2024/11/12 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 上」(新潮文庫)第1部5 スタヴローギンの過去が暴かれれ、ステパン氏は引きこもる 1871年の続き
第1部の終りでそれまでの主人公ステパン氏が失意のうちに引きこもってしまったので、物語は子の世代たちが主人公になる。
第2部
第1章 夜 ・・・ この前のこと(第1部第5章)は町中のうわさになってあることないこと囁かれたが、レビャートキンとマリヤは姿を消していた(ピョートルの手配でリプーチンが郊外に連れ出した)。ステパン氏は落ち着きを戻すと、カルマジーノフ(ツルゲーネフのこと)の最近作(「父と子」)を罵倒していた。
(第1部第5章の感想に書いたことがすでに作中に書かれていた。なんという奇妙な一致(いや、前に読んだのを忘れていた)。ロシア批判もやっていて、ステパン氏は専制政治には不満気の様子。)
負傷したスタヴローギンをピョートルが見舞う。ピョートルは第1部第5章の長広舌が策を弄することだったと説明し、「われわれの事業」にいつスタヴローギンが参加するのかと催促している。自虐と自慢の混じった話から分かるのは、ピョートルはどこかに自首して釈放されたことがあり、リプーチンはフーリエ主義者で、ヴィルギンスキーは全人類論者(よくわからないが、いずれ説明があるのだろう)。こういうグループをペテルブルクに作りスタヴローギンは首領であったらしい。そのせいか、スタヴローギンは海外在住の革命家という評判をとっていた。ピョートルは懲役人のフェージカが帰っていると言い、何でもやってのける男だという。
(ピョートルも何でもやってのける男だと自称している。しゃべりができて、物事を実行する手際の良さもある。でも、この男にはヴィジョンやミッションはない。誰かがあてがわないと、なにもできない。他者依存が強そうな人物だ。埴谷雄高「死霊」の首猛夫が似ている。)(スタヴローギンは自分からは何もしないのに、廻りが気遣って彼の考えることを先回りしてやろうとする。天性の扇動家のようだ。)
スタヴローギンはキリーロフを尋ねる。ペテルブルク時代にいさかいのあったガガーノフ退役近衛大尉が中傷の手紙を送ってくるので決闘したい、ついてはその介添え人になってくれと言う。翌日の決闘の段取りをキリーロフに説明する。キリーロフ持参のピストルを使うことにする。さて、とスタヴローギンは尋ねる。あれ、をいつするのかと。キリーロフ「自分で決めることではない。言われたとき。死は存在しない。地上の永遠の生はある瞬間に時間が停止して永遠になる。その瞬間を待っている。人間が不幸なのは自分が幸福であることを知らないから。すべての人がいい人間だと考える人が世界を完成する。それが人神(神人ではない)」。スタヴローギン「神を信じていることを知ったら君は信仰を持てる」。
(キリーロフの議論は「宣告」1876の自殺者に近い。「宣告」のほうが議論をより純化、形式化しているので、そっちで検討してみた。)
フョードル・ドストエフスキー「後期短編集」(河出文庫他)-2「宣告」
(キリーロフは幼子が死んだり殺されたりするのも素晴らしいと断じる。イワン・カラマーゾフの問いに良いと答えるのだ。生と死を相対化して、どっちもどっちなのだとすると、地上の正義や善を超越したつもりになっているのだろう。結果は地上の権力の補完を無意識にやっていることになる。スタヴローギンはキリーロフの自殺を咎めないが、その前のやり取りをみると、決闘によって自分が殺される可能性を受け入れているのであって、自分が死ぬことには無関心。自分の手でやるか、他人の腕にまかせるか。ラスコーリニコフが生きることに執着していたのを思いだせば、この二人は生を「踏み越え」てしまっている。)(「言われたとき」にあれをするのは第3部で行われるのであるが、スヴィドリガイロフもまた「言われたとき」があったから、あれを行った。キリーロフとスタヴローギンはスヴィドリガイロフの継承者のようだ。)
続いて、スタヴローギンはシャートフの部屋に行く(第2部でスタヴローギンは人の間を歩き回る)。げんこつで殴ったのでシャートフは殺しに来るかもとピストルを購入していた。スタヴローギンとマリヤが結婚しているのは本当なのに(ペテルブルク時代にキリーロフとピョートルとレビャートキンが証人になった:レビャートキンのゆすりのネタはこれだったのか)、真実でないようにいったため。スタヴローギンがピョートルがスパイだと疑っているので殺しに来ると警告する。スタヴローギン本人も疑いをかけられている。すなわちピョートルらはペテルブルクで「会」を作り、インターナショナルとつながっていた。シャートフはアメリカにいるときに入会し印刷機を預かったが、その後ピョートルと仲たがいし脱会した。ピョートルは脱会したと思っていないし、スパイだと考えているので、粛清するつもりなのである。
