odd_hatchの読書ノート

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トマス・ハックスリー「科学談義」(岩波文庫)

 著者は、ジュリアン(「進化とは何か」講談社ブルーバックス)とオルダス(「すばらしい新世界講談社文庫)の祖父。若いときには、イギリス海軍の軍医として博物学旅行を行い、帰国後はロンドン大学の理学部教授として生理学を研究する。現在の生物学教科書に残る業績は上げていないと記憶するが、ダーウィンの同世代で、進化論の熱心な擁護者だった。この本には、後半生に行った学術講演の記録が収録されている。あいにく進化論に関するものはない。収録されたのは、
・自伝
博物学の教育価値
・一塊の白亜
・自然に関する知識向上の勧め
デカルトの「方法序説」に就て
・ロブスター。動物学の学習に就て
 現在のような大衆娯楽やマスメディアのない時代にあって、科学者の一般向け公演会はよく開かれていた。有名なものはファラディ「ロウソクの科学」。またディケンズの小説やホームズ探偵譚にも書かれていた(はずである。該当する小説のタイトルを思い出せない)。このような講演会を催すには、公演する側と聞き入る側の双方に理由があるはずで、前者には国家予算や企業の寄付のない状態で研究をするには本人自身の恒産と一般寄付金に頼るという事情があった。もともとこの様な講演会を主催したのは科学者と貴族の参加する科学アカデミーなのだが、その設立趣旨には研究内容と一般公開して「サイエンス」を普及することが含まれていた。科学を体制化・俗化したい切実な理由が科学者・研究者の側にあったといえる。事情と社会の背景は廣重徹「科学の社会史」(岩波現代文庫))などを参考にして描いた。
(もしかしたら、マルクスエンゲルスもこの種の科学講演会を傍聴していたと想像する。「反デューリング論」「自然弁証法」などには当時の最新の研究成果がふんだんに記載されている。)
 個人的には「博物学」が「生物学」になったのは1900年のメンデルの遺伝法則再発見がきっかけになっているだろうと思う。遺伝という変化するとても長い時間を科学に取り込んだことと、「遺伝子」という概念で生命現象を記述するという新しい方法が考案されたことのふたつ。この著者は、「生理学」という博物学とは異なる方法による研究をしているのであるが、どうしても博物学の方法が顔をだしてしまう。
2005/06/16
 読了。演者が思弁的な人のためなのか、あるいは聴衆が特定のタイプの人だったのか、個別の対象を説明するのではなくて、科学の方法を話すことが多かった。観察−仮説−検証−定理と進む科学の方法論。もうこの時期には確立していたわけだ。あるいは、初等-高等教育における科学の教育方法とその意義など。基礎科学の制度化が進んでいたわけではないので、講演会などで科学の制度化と科学者の職業化を力説する必要があったのだ、と当時のイギリスの状況をうかがうことができる。(講演は1860−70年代に行われていて、理学部を持っている大学はドイツと日本にしかなかった。科学者のネットワークは大学ではなく、有志や貴族の集まりであるアカデミーが役割を担っていた。)
2005/06/21