odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

山之内靖「マックス・ヴェーバー入門」(岩波新書) ペシミスティックな感情を持って近代の合理化を批判した人。

 マックス・ヴェーバー(1864-1920)の学問を近代知の限界を示し知の不確実性をあきらかにするものとして読む。導き手はニーチェ。これまでヴェーバーは近代知の賛美者と見られていたので、この読み方は斬新(であるはず)という。ヴェーバーは小品を二冊(「職業としての学問」「職業としての政治」)しか読んでいないので、俺が批評できるはずもなく、まずは研究者の声に耳を傾ける。
(生年と没年をみると、ヴェーバーマーラーフロイトレーニンなどの同時代人。)

神なき時代の社会科学 ・・・ 社会科学の方法にはスミス-マルクスの構造論的アプローチとヴェーバーの行為論的アプローチがある。前者が人間を利己的経済人モデルとしてみるが、ヴェーバーは資本主義を作る人々の宗教的救済を含む世界像を造形した主観的動機を重視する。そのさいに、個々人の感情世界をみるのではなく、それらを合理化した「世界像」が重要なのだとする。(中国や他の非ヨーロッパ圏にも近代化があった(たとえば官僚制)とする見方も、ヨーロッパ中心主義から脱していないのでヴェーバーの批判に答ええられていないとする。)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」再訪 ・・・ この名著の重要な指摘は、プロテスタンティズムの非合理的な禁欲と職業義務への精神「が」資本主義を生んだのではなく、宗教改革推進者の「意図せざる結果」として資本主義(に必要な要件)を作ったのだということ。ルターやカルヴィンの思想よりも、それを勉強した牧師の説教や聴衆が持った宗教的情熱のほうがより大きな影響になった。ことにカルヴィンの教えによって、反権威主義と民主主義、感覚文化の拒否、帰属主義ではなく業績主義による人の評価が定着した。功利主義や合理主義が徹底し、人は信仰のバランスシートを日々作って自己評価をするようになり、組織化することで官僚制に至った、のだという。
(なるほど業績主義はアメリカ植民以降の共和主義に反映しているし、信仰のバランスシートは「ロビンソン・クルーソー@デフォー」が日々行っていたことであるし、16-18世紀にオランダやドイツで数学と物理学が研究された理由であるし,宗教的情熱が音楽と哲学にむかったというヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)の指摘につながるのであった。あと「意図せざる結果」はアダム・スミスの「神の見えざる手」と同じ意味。利己主義に徹底することが公共道徳を形成するのは合理的帰結ではない。)
<参考エントリー>
2020/05/19 大塚久雄「社会科学における人間」(岩波新書) 1977年
2022/03/30 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-1 2017年
2022/03/29 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-2 2017年

精神の病 ・・・ 1898-1912年にかけての精神の危機。乗り越えの途中で、フロイト思想との対決、ニーチェへの共感。

古代史再発見 ・・・ 第3紀の古代史研究。(歯が立ちません。古代帝国の祭祀階級が王の権力を凌駕していたとか、オリエントでどうしてギリシャの民主制ができなかったとか、気になる論点はありますけど。あとロシア革命をみて、社会主義はプロレタリアを解放する体制ではなく、官僚制組織化を完成する体制だと喝破していた。さすがな眼力。)

受苦者の連帯に向けて ・・・ マックス・ヴェーバーは、西洋がもたらす普遍的合理化の問題を強調する。(この章も歯が立ちません。西洋の普遍的合理化は官僚的支配にみられ、法とそれを制定する正しい手続きのネットワークで徹底される。人間の解放の欲望は国家権力の肥大化をもたらし、国家への物質的・精神的な隷属を蔓延させる。支配の合理化が徹底すると、宗教は経済や政治、芸術、性愛などの緊張と対立し、新たな「神」を生むことになる。宗教的救済を求めるヴェーバーからすると、これは危機。)

 

 通常マックス・ヴェーバーは近代の合理化を賛美する立場とされるが、ニーチェマルクスなどの補助線を加えると、むしろ近代の合理化を批判していたのである。それもペシミスティックな感情を持って。
 人類は不当な苦難が不公平に配分されているという非合理があって、その救済に宗教的な情熱があったが、近代の合理化は不当な苦難があらゆる社会層にくまなく行き渡っていて、一部の者だけが他の者に犠牲を押し付けて負担を免れるわけにはいかなくなっている。しかも苦難の原因のほとんどすべてが高度なテクノロジー由来であるが、テクノロジーなしには生活も労働も仕事も活動もできなくなっている(以上P230の自由な要約)。もうドスト氏(あるいはイワン・カラマーゾフ)の問いは有効とは言えなくなり、とりあえず豊かな人々ですら苦難を受けているというなんとも厄介で暗い見通しのところに我々はいるのだ。
 勉強して暗い気持ちになるのはめったにない。