odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

鶴見俊輔「戦後日本の大衆文化史」(岩波現代文庫) 1945-1980年の精神史をカナダの大学生に語る。サブカルチャーを題材にして思想史や精神史をかたるという方法の最初(のひとつ)。

 「戦時期日本の精神史」につづいて1945-1980年の精神史をカナダの大学生に語る。この時代になると、転向論で分析するのは難しい。代わりに注目するのが大衆文化。マンガに寄席にTV番組に歌謡曲に・・・という具合。だいたい同じ時代に吉本隆明「マス・イメージ論」がでて、この種のサブカルチャーを題材にして思想史や精神史をかたるという方法が定着した。

占領(押しつけられたものとしての米国風生活様式) ・・・ 占領がこの国にもたらしたことを列挙。政治については、間接統治であることで戦前の官僚制度は残り、政治制度の一部を継続した。官僚は占領軍と交渉する経験から、官僚の形を新しくした(まあ、アメリカの立案する政策を基本的に承認し、それを骨抜きにするということだろう)。あと政治の言葉が変革され、観念の言葉から経済の言葉に代わった。これは戦後の軍備拡張を抑止する効果を持った。なお、もっとも影響を与えたのは風俗と生活様式であるだろう。とくに男女関係について(福永武彦「夜の時間」)

占領と正義の感覚について ・・・ 軍事裁判は平和と国際法を守る目的で戦争犯罪人を処罰したが、朝鮮戦争の勃発と同時に旧軍人を政府の役人に雇用するというアンヴィバレンツなものであった。この国の人から見ると、戦争が天皇および軍人の命令で行われたことは明白であったが、軍事裁判で処刑された人々はスケープゴートである(というか占領軍の復讐)という見方をするアンヴィバレンツなものであった。裁判の当事者の記録として東条英機の時世の句、木下順二「神と人とのあいだ」武田泰淳「ひかりごけ」壺井繁治「七つの首」が引用される。A級戦犯の言葉、東京裁判に対する不信を主題にする戯曲、戦時中は戦争賛美の詩を書き、戦後共産党に入党した知識人の東京裁判の感想を書いた詩。あと昭和天皇は戦後の繁栄で庶民とか戦争犠牲者への感受性を失い鈍感になっていたという感想と、一方、老人になった天皇への親しみと敬意が市民に生まれた。なお、東京裁判天皇が訴追されなかったことで、この国では政策の決定者は無責任である(ないし、無責任であってよい)という「空気」というか暗黙の了解が生まれた。

戦後日本の漫画 ・・・ 1900年以降のこの国の漫画の歴史。戦前はアメリカの連載マンガを模倣するもので生まれたが(「正ちゃんの冒険」「のらくろ」)、戦後は3つの系統から成長。すなわち紙芝居、貸本マンガ、新聞の4コマと1コママンガ。注目するのは、白戸三平、水木しげるつげ義春萩尾望都竹宮恵子手塚治虫トキワ荘グループと梶原一騎は涙目。知識人によるマンガ研究としては最初期のひとつ。マンガのインサイダーによる研究書は1970年代初頭からあった(石子順三、村上知彦高取英米沢嘉博など)。

寄席の芸術 ・・・ 古事記のころに遡る漫才の誕生から20世紀になってからの寄席の企業化などの概略を説明。鎖国化や同調性の強い社会において、官僚や企業家などの権力を持つ人、あるいは反権力の立場にいながら官僚的・エリート的な言動をする人にたいし、民衆とか大衆は渋い感情や反発をもっているが、それを自ら表現することができない。その代弁者に漫才師、落語家などがたった。

