odd_hatchの読書ノート

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立花隆/利根川進「精神と物質」(文春文庫)

 サブタイトルは「分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」。これはいささか風呂敷を広げすぎている。利根川進にはそこまでの意図はない。免疫系の複雑さが脳神経系の複雑さに似ているのではないか、という直観を語ったのみ。立花隆の勇み足。
 今でこそこの国のノーベル賞受賞者は5年に一人くらいの割合ででているから珍しくはないが、1990年まではほとんどいなかった。湯川、朝永、川端、江崎などとすべてのノーベル賞受賞者をそらんじることができた(昭和40年代の小学生)。それくらいにノーベル賞は権威が高く、この国の人にとっては敷居のたかいものだった。1980年以降にはぼちぼちと受賞者が現れだした。利根川は生物学での受賞第1号になる。
 この本は通常は、「いかにして科学者になり新しい知見を発見するか」「夢をかなえる方法は必ずある」などの、元気を見出す本として読まれているらしい。自分は少しずれる。
利根川の研究のほとんどは、アメリカ留学後。極めて若い時に留学し、しかも帰らなかった(こういう選択ができる日本の研究者は珍しい。なにしろ森鴎外夏目漱石北里柴三郎以来、留学生は帰ってきて国家に奉仕したり、後進を育成するものだった)。だから、利根川の研究は日本産とは思えない。アメリカで生まれた研究をたまたま日本生まれの人が行った。ノーベル賞の名誉は日本にあるということらしいが、そうではないでしょう。(追記。というような議論が、2008年ノーベル物理学賞受賞の南部陽一郎でも起きた。結局、南部の名誉はアメリカのものになった)
・機を見るに敏なることの重要さ。あるいはふさわしいときにふさわしい場所にいることの重要さ。1960年代初頭に、日本で分子生物学を行う研究者は数名だけいた(分子生物学は生まれたばかりで、大学には講座も研究室もない)。渡辺格とか柴谷篤弘など。利根川は彼らと面識があった(留学を決める前に、彼らとひととおり会っている)。そのうえで渡辺格を選び、そこからアメリカ留学を決める。同世代の院生の中で、彼一人が突出するのは、こういう職に関するリサーチ能力が優れていて、決断力が速く、しかも日本に未練がないということ。このあたりは重要に思える。その後の研究でも、自分の興味でもってテーマを決めるのではなく、他者から評価を得られる(=科学の重要問題であることを認識される)テーマを選んでいく。このあたり、研究バカとか石の上にも三年などの克己と努力の人ではない、新しい研究者の在り方を示している人のようだ。
湯川秀樹「旅人」(角川文庫) - odd_hatchの読書ノート
リチャード・ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(岩波現代文庫) - odd_hatchの読書ノート
 利根川の発見は、免疫系の複雑さ(世の中のゴマンとあるタンパク質に対して1対1の抗体を生成する)がいくつかのユニットの組み合わせで説明できるというところ。一度抗体ができると(抗原はとっくに排除済)、再度抗原が身体に侵入したときに(それが長期間をあけていても)、正しい抗体を作る(おバカな主張として、抗原はいちど身体に取り込まれたらずっと体内に残る、それが抗体生成の元になる、というのがある)。そういう背後の仕組みや構造に目が行き届かないと、身体とか自然の複雑さに理屈を超えたなにかを想定してしまいたくなる。どうもインタビューアーは「神」「超越性」を免疫学や生物学にみいだしたいみたい。「神」「超越性」を抜きにしても、精神の複雑さは説明する可能性があると思う、とはいえこの数百年の科学はまだ可能性を汲みつくしてはいない。だから安易に生気論や神秘主義なんかに行くのは正しくない、ということ。