ここまではEUの仕組みと加盟国内の施策について。後半は、関係諸国・国際社会とのありかたについて。EUは国際的共生を理念としていることを念頭において読む。
第3部 EUの挑戦―国際的共生と対立
国際ルールの形成・発展とEU―法の支配・人権と環境 ・・・ 範囲の大きさ、人口の多さ、経済圏の大きさなどから、EUの施策がグローバルスタンダードになることがある。ときに、アメリカ、ロシア、中国など超大国との違いになり、対立を生むことがある。逆に、EUの施策の模倣が「国際的共生」理念から離れることもある。とくに難民問題において。
(環境規制、有害物質の使用規制、環境や化学物質の「予防原則」、国際刑事裁判所、死刑制度廃止などがグローバルスタンダードになりつつある。一方、難民政策では域外国境の管理規制、第三国を通じた本国送還などで難民の利益を損なうことがある。)
EUの安全保障戦略 ・・・ 域内外の内戦や紛争などにEUは安全保障政策をとることができる。加盟国は参加、不参加を決定できる。NATOと協定を結び、協力体制にある。<デモクラシーの帝国>であるアメリカとは同盟関係にあるが、個別問題では衝突することもある。ロシアと衝突することもあるし、加盟国内で意見が分かれることもある。テロについても同様。
(世界最大の紛争地と隣接していることから、安全保障とテロおとび難民の問題はEUにとって切実。問題解決にあたってはEUよりも個々の国の首相のアプローチの方が話題になるという印象。
EUは東アジアのモデルとなるか ・・・ EUの最大の特徴は
「加盟国が主権の一部を共通の機関に委ね、法の支配の下に人権と民主主義を尊重して共同行使することにある(P199)」。
この仕組みはモデルにならない(歴史的文化的背景があること、東西冷戦で共通の脅威があったこと、企画を推進する強力な指導者がいたこと)。しかし、ベンチマーク(比較評価基準)にはなる。東アジア共同体の構想は、いま(2007年)のところはアセアン主導で進んでいる。問題は最大100倍の経済格差と普遍的価値の共有。
(このときは日中のライバル関係が問題になっていたが、2018年には中国が独自の連合構想を進めていて、支持する国が多数増えている。これはかつての中国<帝国>の再来であるようにみえるが、極東に位置する日本の価値が相対的・絶対的に落ちてきていて、中国の構想でも東アジア共同体の構想でも重視されなくなっている。そのうえ、政治的に強力な指導力・影響力を発揮する指導者が中国、韓国に生まれていて、ここでも日本は「蚊帳の外」になっている。また、ドイツはODAとほぼ同額の拠出金をEUに出しているが、日本がそれを可能とするか、国民の理解を得られるかは疑問。)
(EUができたことによって、加盟国内ではパスポート・税関不要、統一通貨による決済の簡便化、自由経済による価格低下とサービス向上、移動と居住の自由と移住先の国民と平等の待遇、労働者の権利の尊重、マイノリティの人権尊重などのメリットを享受できた。そのような共同体の存在は国民国家を相対化するので、経済のみならず政治的にも良い効果をもたらす。)
カント「永遠平和のために」の構想実現にあたっての困難が後半。それでもこれまでの経緯をみていると、解決できるのではという希望を持てる。
最後の「東アジア共同体」構想において日本が寄与する可能性が低くなっているのに、失望、落胆。経済的な地位の低下に大きな理由がある。と同時に、普遍的な価値をこの国(とくに政治家)が提示できないことで拍車がかかる。かつて自民党政権でも、京都議定書策定や人間の安全保障宣言などで指導的な立場にあったのが、10年代になってすっかり捨ててしまった。むしろファナティックな排外主義と国内差別や人権侵害の放置で、この国は人権において遅れた国とみなされている。こちらには希望を見出すのがなかなかねえ。といって、嘆いていてもしかたがないので、できることをやる。