odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大塚久雄「社会科学における人間」(岩波新書) ロビンソンの個人の経済人、マルクスの類としての人間、ウェーバーの宗教的経済人を考える。

 ウェーバー研究の泰斗が行った連続講演を書き起こしたもの。1977年。

序論 ・・・ 本書では人間類型論(行動様式、エートスとも)を検討する。理論的思考の中で、人間がどのように位置づけられ、関連付けられ、取り扱われるか。19世紀の先進国でつくられた理論が20世紀の途上国では当てはまらないことが多い、一方歴史的なできごとでは人間類型が制度によく反映している。それらの解明に使うことを期待。

Ⅰ 「ロビンソン物語」に見られる人間類型 ・・・ デフォオ「ロビンソン物語」の主人公ロビンソンは17-18世紀のイギリス「中産的生産者層」の行動様式を理念化しているといえる。土地の囲い込み、需要を見越した生産、リスク分散による保険、年次のBSとPLの作成(と利益が出たことの確認)などは当時の中産層が実際に行っていたことだった。ロビンソンの物語は中間的生産者層である父の教育に反発して投機的商人になろうとしたが、難破によって悔い改め「中間者生産者層」の生活を実践して「成功」すると読むことができる。彼の思考は合理的・経営者的。そこには三つの非合理主義(呪術的思考、伝統主義、投機的冒険主義)がない。これは資本主義的産業経営であり、それを実践するイギリス(とアメリカの一部)の人間類型になっている。さらには経済学の前提である「経済人(ホモ・エコノミクス)」の典型である。
(ロビンソンの行動様式が執筆・発表当時のイギリスやオランダにあったものというのは目からうろこの指摘。なるほどデフォーは規範を書いたが、それは先行してあったものなのね。ただ、この章にはロビンソンの倫理、すなわちアダム・スミスの道徳学がないのが残念。収穫物をとりすぎないとか、他者に配分するとかの倫理を重視したほうがよい。たしかに、蛮人や海賊などには配慮が欠けて攻撃的であり、差別的であるというもんだいはあるが。)
<参考エントリー>
2020/05/18 ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(完訳版)」(中公文庫)-1 1719年
2020/05/15 ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(完訳版)」(中公文庫)-2 1719年
2020/05/14 ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(完訳版)」(中公文庫)-3 1719年

Ⅱ マルクスの経済学における人間 ・・・ ロビンソンに代表される経済人は合理的に行動するが、経済活動全体を個人でとらえようとするとどうにもならない。個人が生産したものは個人から離れて無関係になり、個人の意思から離れた独立した客観的過程になる(これが「疎外」)。商品流通、交換過程のみならず、需要と供給、物価、利子、賃金、地代(の相場)、景気など。マルクスの慧眼は、これらの過程やものそのものは独立していない。人間と人間の生産関係にあるのだとみなしたこと。経済現象の本質は資源(リソース)配分であり、その配分の形式の変化が人間の行動と思考を変え、既存の共同体などを変えたり壊したりする。どのような共同体や組織集団を再構成するかはその場における人間類型による。
(ここのマルクスの読み方は刺激的。資料は「ドイツ・イデオロギー」「資本論」「経済学批判」)

Ⅲ ヴェーバー社会学における人間 ・・・ 資本主義がロビンソン的な中産的生産者層から生まれたとして、どうして現代の資本主義はそうではないのか。それをウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で明かす。俺に興味のある範囲で抽出すると、禁欲的プロテスタンティズムの小経営者や職人は正常価格の取引で適正な利潤を得ることが宗教倫理にかなっていた。勤勉や隣人愛の実践と取引はつながっていたわけだ(その代わりに関係のないことには禁欲、節制)。ただ、中産的生産者層が成立したころ(それが「ロビンソン物語」の時期)には、プロテスタンティズムの倫理が失われて資本主義の精神に変貌。さらに18世紀の産業革命で中産的生産者は資本家と賃労働者に分解し、精神や倫理は不要になり消失した。こういう図式で資本主義の変貌と人間の精神的貧困を説明する。さらにウェーバーはなぜ資本主義が西欧でだけ成立したかを検討するために、「世界宗教の経済倫理」と研究する。ヒンズー教儒教道教、古代ユダヤ教などの比較。プロテスタンティズムは呪術からの解放と合理的思考の全面化を起こしたが、ほかの宗教はそこにいたらない(なので、唐の後の宋が、資本主義成立の要件を備えていたが実現せず、近世になれなかったことがウェーバーの議論で説明できそうだ。)
(参考エントリー:愛宕松男「世界の歴史11 アジアの征服王朝」(河出文庫) )

Ⅳ 展望 ・・・ 人間類型論を学問にする。ロビンソン的類型を規範にする既存の経済学を批判するのに使えないか。

 

 「ロビンソン物語」とマルクスの読みは面白かった。専門家が読むと、その学識で素人には思いもよらない視点をえられるのですね(だから独学は危険なのだ)。後半のウェーバーは興味を持ったことがないので、よくわからない。類型論はウェーバーが語ると説得力がありそうだが、ほかの人がやると恣意的になるのではないかという懸念がある。自分が読んだ経済学の本では、人間類型論がでてきたことがないので、学問批判のツールになっているかも不明。不勉強な読者で申し訳ない。
 本書のもとになったのは、1977年のNHK大学講座で行われたもの。平成になってから、NHKがこれほどの連続講演を企画したことはない(と思う)。今では放送大学がそれに代わっているのだろう。ともあれ、学問の入り口として、専門家が一般読者や大学新入生向けに行う講演は使えると思う。新書にならないものかねえ(最近の新書は・・・と愚痴をいいたくなるが、ここはこらえる)。