(ピョートルはねっからの陰謀好きで、他人を信用せず、組織・集団の価値を個人より優先する。それは組織・集団を自分のものと考えているから(なので「なんでもやってのける人」になれる。全体主義運動のリーダーなのだ。)
(シャートフはスタヴローギンを「いやらしい社交的な微笑を浮かべる」と評する。仮面をかぶっていて本心や内面を決して明かさないのだ。)
シャートフはスタヴローギンに教えられたことだと興奮して言いだす。神の体得者である国民はだれか。(ピョートルらの)社会主義は無神論で、科学と理性のみであり、それでは国民を動かす力を説明できない。国民の目的は神の探求であり、神を信仰すること。国民を神に引き上げるのだ。返す刀でローマ・カトリックを批判。すなわちカソリックは悪魔の第3の誘惑に負けたキリストをほめたたえて、地上の王国を作ってしまった。この点で無神論のほうがましなのである。
(シャートフの熱に浮かされたような弁論はドスト氏が「作家の日記」「プーシキン論」などで書いていたこと。正教を中心に統合したロシア国民が他国民を蘇生させ救済することができるとするのだ。ここから汎スラブ主義をみることができるが、むしろ一つの理念・幻想・イデオロギーによって国民を統一し、周囲の諸民族や諸国家を救済する考えに全体主義思想を見出せる。この考えはシャートフによるとスタヴローギン由来ということ。すると、ピョートルの社会主義サークル(その中にはさまざまな主義主張が混在)とシャートフの汎スラブ主義は対立するのではなく、ロシアを利用する全体主義運動のさまざまな側面であるとみなせる。神をどうみるか(無神論なのか統合の象徴にするのか)の差を除くと、ほとんど同じ主張なのだ。)
シャートフがスタヴローギンを弾劾するのは、このような主張をスタヴローギンが取り下げた(ように見える)だけではない。ペテルブルク時代のスタヴローギンには「好色秘密クラブの会員だった」「幼い子供を誘惑し堕落させた」という噂があったからだ。なぜ(マリヤと)醜悪な結婚をしたのかとも、シャートフが質したがスタヴローギンは答えない。これらのスタヴローギンの「堕落」を許せないシャートフはスタヴローギンに「大地に接吻しろ涙を流せ許しを請え」と命じる。そしてチホン僧正に会えと薦める。スタヴローギンは出ていくが、もう君のところへは来ませんよと絶交を誓う。
(そのような思想戦と同時進行しているのが、スタヴローギンの「罪」に対する罰をどう受け入れさせるか。高邁な思想(に見える全体主義イデオロギー)で国民の救済を願いながら、好色であり、幼児を誘惑堕落させるとはなにごとか(たぶん決闘で殺人したことは当時の慣習で不問)。シャートフは大地の接吻と全人民からの許しが必要だという。「罪と罰」のソーニャも同じことを提案したが、シャートフは自分が農奴の息子であることから大地への労働を最優先する。大地を耕すことでロシアの神を信仰できるからだ(これはナショナリズムによくある考え)。なので大地への信仰と労働者への謝罪が求められる。ラスコーリニコフはこの提案に自殺か自白か狂気かのどれで答えようかと考えたが、スタヴローギンはどうするか。)
スタヴローギンは「旗を掲げることができる男」であり「異常な犯罪能力」を持っていると評される。そこに「仮面のような表情」をつけているとも見られている。数年前にシャートフに伝えた「神の体得者はロシア国民」というイデオロギーもいまは懐疑の対象になっている。そういうあいまいで、本心や内心点っていない男のようだ。でも彼の言葉は人を動かす力を持っている。ピョートルやシャートフが言葉を発しろ、そうすれば動くと強く言う。これからわかるのは、スタヴローギンは全体主義運動のリーダーであること。何か言うことで人を動かし、世間や社会を変えていく(秩序にも混沌にも)。何を言うかは問題ではない。部下やビリーバーがその時納得しそうなことをいえばいいだけだからだ。
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2024/11/08 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 上」(新潮文庫)第2部2.3.4 スタヴローギンは殺人扇動をし、決闘でピストルで相手を狙わない。 1871年に続く