共通文化を育てる物語 ・・・ この国の鎖国性を維持するために、この国に住む人が国とか民族にたいする共通の象徴を確認することを継続的に行う。戦前では国歌や国旗の掲揚であったが、戦後は映像や文字に変わった。とくにわかりやすいのは、紅白歌合戦連続テレビ小説大河ドラマなどであり、大部数の週刊誌や総合雑誌。そこでは、人びとアイデンティティとしての国とか組織、それに参加する人々のチームワーク(ときにハードワーク)が称揚されるような物語が繰り返される。この国の人々はそれを見ることによって、共通意識を持つようになる。(なるほど、子供のときにどのような番組に熱中したかで、初対面でも同質意識をもてるからなあ。これは他の国ではまずありえない。全国に流通する新聞や同じ時間に放送される番組などはないから。)

60年代以降のはやり歌について ・・・ この国の文化のいくつかの特徴。この国の文化はこの国生まれでないと理解できないといわれているが、多くの分野において外国の人が重要な役割を担っている(そのことはたいてい隠されている)。一方で、明治時代からは西洋の文化を取り込む努力をしているが、成果物の中には往々にして古いこの国の伝統が反映されている。これらを流行り歌で検証。

普通の市民と市民運動 ・・・ 外来語ないし翻訳後はもとの意味を失ってこの国特有の意味を持つようになる。たとえば「市民」であって、理想概念(原義)と実態概念の差があるのに、あいまいなまま使われている。反権力・反政府の運動には外来ないしその模倣としての社会主義共産主義の運動があったが、戦後には市民運動が生まれた。これは地域限定で、特定のミッションをもつもので、ミッションの達成と共に解散するという特徴がある。この市民運動の根には「村」の共同生活の伝統がある。一見これは保守的に見えるが、検証すればそこには戦争反対・立身出世の拒否・現状の肯定などの庶民・大衆の知恵を見出すことができる。

くらしぶりについて ・・・ 戦後(1945年以降)のこの国の暮らしの変化。大きな特徴は、西洋化であり、核家族化であり、人の移動が頻繁になったこと。それで形見の意味が変わったとか、国家への参加意識が変わったとか。あと、1980年時点でこの国の人口抑制策が成功しつつあるという見込みが語られる。当時の見込みだと2020年に1億3900万人になりそこが上限であるとされた。あいにく、高齢化社会の問題はまだ深くは語られない。

旅行案内について ・・・ ここではこの国の人ではない人が見たこの国の描写をこの国の知識人が見て、その感想をこの国の人ではない人に伝えるという、説明するとややこしい事態になっている。端的には、イギリス、カナダ、アメリカなどの教科書に書かれたこの国の姿をこの国の人がどうみるかということになる。筒井康隆「色眼鏡の狂詩曲」ほど偏見はないにしても、1970年代後半において多くの国はこの国を伝統文化と高度工業化生産というアンヴィバレンツな見方を同時にしていた。それはこの国の市民、大衆にとっても似たものであるかもしれない。文化の相対化、この国の鎖国性を認識するときには外の国(という言い方自体が鎖国性を前提にしている)の視点を必要とするだろう。重要な指摘は、これまで述べてきた鎖国性、共通性、同質性というこの国の人びとの精神は、じつのところこの国のガイジンを排除するような仕方の幻想であるということを1945年の敗戦が示したということ。歴史上初めてこの国には「日本人」でない人が住んでいる事実に気がついたのだった。在日朝鮮人といわれる人びとの文学が重要であるということに、1945年以降、ようやく気がついた。

 自分の年齢では、マンガ、寄席、流行歌、TV番組、くらしぶり、市民運動の変化はそのまま体験していること。ただ、このような視点でこの国を語る人はそれまでほとんどいなかったというのが重要。コロンブスの卵の発想。

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鶴見俊輔「戦時期日本の精神史」(岩波現代文庫)


<追記 2015/7/24>
「リベラルな立場で幅広い批評活動を展開し、戦後の思想・文化界に大きな影響力を持った評論家で哲学者の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが死去したことが(2015年7月)23日、わかった。93歳だった。」
http://www.asahi.com/articles/ASH7R4DW6H7RPTFC00K.html
 いろいろなことを教わりました。ありがとうございました。