odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書) 21世紀の科学エッセイのベストセラーは教養不足でとっちらかった構成。

 2007年のベストセラー。生物学の最先端(当時)の研究成果も書かれた本がたくさん売れるというのは珍しい。自分はあまのじゃくなので、売れていた時には読まず、ほぼ10年たって影響力が消失してから読む。
 さて、自分は1980年前後に大学で生理学や生化学の講義を聞いている。研究テーマを持てなかったのと、実験手技がへたくそだったので職業研究者にはならなかったが、卒業後の1980年代には生物学の専門書、啓蒙書などをある程度まとめて読んだ。なので、生物学研究の現場を覗き見し、たぶん専門知識に近いところを知っているという点で、ほかの人とは違った感想になると思う。

 この本は雑誌連載をのちにまとめたもの。どうやら事前にしっかりと構想を立てて書いたものではないようで(あるいは読者の反響を反映したのか)、一貫したテーマをもって書かれていない。その点で、冗長であるし、複数あるテーマの関連も薄い。
 タイトルの「生物と無生物のあいだ」はあまり書かれていない。最初の章でウィルスに触れたくらい。でも、ウィルスが「生物と無生物のあいだ」なのは割と前からいわれていて、古い川喜田愛郎「ウィルスの世界」岩波新書1964年で言われていたと思う(ちなみに川喜多は1956年に「生物と無生物の間 ウイルスの話」岩波新書を書いている)。
 ここで書かれているのは
1.「生物」に関する新しい見方: 自己複製だけでなく、動的平衡システムでもある(分子レベルの配列によるオートマティックな形態形成も重要)
2.自分の研究のまとめ: 細胞膜の構造。細胞内で生成したたんぱく質を細胞外に排出するメカニズム
3.ポスドクの在り方、プレレビュー制度の問題
の3つ。
 1の生物の特長は一般に「自己複製」にあるといわれているというが、柴谷篤弘「生物学の革命」みすず書房1960年ですでに、「自己保存・自己増殖的エネルギー転換系」と自己複製だけではないといっている。このうち、「エネルギー転換系」には動的平衡のニュアンスも含まれる。それに動的平衡の考えはシェーンハイマーが最初かもしれないが、プリゴジーンの「散逸構造論」などが1970年代に紹介されていたし、生物をエネルギーを取込み熱を放射しながら自己保存をはかる開放系とみなす考えも1970年代からあった。細胞や臓器、個体の形態が分子レベルの配列からオートマティックに決まっていくという議論も1980年代後半からあった(たんぱく質のペプチド配列で三次元構造が一意的に決まるというような研究。ヘモグロビンの構造解析が最初だったかな。のちに製薬技術に応用される)。なので1に関するところは自分の復習にはなったが、特に創意があるとは思えなかった。
 2は知らない情報。なるほど細胞膜の構造と動態の研究は1980年代に急速に進んでいった、自分が大学の講義で学んだ知識が数年で古ぼけてしまったのに驚かされたなあというのを思い出した。あと、遺伝子の欠損が個体の機能不全には至らないことを強調しているが、古いホメオスタシスの議論とかジャック・モノーのオペロン説などで生体内調節の機能があることは知られているので、とくに驚きではない。
 1や2の説明のために、1940-60年までの遺伝情報伝達物質探究の話をする。これも1980年前後の生化学や遺伝学の学生向け教科書に書かれていた内容。ここには数名の研究者しか出てこないが、ほかにもたくさんの研究者が関与していて、遺伝子の本体の候補がいくつかある中から次第にDNAに収斂していくまではもっと面白い話になるはず。詳しく書けば、この時期の分子生物学革命が柴谷のいう「理論先行性」である極めて珍しい科学革命であるのがわかるのだが。
参考エントリー:
柴谷篤弘「構造主義生物学原論」(朝日出版社)
 3は著者の経験から。西洋での研究者生活の記録は北里柴三郎野口英世柴谷篤弘利根川進らの系譜があるが、その連なりにあって(自分には)最新のレポート。なるほどこの国の人はおもに実験手腕を買われているのだなあとか、アメリカの研究職にはさまざまあるのだなあ(ラボ・テクニシャンという実験のみ担当のポジションがあるとか)とかに感心。論文のピア・レビューは科学者の公正性を担保するものではあるが、ときに悪用されるというのもあまり外に出てこないので珍しい(ただ、実例が1950年代のロザリンド・フランクリンというのは古すぎ)。
参考エントリー:
平澤輿「生命の探求者」(新学社文庫)
立花隆/利根川進「精神と物質」(文春文庫)
 こんな具合で、2007年初出にしては懐かしい話が多いなあ、それにしても話題がとっちらかっていてわかりにくいなあ、というのが感想。科学エッセイの先達には、寺田寅彦中谷宇吉郎湯川秀樹などがいて、生物学だと柴谷のほか時実利彦、岡田節人渡辺格、小林登とか。先達のほうがずっと読み応えがあった。彼らと比べるのは酷かもしれないが、この本に欠けているのは教養。優れた科学エッセイの書き手には文学、哲学、歴史などの深い教養があって、おのずと文章に現れ、科学の事象や出来事の説明に深みを与えるものだが、この本にはそれがない。過去に書かれた啓蒙書、一般書へのリサーチも不足(シュレディンガーの「生命とは何か」、ワトソン「二重らせん」あといくつかくらいという体たらく。たぶん著者が学生時代に読んだ本)。著者は自分とほぼ同世代だが、なるほど1970年代後半に大学に入学した以降の連中は本を読まなかったからなあ。とくに専門研究者を目指していたものほど。それが30年たって、暴かれてしまった感じ(そのうえ、本書中にはネオ・ダーウィニズム批判の一節があるが、ここを読む限りでは著者のネオ・ダーウィニズムの理解はあやしいと思う)。
 と失望を書いたので、ベストセラーになった時の好意的な書評をみてみよう。


 川喜田愛郎の本も紹介。

<追記 2019/11/24>
シュレーディンガー「生命とは何か」(岩波文庫)の訳者(鎮目恭夫)解説(2008年2月)をスクショ。