odd_hatchの読書ノート

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リヒャルト・ワーグナー「芸術と革命」(岩波文庫)

 30代のワーグナーが1848年の革命に際して書いた若書きの文章。結局、彼の主論文である「未来の芸術作品」「歌劇と戯曲」などは訳出されず(岩波文庫では)、こういう若書きの、論旨不明な文章をこの国に紹介してどうしたかったのかしらん。

共和主義の運動は王権にたいしていかなる関係にたつか1848 ・・・ 同時期にマルクス/エンゲルス「共産党宣言」がでているので、彼の保守性はあきらか。貴族院の廃止、普通選挙制の実施、国民軍の編成を呼びかけながら、王制は存続する。なんとなれば王こそが最高の共和主義者だから、だってさ。「ローエングリーン」「タンホイザー」は間抜けな王が率いていたけど、「マイスタージンガー」のザックスのような人が王になれば、それは共和制でゲルマンの歴史を体現するということになり、まあなんとか後の作品とつじつまはあわせられそう。レオポルド・ランケ「世界史概観」(岩波文庫)を参照すると、類似点はあるかもしれない。

人間と現在の社会1848 ・・・ 今こそ、人間は社会を変えるべき、と檄を飛ばすが、彼のいう人間も社会もどういう存在なのか、どういう社会が人間によいのかあいまいなまま。

革命1849 ・・・ 革命の幻視(ヴィジョン)。まあ、革命されることは人間の生を拡大することであり、創造力をふるうことが使命だ、というような熱に浮かされた文章。社会も経済も政治もワーグナーにはわからなくて、自分の作品が認められることが重要なのだろうなあ、そのためには現在の社会が打ち壊されないといけないという焦りと驕りと破壊衝動に満ちている。ヴィジョンの一部はワルキューレが戦士の死体を運ぶシーンにそっくり。

芸術と革命1849 ・・・ 革命の時代にあって芸術家もうかうかしてはいられない。いまこそ芸術の本義に戻れ、芸術をして人間を解放するのだ。そのとき規範となるのは、ギリシャの悲劇である。歴史上芸術が最高発展を遂げたのはギリシャの時代だから。そこでは、アポロの秩序とディオニソスの熱情が喜劇と悲劇、なかんずく音楽と戯曲の融合である悲劇において人間の真実を最高度に提示したのである。それからすると以来2000年の歴史は芸術の堕落である。原因は謹厳実直なキリスト教と、最近の富める人と娯楽産業のためである。それによって芸術は萎縮し、刹那な快楽になってしまった。これを救うのは、1.ギリシャ悲劇の理想を継承する楽劇であり、2.それを上演する公共劇場である、云々。で、今の革命の時代はこれを実現する絶好のチャンス。なんとなれば社会の制度が変わることで上記の施設ができるから。まあ後から振り返ると、これは宣言(マニフェスト)ではなくて、事業計画だったな。これをもってルードヴィッヒ2世を説得したのかなあとか、「悲劇の誕生」を書いたニーチェには同士を見る思いであったろうなあとか、遠い眼をしてみる。二人ともワーグナーに振り回されて、大変な目にあった。

「芸術と革命」のために ・・・ 上記を書くためのメモ。

 ワーグナーの作品と人生を知ってから読むと、彼のやりたかったことが透けて見えるので面白いかもしれない。まじめに読んで、検討するほどのものではないけどね。たぶん、「芸術と革命」と「悲劇の誕生」の類似を指摘する論文なんていうのが大量にあるのだろうな。まったく興味がないけど。
 もうひとつの興味は、企業家ワーグナーの評価。「芸術と革命」を事業計画書としてみたとき、彼の事業は成功であったのか。パトロンを見つけ、劇場を開設する起業には成功。しかし単体の収益は常に赤字で、代表の浪費は止まらない。パトロンには多大な迷惑をかけたとしても、劇場と運営組織は残った。あいにく劇場が単体で収益を上げたことは発足以来100年でほとんどなかったはず。今では国や自治体の援助を必要とする公益法人になっている。「公共劇場」のコンセプトからすれば、今の形が合致しているのだろう。リヒャルトの思惑と一致しているかは別として。

 うわあ、1984年の復刊で品切れかとおもったら、この「芸術と革命」は2011年末現在で販売中なんだ。いったい誰が読むのかしら。