odd_hatchの読書ノート

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アーネスト・ブラマ「マックス・カラドスの事件簿」(創元推理文庫)

 福永武彦の「深夜の散歩」だったか「加田伶太郎全集」の序文だったかで盲目探偵の話があったので、マックス・カラドスを知ってはいたのだが、実作を読む機会はなかった。それ以来だから実に25年ぶりの邂逅ということになる。
1 ディオニュシオスの銀貨 (The Coin of Dionysius)
2 ストレイスウェイト卿夫人の奸知 (The Clever Mrs Straithwaite)
3 マッシンガム荘の幽霊 (The Ghost at Massingham Mansions)
4 毒キノコ (The Poisoned Dish of Mushrooms)
5 へドラム高地の秘密 (The Secret of Headlam Height)
6 フラットの惨劇 (The Holloway Flat Tragedy)
7 靴と銀器 (The Curious Circumstances of the Two Left Shoes)
8 カルヴァー・ストリートの犯罪 (The Crime at the House in Culver Street)
 1900年から1920年までの探偵小説というのは一時期ルパンとブラウン神父を除くとほとんど読む機会がなかったのだ。それでも「隅の老人」とか「アブナー伯父」もしかしたらヒューイットあたり読んでいるのだが、ほとんど印象にないまま、売り飛ばしてしまった。今回のカラドス探偵譚もそうなりかねない。事件が非常に地味(密室もないし、殺人もないし)なこともあるが、結局は主人公があまりにいい人過ぎて感情移入することができなかったということに理由があると思う。ホームズのよさは、彼の頭のよさもさることながら、コカイン常習であるとか、下手なバイオリン弾きであるとか、ロンドンの下町を浮浪者に変装してうろつきまわるとか、そういう不良じみたところが魅力になっていたのだ。
 やはり主人公がいい子過ぎては読者が思い入れを持つことができないし、物語に没入することができない。いい子あるいは優等生が主人公でも、どこかにぬけたところや俗なところが表現されていないと、読み手は付いてこないと思った。
 では、クイーンの探偵譚はどうして読みがいがあるのかというと、その秘密はまだ分からない。
*カラドス探偵談は未読と思っていたが、創元推理文庫「世界短編名作集1」にカラドス探偵談が収録されていたと知った。読んでいたのに全く記憶になかった。*1

*1:これを書いたのは2005年1月