odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「悪霊 上」(新潮文庫)第1部5 スタヴローギンの過去が暴かれれ、ステパン氏は引きこもる

2024/11/14 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 上」(新潮文庫)第1部3.4 得体のしれないスタヴローギンの友人たちも帰ってくる 1871年に続く

 

 今までの話にはまったく絡んでいないスタヴローギン、ピョートル、シャートフ、キリーロフ、レビャートキン、マリヤらの前歴が書かれている。第1部ではほとんど活躍しないので、忘れてしまいそうになるが、彼らが動き出したときの理解に重要なてがかりになるので、メモしておこう。




第5章 賢(さか)しき蛇 ・・・ ワルワーラ夫人はマリヤを自宅に連れてくる。その客間にはステパン氏、シャートフ、リザヴェータ、「わたし」がいる。このあとの約2時間、客間から一切出ないのに怒涛の展開。ドスト氏の技術がさえわたった章。
 ワルワーラ夫人の寄宿学校時代からの知り合いの夫人(リザヴェータの母)が来る。何か聞き出したい感じで、ワルワーラ夫人と棘のある会話を交わす。そこにたダーリヤがスタヴローギンの依頼で預かった300ルーブリをマリヤに渡していた。そこにレビャートキンがきて、ワルワーラ夫人がマリヤにやった10ルーブリに対して20ルーブリ返すという。
(レビャートキンは「苦しんだことがあるか」「人間は自分の心の高慢さで死ぬことができるか」と夫人に問う。アブラムシを題材にした自作詩を朗読し、アブラムシに擬される貧困や底辺の人間にも尊厳があるのだと訴える。妹の金を奪い取るのに躊躇しないのに、他人の施しを拒絶する。この屈折はラスコーリニコフに似ている。)
 そこにピョートルとニコライが不意の帰還。リザヴェータはニコライに「マリヤと結婚しているのか」と尋ねる。あたりが騒然としマリヤも興奮するので、ニコライはマリヤを自宅までエスコートした。
 二人がいなくなったところでピョートルが説明する。スタヴローギンは5年前にペテルブルクでレビャートキンと知り合った。マリヤがいじめられているのをみて、助ける。スタヴローギン「マリヤは一番りっぱな人間」。マリヤはスタヴローギンを夫を思い込むようになった。精神障害もあるので生活費の心配もして修道院に保護した。それを知ったレビャートキンはマリアを探し出して連れ出し、スタヴローギンを脅迫したのである。
(ペテルブルク時代のスタヴローギンは「変人趣味」を持っていて、ワルワーラ夫人の仕送りを拒否するわ、貧民窟に入り浸るわ、仕事に就くことを軽蔑するわの生活をしていた。ラスコーリニコフの「屋根裏部屋」に引きこもっていた時に似ている。家族の禁止、定職の禁止を自らに課していたのだね。ただ、ピョートル、キリーロフ、シャートフらと交友していたのが違う。スタヴローギンは美男子だが人に気に入られられないけど(タイトルの由来。彼に「蛇」をみたのはこの章だけでリザヴェータとレビャートキンと「わたし」の三人がいる)、行動力のために組織を作ることができるのだ。ラスコーリニコフの計画を実行することができるパーソナリティをもっている。)
ラスコーリニコフはのちに解消した許嫁を身体障碍があるから好きになったといっていた。当時の結婚が年の差があり、夫が嫁を殴るのが普通の時代に、これを口にするのは珍しい。「罪と罰」では実際の夫婦生活がどうなるかは書かれなかったが、「悪霊」では重要な問題になりそう。)
 レビャートキンは逃げかえり、ワルワーラ夫人はマリヤを養女にすると宣言。リザヴェータは「片足になると幸福になれる」といってヒステリーを起こす。再び混乱のなか、ピョートルはステパン氏が送った手紙(第4章)が支離滅裂なので、主旨を尋ねる。手紙に書いてあった「スイスの他人の不始末」ということばにワルワーラ夫人が激高。絶縁を言い渡した。
(ダーリヤと結婚させるというワルワーラ夫人の目論見にイエスと言いながら、裏で不満をいっていたことが背信であるとされたのだ。絶縁されて夫人の居候でなくなったので、ステパン氏は金の援助がなくなり、借金が残る。)
(ピョートルは弁の立つ青年。立て板に水を流す如く、流ちょうに弁舌をふるえる。単なるお調子者であるわけではなさそうで、彼が満座の前で父が隠しておきたいことを暴露したのには何か意味や計略があったと思われる。)
 ニコライが帰ってきて皆に挨拶をしているとき、シャートフがげんこつで殴った。恐ろしい目でにらみ合う二人。ニコライは決闘で人を殺してきたし、理性的な憎悪をもつのに、その場はなぜか収めていた。リザヴェータが再びヒステリーを起こし、後頭部を床にぶつける。
(人の顔を殴るのは侮辱の最も激しい表現だ。それも平手でなくげんこつでというのはとても強い憎悪がある。いったいスタヴローギンとシャートフの間に何があったのか。侮辱を耐えることはラスコーリニコフには「苦痛を愛する」こと、新しい人間になることの試練であるが、スタヴローギンにはどうであるか。)

 ワルワーラ夫人とステパン氏がこの小説の親世代で、スタヴローギンとピョートルは彼らの子の世代。1840年代に新思想であった自由主義は1860~70年代には古い思想になり、別の思想が求められている。親の世代は子の思想を気になるが、子の世代は古い思想には興味を持たない。親の世代は階級の違いを意識するが、子の世代は階級の違いを乗り越えようとする。親の世代は結婚を他人の勧めによって決めるが、子の世代は自由恋愛に抵抗を持たない。このように、1871年の「悪霊」第1部では父と子の対立、亀裂が問題になっている。たぶん中が悪かったツルゲーネフの「父と子」を意識している。

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2024/11/11 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 上」(新潮文庫)第2部1 スタヴローギンの得体のしれない友人たちは人神論・陰謀論・宗教国家論をわめきたてる 1871年に続く