odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-3 「パラダイム」概念は曖昧なので使い勝手が悪いよねという批判にクーンがこたえる。

2018/05/29 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-1 1962年
2018/05/31 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-2 1962年


 「科学革命の構造」上梓(1962年)した後、さまざまな批判が出たので、その整理と著者の意見を披露する。訳者あとがきによると、補章を書くように勧めたのは訳者の中山茂であるとのこと。訳者はクーンが助教授だったときの「最初の科学史の学生であったろう」という。中山茂は下記のエントリーを参考に。
中山茂「科学と社会の現代史」(岩波現代選書)
中山茂「科学技術の戦後史」(岩波新書)
 これまでのエントリーで自分が考えたようなことはすでに同時代の専門家がもっと徹底して行っていた。それを受けたクーンも理論の修正や撤回を行っているようだ。

補章 一九六九年 ・・・ パラダイム概念の修正。パラダイムと科学者集団を分けることがのぞましい。パラダイムには、共通して持たれる信念からテクニックまでの全体的構成、具体的なパズル解きを示すもの、の二つがあるが、後者をパラダイムと呼びたい。

パラダイムと集団の構造 ・・・ 科学者集団の分析。科学者集団とパラダイムトートロジーのような相互補完の関係にある。科学者集団はさまざまなレベルがあり、分野ごとに学派がみられることが多く、分野内ではコミュニケーションは比較的完全だが、異分野とのコミュニケーションは困難(通約不可能性)。研究分野と集団は必ずしも一致しない。科学の危機は科学革命の絶対的前提条件ではない。

集団の立場の構成としてのパラダイム ・・・ パラダイムの誤解が解けるまでは、専門母体disciplinary matrixと呼ぶべき。その要素は、記号的一般化、類推と比喩を提供する形而上学語彙、価値(集団にいるという感覚、理論を判断する指標、応用において他分野の人と共有可能)、応用やパズル解きの見本の提示、である。

共有する例題としてのパラダイム ・・・ 学生は教科書で基本法則や規則を学ぶが、その際に教師の導きがなくても、類似的関係を認めることで応用や方法を会得する。その教材が(パラダイムが提示する)例題。その取得には、言語化されない暗黙知@マイケル・ポラニーがある。

暗黙の知識と直感 ・・・ (この節はよくわからない。直観重視し過ぎじゃねという読者の質問にそうだけどそうではないと答え、同じ刺激でも違う反応をすることがあると知覚の説明をし、でも解釈をするにはそれまでの経験や訓練の質と量によるという。なんのこっちゃ。個人的な感想ではクーンはこういう哲学の議論は苦手で整理できない。この人の長所は科学の古典を書かれた時代の中で読めること。)

見本例、非通約性、革命 ・・・ (この節もよくわからない。対立するパラダイムがあるとき、それぞれ同じ言葉を使うが異なる用法や意味や定義を付与しているので論争は決着つかないとクーンはいうが、それならあるパラダイムを選択・改宗するのは個人の美的意識だけなんじゃねと科学哲学者が言った。それに対しクーンは、いやパラダイム間で翻訳者が出るから、ちゃんとパラダイムを理解するのだよと応じる。なんのこっちゃ。)

革命と相対主義 ・・・ クーンは科学の累積的な進歩を認めないので、どれかのパラダイムが「真理」に接近するとは思えない。ある点では過去の理論が現在のパラダイムと親近性を持っていると認める。そのような認識が相対主義

科学の本質 ・・・ 他の批判にこたえる。叙述(「である」)と規範(「べきである」)を混同しているという点は、ごにゃごにゃ。応用しやすいは、他の分野の借り物だから当然。でも科学者集団はユニークなので、他の分野とは違う。科学者集団の研究は不足しているから(1969年当時)、もっと研究すべき、だそうです。(おっと、タイトルの「科学の本質」はどこで言及した?)


 クーンの議論を追いかけると、科学を科学の内部の言葉や規則で説明することができなくて、科学者集団の行うことが科学であり、そのもっとも重要なのは法則や論文ではなく、新しい科学者を養成する教育システムであると思えてくる。この当時は科学者集団の研究は進んでいなかった。このあとは科学者を対象にする人類学研究がおこなわれるようになったので、クーンの議論も書き換えられているだろう(最近は科学哲学や科学史に疎遠なので、よくわからない)。
 訳者あとがきによると、カール・ポパー派への応答が主であるとのこと。なるほど、クーンとポパーではそれこそパラダイムが異なるので、同じ言葉を使っていても意味やニュアンスが異なるので、通訳不可能になっている事態にあるといえる(自分はポパーよりもクーンの考えのほうが科学の現場に近い説明と思うので、クーンに肩入れします)。
 ただ、最近は自分の考えも変わってきた。なるほど「真理」「パラダイム」は相対主義であるだろう。時代や別も科学・技術の制約で相対主義をとるのは正しいだろう。その点で「パラダイム」論は科学史のようなすでに完了したことを記述し区別することには有効。一方で、知識が累積して確度が上がっている事柄もある。たくさんの科学者が時代を継いで検証して確認してきた法則や数式などはもはや変更のしようがない。なので未来のパラダイム変換でニュートンの力学や、原子や分子の理論や、燃焼の理論などが否定されて別の説に置き換わることはない。そこには普遍的で誤りのないものが存在する。
 以上はニセ科学やニセ医療を批判するときの基本的な立場であるが、同じことは哲学的な真理や社会の正義にも当てはまると思う。ことに「正義」には極端な相対主義を主張する人がいるが、人類の歴史で「殺してはならない」「盗んではならない」「嘘をついてはならない」などが民族やほかの集団でほぼ共有される規範やルールになっている。なのでそれは普遍的な正義。そして近代以降に主に西洋で主張された基本的人権が加わる。

トーマス・クーン「コペルニクス革命」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/3W4Be5C
トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)→ https://amzn.to/3JvRHrL https://amzn.to/3U2E1K0
野家啓一パラダイムとは何か」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/3W3Wjgi

ハーバート・バターフィールド「近代科学の誕生 上下」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/4b2kPme https://amzn.to/3Q8gyFP https://amzn.to/3UmToOx


〈追記 2023/7/19〉クーン以降の「パラダイム」論の論争と発展は以下を参照。
odd-hatch.hatenablog.jp