odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小倉朗「現代音楽を語る」(岩波新書) 大正生まれの作曲家は戦時の洋楽禁止のために「保守的」な作風と音楽観になった。

 この本が出たのは1970年。
 15年戦争の後半、西洋の文化財を輸入しなくなってから、この国には西洋の情報が入らなくなった。それが敗戦のあと、アメリカ経由で情報が大量に入ってくる。レコードや楽譜や演奏家でなのだけれど、どうやらそれらにまして米軍向けのラジオ放送FENであったらしい。それを聞くことで、戦前の文献にあった新進作曲家の作品を聞くことになる。バルトークとかシェーンベルクとかマルタンとか。占領時代を終えて海外渡航ができると、音大の優秀な生徒は戦後フランスのアヴァンギャルドの洗礼を受けて帰ってくる。あるいは、アメリカにいってケージらの実験を知る。という具合に、1960年代は、戦前の新音楽と戦後のアヴァンギャルドとさらに実験音楽の前衛が同じラインに並んでいた。さらには社会主義リアリズムとか、戦前からの民族学派なんかもある。そんな具合に、この国の音楽はぐつぐつ煮立っていて、いろんな傾向の音楽が横並びになっていて、その先がどうなるのかわからない、ただ光が射しているという感じだったのだろう。一方で、聴取者はそこまで追いついていなくて、ワーグナー(ほかにマーラーブルックナー)を消化するのが精いっぱいでなかなか最新の音楽家演奏家の傾向や趣味にはちんぷんかんぷんというところでもあったみたい。
 なので、この小論は「現代音楽を語る」というテーマであるが、登場するのはシェーンベルク、ストラビンスキー、バルトークという戦前の大家たち。かなりの文章を使って、彼らの音楽理論や方法を紹介するというのは、聴取者や読者がそれらになじんでいないということを示してもいるのだろう。その状況は1980年代半ばまであって、雑誌では上記の作曲家とその作品を紹介する特集を組んだりしていた。啓蒙が必要で、評論家に権威があった時代だった。

 さて、1916年年生まれの作曲家は、片山杜秀氏によると、ラヴェルベートーヴェンブラームスに影響を受け、そのあとバルトークに傾倒したという。この小著が書かれたのはバルトークに深い影響を受けていたころ。それはこの小著に反映している。
 19世紀までの音楽は調性・ドミナント・トーンによって確立していて、優れた成果が生まれた。ただその方法の最高の達成で、調整・ドミナント・トーンの形式は崩壊を予告していた。。ワーグナー以後のドビュッシームソルグスキーらの天才はこの形式を乗り越える方法をもっていた。20世紀になると、シェーンベルクが十二音音楽によって、ストラビンスキーがリズムの複雑さによって、それぞれ19世紀のロマン音楽をさらに破壊しようとしている。でも、シェーンベルクの理論は単純ではあるが、聴衆を無感覚にし、ストラビンスキーの内面のなさは音楽を作為に陥らせる。いずれも音楽の「美」を損なう。それに対してバルトークは無調と調性の間の葛藤を切り抜ける道を開き、矛盾対立するさまざまな要素を統合する方法を示している。何より、彼は抑圧からの解放をめざし、自己を乗り越えようとする努力を忘れない。その人格の高潔さと厳しさはなんと素晴らしい……。というのが、著者のみた現代音楽の展望。
 荘厳とか真面目とか克己とか全体とかが、この人の評価軸。戦後のアヴァンギャルド実験音楽の前衛スタイルが流行している時代にあっては、「保守的」とみられるような立ち位置。この人と作品をこれまで聞いてこなかったので、いくつかを聞いてみたが、うーん、一柳彗や武満徹黛敏郎などのすぐ下の世代の音楽を聴いてしまうと、「保守的」と言わざるをえない。彼が20−30代のころにバルトークを勉強できていればなあ。

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