再読したのは神西清訳(岩波文庫1952年→青空文庫)。旧字旧かなを使用し、語彙の古い。でもドスト氏の「永遠の夫」は1870年に出たので、古めの訳のほうがドスト氏の時代にはあっているのではないか。
前回の感想は以下。サマリーにはいくつか誤りがある。「パーヴェルはヴェリチャーニノフを上から見下ろしていた」のはリーザの葬儀の前で、「青年はパヴェルは首をくくったと報告」したがヴェリチャーニノフは直ぐに否定し、後で誤りであるのがわかった。
どうも「寝取られ男」の主題は俺にはわかりにくい。おかげでドスト氏の小説では本作が一番(ほかにもあるけど)とらえにくい。なので点描的に思いついたことをメモするしかない。
・語り手ヴェリチャーニノフは50代の独身男。小金を持っていて(小説のラストでもどこからか終身困らないだけの金を手に入れる)、パーヴェルには道徳的であろうとふるまうが、こいつも悪や不正をしている。9年前に地方に行ったときに不倫して妊娠させて、逃げかえっている。そのことを罪と思わないし、反省もしない。せいぜい発覚を恐れる程度。この小説はヴェリチャーニノフ視点で書かれているので、彼の道徳観が中立であるかのように思ってしまうが、それは錯覚。
・ヴェリチャーニノフは病気を持っている人。不眠に悩まされ、幻覚をよく見て、狭心症(たぶん)をもっている。日常から死や悪魔を感じている。この性向が判断を狂わせているとは思えないが(そこは「二重人格(分身)」のゴリャートキン氏とは違う)、上と合わせてある程度のバイアスを持った記述であることに注意しておこう。
・そして寝取られ男のパーヴェル・パーヴロヴィチ・トルーソツキイ。自分の妻の腰巾着であって、妻が他人に寝取られていても気づかない間抜けな男。それが「永遠の夫」と呼ばれる理由。ではそのような情けない男であるかというとそれは異なる。娘リーザ(父はヴェリチャーニノフの模様)を日常的に虐待している。ヴェリチャーニノフの部屋で寝ているときに、二回ヴェリチャーニノフを襲っている。二度目にはナイフで傷つけるほど。普段は卑屈で愛想笑いをしているのに、ときに相手を見て暴力をふるうことを辞さない。大人の前では善良そうで卑屈とまで見えるのだが、そこには憎悪がある。実際に、ヴェリチャーニノフを愛しているし、憎んでいるといっている。そこにマゾヒズムとサディズムの同居をみてもいいし、犯罪的人間の典型をみてもよい。
(愛している人を不意に襲って殺そうとするのは、「白痴」でロゴージンがムイシュキンを襲ったのに似ている。)
・パーヴェルは60代の爺さん。にもかかわらず結婚にとらわれていて、ナターリア(彼女がヴェリチャーニノフと不倫)が死んだ二か月後には、田舎の素封家の娘と婚約に至る。二度目の結婚は相手の拒絶(それも親が知らない許嫁に罵倒されてのそれ)でダメになる。その二年後には別の有閑マダムの相手にちゃっかりと座る。夫になったとはいえ、家父長制の権力はまったくもたず、妻のいいなりになって雑用をこなしている。女の奴隷になろうという心性があるのだね。
・でも娘は人あつかいしないという鬼畜ぶり。この二面性がパーヴェルのありかた。
・このような心性はどこかで見たことがあるなと思ったら、「悪霊」のステパン氏だった。彼も女性に対する結婚と支配の願望があり、奴隷であることに快楽を感じている。ステパン氏の息子のスタヴローギンも父によく似た心性の持主。スタヴローギンがパーヴェルのように娘たちから馬鹿にされたりからかわれたりしないのは、ハンサムな外見と若さのせいか。
・「賭博者」1866年と「永遠の夫」1870年を読むと、これらの小品が直ぐ次の大作(「白痴」1868年、「悪霊」1871年)を準備していると見える。とくに「悪霊」の先駆、前日譚として。「悪霊」には書かれていないことがたくさんあるが、それはこの小品を読んで補完するとよい。
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