odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

加藤尚武「現代倫理学入門」(講談社学術文庫)-1 カントの内面の格率による規範意識も、ベンサムの最大多数の最大幸福も、ミルの自由主義も、道徳や倫理の形式化にはうまくいかない。

 20世紀末の倫理学が何を考えているかを網羅する講義の記録(1997年)。おもには功利主義をめぐる議論になっている。概況はまえがきに書かれているので、まずはそのまとめから。
 20世紀末の社会倫理の特長は、脱宗教的な世俗性(功利主義)、市場経済自由主義)、多数決原理(民主主義的性格)(第1章から第3章)。最大多数の幸福が達成されるようにエゴイズムを制限しようとする(制限もできるだけ少なくしようとする)。「ミルの「自由論」が現代倫理の基軸的著。その中心論点は「他者危害の論理」であるが、上の功利主義自由主義・民主主義の絡み合ったシステムではうまくいかない(第4章から第9章)。功利主義自由主義の限界を明らかにすることが20世紀の倫理学の課題だった(第10章から第12章)。次の世代の倫理学の輪郭を作るには、環境倫理学、歴史哲学、科学倫理学が必要(第13章から第15章)。
〈参考エントリー〉
2016/07/11 加藤尚武「環境倫理学のすすめ」(丸善ライブラリ) 1991年
2021/12/28 エドワード・H・カー「歴史とは何か」(岩波新書) 1961年
2021/10/29 米本昌平「バイオポリティクス」(中公新書)-1 2006年
2021/10/28 米本昌平「バイオポリティクス」(中公新書)-2 2006年

 倫理と道徳の古典はカントとベンサム・ミル。20世紀の半ばころまでは彼らの議論を追いかけていればよかったが、1980年(は恣意的な設定)以降になると、それだけでは住まなくなっている。理由を考えると、科学技術の発展。19世紀までにはできなかったことができるようになり、人権の範囲と制限が変わった。人の移動。移民・難民などが増え、古典的な共同体がなくなった。共同体の成員が変わり、人権の範囲と制限が変わった。民主主義の変容。社会システムを運営に市民が参加できなくなり/しなくなり、政治への参加意識が薄れてきたし、国家の権力が権威主義的・全体主義的になってきた。ここでも人権の範囲と制限が変わった。

1 人を助けるために嘘をつくことは許されるか ・・・ キケロは許されると言い、カントは許されないという。ここに嘘をついたことが発覚したら収監・拷問されるという条件が付くと実行できるかはわからなくなる。

2 10人の命を救うために1人の人を殺すことは許されるか ・・・ 単純な功利性の原理だけで生命の問題を扱うと、個人の生存権の絶対性がなりたたなくなる。年に一度臓器移植のためにくじびきにあたった健常者が臓器提供者(利用できるものはすべて提供)になる「サバイバル・ロッタリー」を事例に考える。

3 10人のエイズ患者に対して特効薬が1人分しかない時、誰に渡すか ・・・ 多数決原理と功利主義原理が一緒に使われると、多数者が少数を犠牲にすることがつねに正当化される危険がでてくる。生活保護バッシング、移民や難民への排外扇動、マイノリティへのヘイトスピーチなどで、21世紀には具体的な問題になっている。いずれも多数者(日本人)のために少数者を犠牲にすることを正当としている。少数者の犠牲を減らす方法として、ロールズの格差原理(最も不利な立場におかれた人の利益の最大化)を適用してもよいだろう。

4 エゴイズムに基づく行為はすべて道徳に反するか ・・・ 倫理学の目的は「許容できるエゴイズムの限度を決めること」。倫理には最低級の倫理(ベンサム、ミルの功利主義)と最高級の倫理(カント)がある。最高級の倫理はほとんど人間には達成不可能。社会の設計には最小限の規制のほうが望ましい。しかし功利主義が文化水準の向上を目的に持つか、価値多元論を受け入れられるか、価値判断の主観性を守る自由主義と一致するのかは検討しなければならない。
(最大多数の最大幸福は権威主義全体主義も主張する。そのとき、少数者は排除され、犠牲になる。)

5 どうすれば幸福の計算ができるか ・・・ 幸福と苦痛という心理的な幸福度を別々の個人の間で合計して最大多数の最大幸福を計算することはできない。市場の選好性を計算しようとしても、社会の成員の豊かさによって推移律が変わってくるので、経済学の指標では最大多数の最大幸福を表現できなくなる。(では功利主義はダメなのか?)

6 判断能力の判断は誰がするか ・・・ 最大多数の範囲は近世では自明であったが、近代・現代では共同体の範囲は広がっている。バイオエシックスでは人格概念で規定しようとしているが、さまざまな問題がある。(そこから人工中絶の是非などに行くが、こと差別問題では差別をなくすという判断に被差別者が参加できないという循環の問題が重要。)

7 〈……である〉から〈……べきである〉を導き出すことはできないか ・・・ 導けるというのは「自然主義的誤謬」であるので、導いてはならないというのが現在のドグマ。でも日常ではよくやられる。女(男)だから女(男)らしくあるべきである、というように。

8 正義の原理は純粋な形式で決まるのか、共同の利益で決まるのか ・・・ 道徳を純粋な形式だけで記述する試みはあったが成功していない。

9 思いやりだけで道徳の原則ができるか ・・・ 「相手の気持ちになって考えろ」「異なる立場に立った時を想像して考えろ」はよくある道徳規範だが、そのやり方では普遍的な決定に至ることはない。たとえば、差別や格差を是認する結論に至ることもあるから。
(著者はロールズやサンデルには批判的。ロールズの「無知のヴェール」論もアダム・スミスの公平な観察者と変わりないと一蹴。)

 

 カントの内面の格率による規範意識も、ベンサムの最大多数の最大幸福も、ミルの自由主義も、道徳や倫理の形式化にはうまくいかない。うまくいかないからと言って、立法を止めたり、規範教育を止めたりするわけにはいかない。

 

 

2023/08/08 加藤尚武「現代倫理学入門」(講談社学術文庫)-2 功利主義の限界を明らかにし、次の世代の倫理学の輪郭を作るための問題を洗い出す 1997年に続く