3000万人の視聴者のいる娯楽番組。その司会で歌手でもあるジェイスン・タヴァナー。仕事を順調で、人気は絶大で、女遍歴も優雅にこなしている。でも、その日若い歌手志望の娘がジェイスンを恨んで、カリスト海綿生物を投げつけた。昏睡状態の一夜のあと、安ホテルで目覚めたタヴァナーは愕然とする。身分証明書IDカードを失い、再発行を依頼しても自分の出生登録がない、クレジットカードは使用不可になっている。背広の中にある5000ドルだけがたより。
今(1974年)より未来の社会は、IDカードの携帯が義務付けられ、不携帯や偽造カードの持ち主は強制労働収容所に送られる。警察にはIDカードの情報が刻々と伝えられ、疑わしいものはいつでも拘束できた(というのは学生の反権力運動がさかんになっていて、大学内にコミューンをつくって敵対していたのを壊滅するため)。
ジェイソンは自分の顔と声を知っていると思って、暢気に構えていたが、現在の愛人も、ホテルの従業員も、バーの客も、タクシー運転手も知らないという。自分が自分であるという証明は自分ではできない。誰か外部の承認がいるのに、外部のデータが消えているのだ。(ここはこれまでのPKDの自己崩壊や現実崩壊の在り方と違う。これまでは他人は『あなたはあなたである』と承認していたのに、自分だけが自分ではないと思っていた。この小説はその関係が逆転している)。となると、ジェイソンは裏の稼業やコミューンに頼らざるを得ない。それはカリスマ性と持ち如才ない所作の持ち主であるジェイソンにとっては、女性を案内人とする地獄の遍歴に他ならない。
まず会うのは偽造カードの若い製作者。キャシーは知り合いとルームシェアしているが、相手が男を連れ込むために別の安い部屋を借りている。そこまでするのは夫ジャックが強制労働収容所に収監されているのを解放するため。裏の稼業であるが、当然警察の監視はあり(しかも夫は囚人)、偽造パスポート製作の依頼者を売ることもする(マクナリティ警部が担当)。ジェイスンも警察に通報するところであるが、彼女はジェイソンを助ける。
(キャシーのルームシェア相手と会うが、彼女もまた生活に追われ、警察の監視に怯えている。そこにおいて、彼女は殺伐な社会において愛の可能性を信じる。たとえ裏切られても。悲しみを味わいたい、涙を流したいと訴える。悲しみを感じることが死んでいると同時に生きていることを実感させるから。当時PKDは結婚の破たん、ドラッグ依存等を抱えて大変な時期。その反映をみてもよいし、このような不合理や不条理からの乗り越えに悲しみに契機を見出すところに、シモーヌ・ヴェイユあたりとの親近性をみてよい。)
次に会うのは、ジェイソンを逮捕したバックマン本部長の双子の妹。ドラッグの依存症。電話グリードを使った仮想のグループセックスの常習者(当然この社会では違法)。彼女はジェイソンの出したLPを持っている(しかし聞こえるのはノイズだけ)。バックマン本部長の家にジェイスンを招いた後、メスカリンを飲ませる。死亡(ジェイスンには骸骨に見える)。
この二人は、「現実」世界では強い力をもち、ジェイスンの嫌疑や追尾を交わす助けをする(偽造パスポートをつくったり、体に埋められた爆弾や発信機を見つけるなど)。でも、自分のことになるとまったく規律をもつことができない。キャシーは精神病(当時の呼称で破瓜病)にかかっていて治療不能にあるし、アリスはドラッグの常習者で違法ネットワークの使用者。彼女らは他人の役に立とうとして、ごく限られた範囲で成功しているが(少なくともジェイスンを助けた)、自分自身を助けることができない。むしろアクションを起こすことで他人にはめられ、傷つき、生活が困難になっていく。救済を必要とする救済者。
(いくつか補足。ジェイソンにおきたIDカードの消滅、出生記録の抹消、だれも彼を知らないというのはSF的なアイデアで説明される。ここは「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」に似ている。アリスの死後、コーヒーショップで少女のような陶芸家に会い、ジェイソンは彼女からプレゼントをもらう。それは青磁の壺。壺はPKDの小説で救済を現す象徴。
ではあるのだが、IDの喪失、国家による存在の否定というのは、この世界において実際に在ることであった。すなわち、難民。国家が国民を制圧するようになったり、内戦や侵略で戦闘行為が頻発するようになったとき、人は国家の庇護を自発的に強制的に離れ、IDを喪失した世界に生きることになる。国家に付随するもの、ID、パスポート、貨幣、言語など、は価値を失う。そのとき、世界は地獄と化す。そこまでにならずとも、デニズン(永住者的地位、居住、就業の自由があるが、選挙権のみ欠いている外国籍の市民@宮島喬「ヨーロッパ市民の誕生」岩波新書)として生きるとき、自己を証明すること、自己同一性を保つことは意識的に行わなければならない。この国の在日コリアンは、ジェイスン・タヴァナーのように生きている。)
2018/07/10 フィリップ・K・ディック「流れよ我が涙、と警官はいった」(サンリオSF文庫)-2 1974年