2024/11/25 フョードル・ドストエフスキー「白痴 下」(新潮文庫)第3編5-10 余命わずかの青年は世界と神を憎悪し、自由意志による行動に失敗する。 1868年の続き
ムイシュキンは誰とでも同じように接し、同じ距離を保って会話し、誰かに肩入れすることがない。特定の誰かの利益のためには動かない。金には淡白なので、他人の要望があればその通りに受け入れる。資本主義や権威主義社会でそれをやると不利益になるようなことができる。善悪の彼岸にいて、欲望から解放され、人生の目的を持たず、他人の自由を全面的に承認し、他人の未来を心配してばかりなのだ。みなが彼を「純情、善良(イヴォルギン将軍評)」「子供、誠意(イポリート評)」とみなすのはそれが理由。なるほどそういう人間は天使とみなすしかない。
1 ・・・ ワルワーラの家には兄のガブリーラと父のイヴォルギン将軍がいて口げんかをしている。ワーリャ(ワルワーラ)が帰ってきて兄をバカにする。明らかになるのは、ムイシュキンとアグラーヤが結婚すること、トーツキイとアデライーダもいっしょに式を挙げること。
(ワーリャは兄ガブリーラとアグラーヤと結婚させようとおもっていた。父イヴォルギン将軍はアル中、兄は無能、そのために一家はワーリャが結婚した高利貸しプチーツィンが出していた。それが気に食わない。)
(ガブリーラは自分が独創的な天才と思い込む凡人、ワーリャもそう、とドスト氏の筆は容赦ないが、それは読者自身にも水を浴びせているのだ。というかラスコーリニコフからして独創的な天才と思い込む凡人だった。)
2 ・・・ プチーツィンの家に下宿しているイポリート(第3編のできごとがあっても身体は元気になった)が入ってきてさっそくあたりに毒舌をまき散らす。イヴォルギン将軍も怒髪天に達し、イポリートの無神論をなじる。
(将軍の憤りと支離滅裂な話は、初期のユーモア短編をみているよう。「プロハルチン氏」「ポルズンコフ」「正直な泥棒」など。卑屈で小心な小役人がアル中の将軍に変身。)
3 ・・・ 将軍がムイシュキンになにやらわけのわからないことを10分もまくしたてる。そのあとレーベジェフがきて第3編9章で紛失した財布が見つかったといやいやながら報告した。レーベジェフは財布を将軍の身辺近くにおいては反応をみている。将軍が情緒不安定なのはそれが理由だったから(1章で将軍は質屋か高利貸しに行っているようであり、金に不自由していた)。
(罪を犯した人間を法で裁かず、見ているぞというサインを出して苦しめる。自分は法治主義にもとる行為だと思うが、道徳でそれはいけないと示すことはできるだろうか。カントの「他人を手段にしてはいけない」が適用可能かな。)
4 ・・・ イヴォルギン将軍が来て、レーベジェフと絶交した、この家を出ていくとムイシュキンに告げた。そのあと、1812年戦争の思い出を話す。モスクワに入城してきたナポレオンに少年イヴォルギンは声を掛けられ相談相手になり、撤退を進言したらナポレオンが従ったのだ、と。将軍の様子は侮辱に耐えるようで悲痛。退席した数日後、コーリャと散歩している途中卒中を起こしてしまう。
(イヴォルギン将軍がマルメラードフやスチェパン氏のような時代遅れで人々から忘れられた人。その言動が現実と妄想の区別がついていないのではた目には滑稽に見える。この章のホラ話がそう。しかしその内面は侮辱に耐えているようで悲痛。イヴォルギン将軍の死は小説のラストシーンの先取り、前触れで、相互に関係していそう。)
