odd_hatchの読書ノート

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湯川秀樹「旅人」(角川文庫)

 学者一家に生まれた凡庸な(と自己評価している)子供が物理学に興味を持ち、中間子理論を発見する27歳までの自伝。これを書いた時著者は51歳で、兄弟の学者一家(貝塚茂樹や小川琢治など)が存命であったので、彼らのことはあまり触れられていない。日本では稀有の学者一家であるだけに、少し残念。
 興味深かったのは、著者が専攻した理論物理学量子力学原子核モデル作成が、1920年代の若くホットな学問であったこと。マックス・プランクが1900年に学問のパラダイムを作ったとはいえ、いまだに理論完成にはほど遠く、世界中の学者が注目していた。あまりに若い学問であったので、大家の指導がほとんどなく、当時の20代の俊英が競っていた。その中にはハイゼンベルグディラックシュレーディンガーらがいて、いまでは大天才というしかない若者たちが馬の骨とも言われかねないような状況で競う様は圧巻(以前ファインマンの伝記を読んだことがあるが、彼はこの物理学革命には遅れてきた天才だった)。著者は、古い教科書を読むことはしないで、つい1、2年の間に出版された最新の論文だけを読んでいた。著者の嗅覚がすぐれていたのだなあ、そして熱気があって、上司におもねらないで好きなまま仕事のできる環境にいたことは素敵なことだと思う。
 もうひとつ幸運だったのは、中間子理論を作った後に、新婚当時の奥さんが英語論文を執筆・発表することを熱心にすすめたこと。この後押しがなければ、国内の学会・雑誌に発表しただけになって、後の栄誉は著者に輝かなかっただろう。後のノーベル賞受賞のきっかけは、ヨーロッパで中間子を発見する実験が行われた後、中間子のアイデアが先行されていないか調査するうちに、湯川の論文を再発見したからだった。
 また、著者は小学校入学前に漢文の素読を祖父と行っていた。そのときは退屈であったとしても、のちには充分役立っているという(科学者にしては達意の文章を書いている)。こういう幅の広い知識を持っていることが、この人の魅力。松岡正剛氏も、湯川が話をすると、物理学の話から漢学の話を同時にすることができて、それが「遊学」のもとになったということをいっている。こらへん、湯川はすごいなあ、憧れるなあ、と口をあけて仰ぎ見ることにしよう。
 また、彼の青春が1920−30年にあって、当時の好況と自由主義の雰囲気で思春期を過ごしていくことや、1929年大学卒業と世界恐慌が一致して就職が難しい状況が語られるなど、1920年代の世界・社会状況が垣間見えた。
三木清「読書と人生」(新潮文庫) - odd_hatchの読書ノート
伊藤整「若い詩人の肖像」(新潮文庫) - odd_hatchの読書ノート
 理系の著者ではあるが、著者が室戸台風禍にあって不眠症に悩みながら、原子核モデルに中間子を幻視するところなど、文系の人にも興味深いと思う。