に妻は恐怖におののく。夫の隠している秘密とは? 途中から視点が男の側に移ってしまったのが残念。妻の視点にこだわっていたら、アイルズ「レディに捧げる殺人物語」になったはず。

小栗虫太郎失楽園殺人事件」1934 ・・・ 湯の町Kのはずれにある失楽園と名づけられた研究所。そこでは屍蝋の研究が行われていたが、所長と研究員が相次いで殺された。しかも密室。さらにグーテンベルグ聖書と同時期に印刷されたらしいコスター初版聖書も紛失。休暇中の法水が事件を担当したが、彼の饒舌は事件をさらに複雑怪奇にしていく。リアリズムと論理主義をモットーとする読者には「アリエネー」だが、神秘と衒学を楽しむものには「これよ、これ」。どっちをとりますか。自分は

夢野久作「殺人リレー」1934 ・・・ 都バスの女車掌にあこがれる旧友にあてたある女性の書簡集。「屍くずれ」とおなじく男に殺されるかもしれない女の恐怖を描いているが、最後にどんでん返し。この作者はこんな短い短編でも2つ以上の物語を組み込ませているから油断がならない。


 戦前の探偵小説アンソロジーは定期的に出てきたと思うが(1970年代の角川文庫の新青年傑作選とか1980年代の創元推理文庫とか1990年代の徳間文庫や今世紀の春陽文庫光文社文庫など)、一冊にこれだけ高水準の作品が収められたのは珍しい。収められていないのは江戸川乱歩大阪圭吉小酒井不木くらい? さらには構成が見事。まず文章のうまさで耳目を集め、いくつかの「奇妙な味」で興味をつなぎ、心理のあやをうかがわせるものを半ばに置き(代わりに文章が下手)、最後には強烈な個性を放つものをメインディッシュにする。いやはやなんともおなかいっぱい。
 この中のいくつかは青空文庫にもあるので、気に入った作者(でかつ、死後50年を経過している人)のものをネットで探して読むことができる。よい時代になったものだが、それを楽しむ読者はどのくらいいるのかしら。
 「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」とか江戸川乱歩編「世界短編傑作集」と比べると、日本の探偵小説というのはイギリスその他のエリアのものとは異なるところから始まったという認識を再確認。ブルジョアでもプロレタリアート(いずれも現実の生きている人を指すわけではない観念だと思うが)にも与しないあやふやな立ち居地の人たちを主題にし、理性が勝利を収めるわけでも権力を振りかざすわけでもなく(探偵が常に勝利するわけではない)、解決された後に何かの秩序が回復したわけでもなく・・・ そんなあいまいなところで探偵小説という形式を持ち込んだという感じ。そんな「とりあえず」とか「あいまい」なんかの感じはたぶん戦争と不況がもたらしたものではないか。作品に直接反映されていないかもしれないが、当時の置かれた(作者と読者の両方が)状況を反映しているのだろうな。