odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

家永三郎「太平洋戦争」(岩波現代文庫)

 文字から炎が湧き上がるかのような熱い文章。1913年生まれ。学生時代の1932年にマルクス主義と出会い、圧倒的な体験になった。その後、高校の教師になるが戦前・戦中は時局批判の活動ができない。戦後、その体験から現代史を講義するとともに、政治批判を活発に行う。有名なのは歴史教科書裁判で、だな。

 この本は1966年に書かれ、何度かの増補が行われた。タイトルは「太平洋戦争」であるが、視点は1932年の柳条湖事件から1945年の敗戦までの15年間は継続した戦争であるという見方。今のところ、「満州事変」「支那事変」「南京事件」などの個別戦闘行為があったように記述されるのが通例であるが、そのような見方では全体をとらえきれない。
 ときにふと首をかしげるのはこういうことだ。この時代は著者の個人史とかぶさってくるので、できごとは他人ごとではない。そのとき、歴史を記述するとき「私」を登場してもよいのか、「私」の感情や個人的な経験を記述してもよいのか。歴史学がどういう立場にいるのかよく知らないが、たとえばトロツキーロシア革命史」、中村禎里「日本のルイセンコ論争」を読むとき、そこにはトロツキー中村禎里も登場するが、記述は三人称に突き放している。これらとの違いが目に付いた。あとは、軍と政府=戦争責任、人民大衆=被害者という図式が目に付くことと、20世紀前半のこの国の経済を帝国主義による植民地争奪とみなすことかな。書かれた時代の状況を勘案するにしても、これだけで15年戦争(というか20世紀前半のこの国の歩み)をみると漏れることが多いので、そこは小学館文庫「昭和の歴史」10巻や鶴見俊輔「戦時期日本の精神史」(岩波現代文庫)などで補完しておくこと。
 さて、この本の記述で面白いところは
1.戦争行為にあたり、当時の刑法や軍法と照らし合わせて、当時の法制においても有罪であると判断すること
2.戦争開始から敗戦までの経緯について、思想家・学者・人民・下級兵士など思想史として描くこと
3.この国による侵略行為や占領地統治が1923年の「治安維持法」の拡大であるとみなせること
4.この国の軍隊による残虐行為は、軍隊内部の反民主性や非合理性による鬱屈が戦争行為によって外部に放たれたことであるとみなせること。という視点の持ち方。
 あわせて軍隊の上級・中級士官らの腐敗や無責任などが詳述される。(一応念を押しておくと、著者は日本軍および民間人の不法行為・残虐行為を非難している。同時に、アメリカの無差別爆撃や原爆投下、ソ連の一方的条約破棄と捕虜の長期抑留、満州の民間人への不法行為を非難している。これはフェアな見方。)
 そうしたうえで、この15年戦争は「アメリカの物量に敗れるに先立って中国の民主主義に敗北していた」とみなす。この場合の「民主主義」は「三大規律八項注意」に典型的な共産党のそれだと思うが、それを中国全体に拡大していいものかとはちと疑問。スメドレーやスノーが美しく描いた共産党と軍隊ではあるが、内に対しては対立党派の排除や粛清が行われていたのだし。とはいえ、敗北の原因のうち外因はそれに違いない
 自分になぜと思うのは、内因のほうだ。日露戦争では政治家も軍人も戦争の見通しや終結の方法、戦費の調達などに明確な見通しをもって、ことを1年半で終結させることができた。それがわずか30年後には、それらの見通しをもたず、終結の方法を見いだせず(なにしろ1945年7月の終わりにソ連に調停を頼むというセンスと情報の欠如)、戦時の経済政策もないような組織にどうしてなったのか。1920年代の不況を克服する政策を持つことができなかったのはなぜか。内部統制を厳しくし、思想教育を徹底したにもかかわらず、モラルが維持されず、内部と外部に暴力をふるうシステムになったのはなぜか。結論の出し方をあいまいにし、責任をだれも取らない体制にしたのはなぜか、ひどい被害を受けたにもかかわらず責任の追及をあいまいなところで終わりにした人民になぜなったのか。このあたりを考慮せず、政治家と軍人に押し付けてバッサリ処断するだけ、というのはあいまいなまとめだなあ。
 まあ、時代の制約のために、ポール・ポースト「戦争の経済学」(バジリコ)のような経済分析が不足しているのが不満の原因。逆に言うと、「戦争の経済学」がアメリカの事例で書かれているので、その視点を15年戦争にあてはめて、敗戦の原因と理由を分析することが読者のほうに残されている。そのときには、指揮官の能力とか軍隊の戦術運用とかの問題は極めて小さい。15年戦争の敗因は「軍部にひきずられた」「科学力と生産力の差」と一般には総括されているけど、その程度の分析では不足であるということ。あと3つくらいのなぜを問いかけないと、同じ轍を踏むことになる。