5 ・・・ リザヴェータ夫人はアグラーヤの結婚相手が気になってならない(どこかの玉の輿に乗せるもくろみがあるのに、ムイシュキンとの関係が深まっているので)。夫に愚痴をこぼしても、夫は相談相手にすらならない。アグラーヤはムイシュキンをいたぶったり、愛想よくふるまったり気分の変化が激しい。夫人と夫、アグラーヤの前のムイシュキンがアグラーヤと結婚したいといったので、ようやく話しが進みだす。一方、元気になったイポリートはムイシュキンを見つけると、「僕はあなたが嫌いだ」とからかってばかり。そして「どうすれば一番いい死に方ができるか」と調子にのる。
(アグラーヤたちがムイシュキンにいらいらしたり腹立たしくなったりするのは、欲望のないムイシュキンにはアイデアや構想がなくて何かを実現したいことがないから。ムイシュキンはアグラーヤやナスターシャの腕をひっぱってこうしようと言い出すことがない。それやいらだたしくなるし不満もでてくるわ。天使だから仕事も労働も活動もしないで、人を観察してばかり。でもそれは人の生活ではない。)
(リザヴェータ夫人のあたふたは「伯父様の夢」の主人公みたい。イポリートの嫌がらせの問いにムイシュキンは「私たちのそばを素通りして、私たちの幸福を許してください」と返事する。SNSで慇懃無礼な問いにも、ムイシュキンの返事(の前半分)は友好。リベラルには他人との相互不干渉がルールになっているから。
6 ・・・ 結婚式準備まで。おひろめの夜会を開く(貴族の娘と結婚することは社交界に登場することを意味する)。レーベジェフがムイシュキンのところに来て、リザヴェータ夫人にムイシュキンとナスターシャができているなどのデマと嘘を吹き込んでいると告白する(どうやら金に困り、酒を飲んでばかりの模様)。4章で卒中の発作を起こした将軍が死去する。人々が集まり、さまざまな噂話に高じる。
7 ・・・ ムイシュキンの養育者を知っている人が、晩年彼はカソリックに転向したという。それを聞いて激高し、ムイシュキンはカソリックは非キリスト教的な信仰である、無神論の兄弟分である、カソリックは国家の権力がないと地上に教会をたてられないといっている、暴力による自由だ、剣と血による統一だを大声でいいだした。ロシアの上流階級はロシアの信仰を保っている、そういう人がいることに安心できるともいう。突然の興奮に皆唖然とし、弁舌を止めようとする。椅子に腰かけたムイシュキンはその花瓶を壊すと思っていた花瓶を本当に落として割ってしまった。それを皆が許すといったことにまた恍惚の歓喜を挙げる。
ムイシュキンがカソリック批判をするのはとても奇妙に思える。でも彼の批判はのちにイワン・カラマーゾフが継承し、「大審問官」という巨大な物語詩になるのである。ムイシュキンの批判はロシア正教の立場から行っているが、「大審問官」ではカソリックの中に入りカソリックの論理で「あの方(イエス)」を弾劾して、カソリックのおかしさを摘出するというとてもねじくれた方法をとっていた。養育者がカソリックに転向したというおは、当時のロシア教会がカソリック化を進めていることの反映。ドスト氏はこのことが我慢できず、ムイシュキンに語らせた。
このあと、ムイシュキンは卒倒するという醜態を演じてしまう。それをみたリザヴェータ夫人とアグラーヤは彼との結婚について考えることになる。ムイシュキン自身も癲癇発作を起こすことを恐れていて、それに似た興奮を起こしてしまった。ここまではムイシュキンは天使のようにふるまえたが、病気の進行は彼から翼をもぎ取ったようだ。
(疾患はムイシュキンの状態を象徴しているのであって、原因ではない。欲望を持たない天使人間が人間の濃厚な関係に巻き込まれて人間の一員になるストレスが彼を分裂させている。)
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2024/11/21 フョードル・ドストエフスキー「白痴 下」(新潮文庫)第4編8-12 欲望を持たない天使人間は人間を理解しようと人間世界に入ると、多くの人を傷つける。 1868年に続く