odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ウラジミール・ジャンケレヴィッチ「音楽と筆舌に尽くせないもの」(国文社

 たんに「言葉に言い表しがたい」というのではなく、「筆舌に尽くせない」というので、そこには積極的な評価があることになる。しかし、言葉という不変・普遍な記号に移そうとするととたんに逃げ出してしまうのであって、ひとところに捉えておくことができない。そういう瞬間のあわいというかうつろいというか儚さを持ちながら、魅了してやまないものとしてある音楽。
 そのような音楽について何か語ろうとするとたいてい失敗するのだが、これは数少ない成功例。なのだと思う。というのも、詩的な、あるいは奔放な連想飛躍で、あるいは極度の圧縮で書かれたこの文章は要約することも、論理の道筋を見出すこともできないから。

 たぶん主題は序文にある「音楽の力と曖昧さの間に矛盾が認められる。表現しながら表現しない、真剣でありながらたわいなく、奥深くて皮相にとどまる……」にあるのだろう。以下のインデックスにみるように、この本はさまざまな音楽の矛盾を語る。ほのめかす。
第一章 音楽の《倫理》と《形而上学
一 オルフェウスそれともサイレーン/二 音楽に対する恨み/三 音楽と存在論
第二章 無表情の《表情豊かな》
一 展開部の幻影 繰り返し/二 表現の幻影/三 印象主義/四 無表情なものと客観性/五 荒々しさ/六 なにも表現しない:無関心の装い/七 逆、別のこと、より少なく――ユーモア、暗示、そして緩叙/八描写する、喚起する、大ざっぱに物語る/九 事後に示唆する/十 限りなく表現できないものを表現する/十一 真剣で軽薄、深遠で皮相 音楽の二義性/十二 言語に絶するものと筆舌に尽くせないもの 意味の意味
第三章 魅力とアリバイ
一 創作の作業/ニ フェヴローニャ、あるいは無心さ/三 空間に転移された幻影/四 時と夜のもの/五 崇高な捉えどころのなさ 目に見えないものキーテジ/六 ベルガマスクの魅力 メロディとハーモニー/七 ベルガマスクのアレグレット、ピアニッシモ・ソノール、フォルテ・コン・ソルディーナ/八 知恵と音楽/九 《歓喜の友》
第四章 音楽と沈黙
 ジャンケレヴィッチの考えから何かの主題を抜き取るのはできないので、いくつかのモチーフを取り上げてみようか、そうすると、この人の考える音楽はドイツのロマン主義の考える音楽とは異なる。音楽は徳ではない、精神生活を改善しない、すなわち我々をよくするものではない。ワーグナーフルトヴェングラーが考えたような音楽が世界の矛盾を解消し、統一する根拠にはならないし、ナショナリズムの中心にもならない。ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)に詳細に書かれたドイツ精神の神髄であるという考えをまったくとらない。なので、ベートーヴェンモーツァルトシューマンワーグナーもこの本には登場しない。おそらく100人を超える作曲家とその数倍の作品が本文中にあるというのに。
 では、ジャンケレヴィッチの考える音楽とはなにか。その問い自体がジャンケレヴィッチをいらだたせる。音楽は「筆舌に尽くしがたい」のであるが、それは「言語に絶する」ではないのであって、いうことが底なしにあるのに、表現することができないから、我々は音楽について語りまくる、でもそれは音楽に近づくことではない。なにしろ「かたられるものではな」くて「すること(作曲する、演奏する、聞く)」であるからで、「我々の問いに直接には答えない」。まあ、メリザンドは、出会ったゴローが語りかけても答えを返さないのに、ペレアスが一緒に遊ぶとようやく微笑み返すようなものだ。そして音楽の沈黙は緩和された強度で、聴覚で捉えられないもののしきいにあって、ほとんど『無』とのたわむれ。ほとんど『無』は非存在、端的純粋の無であるような最小限の実存を指示する。音楽の前後とそのものに沈黙がある、というのは沈黙は空虚ではない(ここらの沈黙のイメージも、ドイツの哲学者マックス・ピカート「沈黙の世界」に書かれた音楽もない「沈黙」とは別のもの)。そして「夜は沈黙と同じほど、自然の不可聴音を人間に伝える」。この夜も、ド・ラグランジュがマーラーを経由して描いた夜とは異なる。
 ああ、語るほどに音楽からもジャンケレヴィッチからも遠ざかる。とりあえずこの本の文字をスキャンする行為はしたが、それでなにかをとらえたとも思えず、となると、僕はこの本を音楽のように聞いた、のだろう(か?)。1961年初出。


参考エントリー
2014/02/28 ウラジミール・ジャンケレヴィッチ「ドビュッシー」(青土社)
2014/03/01 ウラジミール・ジャンケレヴィッチ「夜の音楽」(シンフォニア)