odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

野家啓一「パラダイムとは何か」(講談社学術文庫) クーン「科学革命の構造」より後のパラダイム論争のてごろなまとめ。

 もとは1998年にでた単行本。トーマス・クーン(1922年7月18日 - 1996年6月17日)の翻訳は過去に二冊、できるだけ詳しく読んでみた。
2013/02/13 トーマス・クーン「コペルニクス革命」(講談社学術文庫)-1
2013/02/12 トーマス・クーン「コペルニクス革命」(講談社学術文庫)-2
2018/05/29 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-1 1962年
2018/05/31 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-2 1962年
2018/06/01 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-3 1962年
 今回は以上の復習とクーン以後のパラダイム論争や科学哲学の動向を知るために、本書を選んだ。クーンの考え(の要約)は上の感想に書いたので、以下のサマリーでは扱わない。

第1章 <科学>殺人事件 ・・・ 一般に考えられている<科学>を「殺した」(科学概念を覆したの意)クーンの紹介。アカデミシャンとして暮らしていて、アメリカ暮らしのため戦争の被害をほとんど受けていない。

第2章 科学のアイデンティティ ・・・ 科学は方法と理論を築くことで諸科学として自立。その後、16-17世紀の科学革命(@バターフィールド:コスモスの破壊)、19世紀の第二次科学革命(制度化)、19-20世紀の科学の危機を経験。19世紀からできた進化史観、仮説演繹法、方法の統一、厳密性などの科学哲学や科学史が確立する。典型的なのは1920年代のウィーン学団による論理実証主義的科学観。

第3章 偶像破壊者クーンの登場 ・・・ クーンが「コペルニクス革命」をへてパラダイム概念をつかむまで。(クーンはヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を意識していたらしい。)

第4章 『科学革命の構造』の構造 ・・・ 「科学革命の構造」まとめ。論理実証主義的科学観(究極の真理に接近する連続的進歩、仮説ー実証という科学者像や科学の方法、合理性・客観性・進歩・真理などの概念)に対する否定や再構築を目指した。

第5章 パラダイム論争――<科学>殺人事件の法廷 ・・・ 1960-70年代のポパー論理実証主義者とのパラダイム論争。批判点は、理論選択、相対主義、通訳不可能性。パラダイムの選択には明示的なアルゴリズムはなく、論理的というより心理的社会学的。新旧パラダイムでは言葉の意味内容が変わるので、優劣を決める共通の尺度がないだけで、対話ができないという意味ではない、などがクーンの主張。

第6章 パラダイム論争の行方 ・・・ パラダイム論争は科学哲学の「科学の危機」であり「科学革命」であった。論争後、論理実証主義を掲げる科学哲学者はいなくなり、クーン主義者が登場する。新しい研究の潮流には、新科学哲学、科学社会学など。クーンは科学史研究に注力し1996年に死去。享年73歳。

 

 「クーンの科学史、科学哲学の全体像を描いたものは、日本語文献としては本書が初めて」とのこと。死亡年を見れば明らかだし、クーンと親しくした研究者が存命中なので書きにくい事情もあったのかも。そういう詮索はおいておくとして、クーンのパラダイム論は科学論(科学史、科学哲学、科学社会学などをサブジャンルにする)においては疑われることはない。むしろ論理実証主義を主張する科学論者はいない。現場の科学者にも実情に合っているという理由で受けが良い。
 とはいえ、このアイデアは科学研究の現場ではなかなか浸透しないし、世俗的な理解にもほど遠い。とくに科学とニセ科学の区別する基準としては論理実証主義反証可能性がいまだに流通していて、パラダイム論からのよい説明が出ていない(自分の目についた範囲では)。これはニセ科学を知りかけた人を説得するには都合がよいけど(ビリーバーは回心しないからほっとくしかない。他者危害を起こしたときに介入するしかない)、かわりに論理実証主義的科学観を強固にしてしまうのだよなあ。ここは痛しかゆしで、クーン主義者によるニセ科学撃退本を期待したい。
 思い返せば、中山茂の論文(季刊クライシス1980年夏号「科学技術批判と現代文明」)でパラダイム論を知ったのが19歳。それから科学論を読むようにしていて、パラダイム論は自分の考えの基礎になっていると思う。「正義」「社会」などの政治哲学の概念をとらえる時にもたぶん参照しているのだろう。本書でも、どのパラダイムを受容するかにおいて科学者の行う「判断」をロールズの「反省的均衡」と同じだと指摘している。そういう蓄積があるので、本書の指摘でとくに目を見張るところはなかった。とはいえ、周辺事項の紹介や解説は参考になる。翻訳書は読んでも、雑誌の論文までは手が回らないからねえ。そういうところに目の行き届いた解説はありがたい。

 

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