2021/11/16 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第1章革命の意味 1963年
第二章 社会問題
1.フランス革命は貧困(からの解放)を政治的目的にした。それは民衆・大衆からの要望・つきあげ。指導者たちの「人間的な自由」の達成は政治目標でなくなり、自由の創設に失敗した(草の根組織を作れなかった/作らなかった)。マルクスも、自由より貧困からの解放に集中し、政治的力になると考えた。貧困は「必然性」に拘束されているので、「自由な人間」を生み出さない。そこから革命の目的は、自由の創設でも政治的抑圧からの解放でもなく、豐かさになった。革命の起源は社会問題(貧困)であるというイデオロギーができた。マルクスは人間的な自由についてはずっとあいまい。レーニンも豊かさ(電化)と自由(ソヴェト組織)を区別し、豊かさ優先で自由を抑圧した。
2.アメリカ革命では、社会問題(貧困)が抑圧からの解放に役立つ」という考えを共有していない。アメリカ革命を主導した「白人」のあいだでは不幸や欠乏を感じるような社会からの辱めを受けることがないので、貧困は革命の目的にならなかった。それは奴隷制や黒人労働があったので、貧困問題をマイノリティに押し付けていて、白人は彼らに同情を感じなかったため。
3.フランス革命は専制から一部の人を解放したが、悲惨な多数の人には解放が感じられず、もう一度解放されねばならなかった。そのさいに革命する人々と人民とは絆がないので、人民の意思を一つにむける方法を用いた。徳に基づく善と一般意思。(という文脈でルソー批判が展開される)。
(さらに革命する人々にルソーが影響を与えたのは苦悩する力(ほぼ同情コンパッションと同じ)の強調。悲惨な人々には徳と善が備わっていて、豊かになることで失われるから、貧者への同情が徳であるという論理。で、苦悩は直接的な行動や暴力に手段を求める。メルヴィル「ビリー・バット」ドストエフスキー「大審問官」を例に、同情コンパッション、哀れみピティ、共苦コ・サファリングが検討される。これは歯が立たない。と同時に日本語の徳や善に関する語彙と思考が足りないことに愕然。)
4.アメリカ革命では自由の創設と永続的な制度の樹立が目的。暴力には目をひそめ、行為は刑法の範囲内。共和制ではすべての対等者が同じ意見をもって意見交換の必要がなくなると公的領域がなくなると考えていたので(サンデルの説明でもそうだった)、それぞれの意見と利害をもつ複数者(multitude)であった。一方フランス革命では人々の意思は一般意思にまとめられる単一性の装いがあった。しかも貧困からの解放という国内統治の問題は外からの武装勢力との対抗という国際問題に転嫁した。解放の喫緊性には暴力が肯定され「すべてが許される」とされた。(同情や哀れみの感情に基づく革命は恐怖政治やテロルに転化した)。
5.ロペスピエールの恐怖政治は(フランス宮廷の)偽善に対する戦い。偽善に対抗するとき下層民は暴力と野蛮で抵抗した。恐怖政治は自己粛清を伴ったが、「歴史的必然」で正当化され、「革命の産みの苦しみ」という比喩で後世は伝えた(マルクスなど)。
(ソクラテスとマキャベリとラ・ロシュフーコーの偽善に関する議論は歯が立たなかった。)
6.
「どの革命も、暴政と抑圧に対する闘争のなかで悲惨と極貧の強大な力(必然性とも)を利用し、誤用した。社会問題(悲惨と貧困)を政治的手段(革命、クーデターなど)で解決しようとする試みはテロルを導き、テロルこそ革命と破滅に追いやる(P166)」。
で、貧民大衆は蜂起のあと見捨てられ(権力は議会にも憲法にもなく、大衆の代弁者とされる大衆を管理する人々に移るから)、悲惨な人々(レ・ミゼラブル)へと後退させられる。
革命はなぜ最悪の政治形態に転化するのか、なぜ人民・大衆を殺戮するのかは、フランス革命以降の重要な問だった(笠井潔「テロルの現象学」はまさにそのテーマで書かれた本だし、ソルジェニツィンの小説もそう)。それに対するアーレントの答えがこの章にある。
2021/11/12 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第3章幸福の追求、第4章創設(1)自由の構成 1963年
2021/11/11 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第4章創設(1)自由の構成(続き)、第5章創設(2)時代の新秩序 1963年
2021/11/09 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-1 1963年
2021/11/08 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-2 1963年