odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フィリップ・K・ディック「流れよ我が涙、と警官はいった」(サンリオSF文庫)-2

2018/07/12 フィリップ・K・ディック「流れよ我が涙、と警官はいった」(サンリオSF文庫)-1 1974年


 女性たちにフォーカスすることになるのは、自分のIDが失われるという非常事態、不条理にみまわれながらも、渦中にあるジェイソンはのんきで傍観者でいられるから。自分が他人を魅了しておのずと支援されることを知っているから。なので、彼は過去の、あるいは行きずりの女性たちに言い寄り、傲慢にふるまい、彼女らの生活に入っていく(そこらへんは過去のPKDの主人公の切実さに欠けているのだ。短編「報酬」 Paycheckの主人公に似ている境遇だが、ジェイソンには5000ドルという大金がある)。
 男の側の問題は、ジェイソンを追いかける警察本部長フェリックス・バックマンのほうにある。かつては警察官僚として強制収容所の廃止や学生コミューンの解体に成果を出したこともあるが、その上の政治家たちに疎まれ、ロスの警察に左遷されている。そこで住民や市民の監視任務にあたっている。辣腕。ジェイソンを逮捕させるときに典型なように、自分の手を汚さず、他人にやらせるので良心の呵責を感じることなく超然としていられる。彼のネックは、双子の妹アリスの存在。現在は妹を激しく嫌っているが、かつては近親相姦の関係にあり、子供がいてフロリダで暮らしている。そのことは政敵に悟られないように秘匿している。自己規律と意志をもちつつ、過去の行動を秘匿しなければならない、それが他者への強圧的なふるまいになり、他人を信用できなくなっている。孤独、焦燥、疲労。一方の威圧と強権、傲岸不遜。とても複雑な人物。
 そのような「警官」が涙を流すことになるのは、アリスの死を受けとめたとき。政敵がアリスの死をスキャンダル暴きに利用することを怖れ先手を打って、殺人事件に仕立て上げようとする。その犯行者をジェイソン(最初の発見者、しかし通報していない)とする。彼がIDを持たない存在しない人間であり、しかしアリスの私生活に介入し、大きな影響を及ぼしていることに不安と嫉妬を感じていたのだ。いつものように強面として対応しようとしたとき、ジェイスンが実在する書類が存在することが分かる。バックマンの強さを象徴する権力や機能が別の誰かによって操作されていて、権力者である自分自身ですら誰かの指すゲームの駒であると知るのだ。バックマンは嫌っていたはずのアリスを愛していたことを思い出し、悲しみにひたる。ある女性が言っていた悲しみを感じることが死んでいると同時に生きていることを実感させるのをまさに体験することによって。ジェイソンの逮捕を命じた後、自宅に帰る途中で、マイノリティや孤独な人の存在を認識し、彼らへの共感を持つようになる数ページの描写は圧巻。
 男であるおれが読むときにはどうしても男の側に感情移入するものだが、この小説ではバックマン警察本部長に深く思いいれを持った。自分が存在しない人間であると知っても、なぜか余裕綽々で他人の援助を当てにするジェイソンはうっとおしいとしか思えなくて。ジェイソンのあった不条理なめから監視社会の恐ろしさ(「高い城の男」よりもずっと高度)を見てもよいが、おれは権力者・独裁者のもろさをみ、改心の美しさをみた。
 タイトルの「流れよ我が涙」は16世紀のイギリスの作曲家ジョン・ダウランドの作品。印刷のない時代に手書き楽譜が流通してヨーロッパ中で大ヒットしたとのこと。


 PKDの書き方が変わったのは、目まぐるしいほどの場面転換がなくなり、荒唐無稽なアクションも消え、類型的なキャラクターも一掃されたこと。小説が始まってから終わるまでは二日間。大半はジェイソン視点で書かれ、さまざまな女性たちと会話し、警官に訊問されるだけ。一部、バックマン視点になって、そこでは警察の仕事が描かれる。このゆっくりとじっくりとした書き方は主流小説のやりかた。なるほど鮮烈な印象を残す奇矯な人物は一人もいないが、登場する人物はわれらの隣人や知り合いであるような実在感をもっている。とくにキャシーとアリス、そして少女にみえる陶芸家メアリー・アンの造形がみごと。また、社会や世界の成り立ちや構造もほとんど語られない。かつてなら東西の強大国家の対立や惑星間の戦争、異星人の侵略などが監視社会の理由になっていたり、世界を統括する支配者が登場したものだが、そんなものは暗示もされない。出てくるのはわれわれが日常生活で見聞きできるような役人や政治家とまり。その彼らにしても別の上司や指示する者がいて、権力のヒエラルキーや階層が無限に続いているように思わせる。それもまた我々の実感に近い。アイデアよりも文章で読ませる小説。
 1970年8月7日完成原稿SMLA受理、数度の改定後、1974年出版。PKD本人は「この小説を書いたのは、わたしの人生でも最悪の時期だった(「フロリクス8からの友人」を書いた後アンフェタミンの症状で小説が書けなくなり、妻ナンシーが子供と一緒に家を出てしまう。ひとり暮しの家は麻薬常習者のたまり場になり、家宅侵入事件が起こる。そのあと19歳のテッサと知り合い、ナンシーとの離婚のあとテッサと結婚)。(略)ナンシーを失ったことでひどく苦しんでいたから警察本部長の妹を死なせた。そのあとで本部長が経験する凄まじい悲しみと孤独は、じっさいにすべて、ナンシーを失った悲しみに基づいている。(略)この本の結末は、何度も何度も書き、書いては直し、書いては直しした(「ザップ・ガン(P370-71)」所収のインタビュー)」。加えると、PKDも双子であり、妹を生後40日で亡くしていて、そのことに深く苦しんだ。バックマンの家庭はPKDの自伝的な反映であるのかもしれない。