ヨーロッパとは何かの問いに本書で答えると、地中海地帯と西ヨーロッパと東ヨーロッパに分けられる大きな地域の総称であり、古典古代(ギリシャ、ローマ)とキリスト教とゲルマン民族の精神を共有している集団であるといえる。ただ、内実を詳細にみると、地域差が大きく、国家と民族のかかわりはきわめて多様。しかし共通性と統合の傾向をみることができる。本書では、古代から中世への転換期に注目して、ヨーロッパが成立した経緯と状況をみる。そこから近代につながる精神をみていく。
はしがき ・・・ 本書の狙いは、各国史ではなく「ヨーロッパ」の成立と特殊性をつかむこと、歴史の転換とは何かを示すこと、日本の近代化を批判することにある。
I ヨーロッパを知ることの意義 ・・・ 明治以降日本はヨーロッパをモデルや目標にしてきたが、公共や民主主義、正義などの規範意識では近代化されていない。またヨーロッパの人は国ではなくヨーロッパの共通文化を意識している。東アジアではおそらくそのような意識は生まれていない。
(この章には出てこない日本のアジア侵略と植民地化がアジア共同文化圏の考えを拒む理由のひとつだろう。)
II 現代の歴史意識と「ヨーロッパ」の問題 ・・・ 大航海時代以降に非西洋を発見した西洋人は中国他に高い文化と歴史があることを知る。そこから18世紀ころから古代-中世-近代へという発展史を考え、非西洋を途中に位置付ける直線的な史観を作った(そういう意味では「歴史」観念ができたのは西洋では最近。またこの発展史観はダーウィンより前の進化論や「存在の大いなる連鎖」と同じ構造)。20世紀は二つの世界大戦が契機になってヨーロッパの矮小化が歴史学に起きる。非ヨーロッパ(米ロ)の台頭と覇権という現実と、諸学の実証主義研究の反映。日本は明治以降にヨーロッパを知ったが、国家モデルにしたのもあって「拡大されたヨーロッパ」の一員であろうとし、その対抗で日本独自を強調することが起き、ヨーロッパを対象化していない。
(「世界史」という言葉と概念ができたのが18世紀後半(たとえばヘーゲル)で19世紀に一般化(たとえばランケ)になったという理解ができるか。その世界史概念が博物学や分類学と共通であるというのが驚き。後、日本はヨーロッパにとても接近したので、ヨーロッパのように考えるか、その反対に日本の特殊にこもるかと、適切な距離をとることができない。またアメリカも非ヨーロッパなのでヨーロッパ的な考えや精神をもっているわけでもない。アメリカの事例は政治哲学や生命倫理などで顕著な違いがみられると思う。)
III 地理的にみたヨーロッパの構造 ・・・ 三つの地域。地中海地帯と西ヨーロッパと東ヨーロッパ。地中海はイスラムや北アフリカとの交易が行われ、東ヨーロッパは東の遊牧民族やイスラムの襲撃を受けていた。非ヨーロッパの影響を強く受けていたところ。西ヨーロッパは東や地中海地帯が防御線になっていたので、他民族の襲撃・支配を受けたことがない(そういえば!)。しかしキリスト教(分派は多数あるけど)による統一があってヨーロッパの共通性がみられる。
(クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」では西ヨーロッパだけをヨーロッパとみなすが、ここでは幅広くとる。あとヨーロッパでは河川がたくさんあって舟による交通ができていたので、他の文明地域のように治水事業を名目にした巨大権力が生まれなかったという。ローマとロシアはいわばヨーロッパの辺境になるのだ、ということにしよう。)
IV 古代世界の没落について ・・・ 東洋では王朝の交代で時代区分をするのが一般的。18世紀西欧で古代-中世-近世の三区分になったのは、ルネサンスで古代の復興という概念ができてから。とはいえ、近世は中世の延長にあるので中世は否定や克服の対象になるわけではない。西欧は、古典古代(ギリシャ、ローマ)とキリスト教とゲルマン民族の精神の三つからなるといわれる。では古典古代の時代はヨーロッパではないのか。ローマでは個別的具体的な権限内容を持つ契約関係の集積であり、地域的支配権ではない(東洋などの帝国とは異なる)。それが3世紀に東洋の国家観が入り、帝国の形態が変わる。皇帝と官僚の権限の強化の領域国家に変貌する。収税を目的にしたコレギウムが強制的に作られ人々は管理と監視の対象になる。そこに格差の拡大、職業の世襲化、貨幣流通の減少などが加わり、社会が沈滞。それを嫌う貴族は年を出て田舎に出て荘園のような家の経済体制に移る。都市と帝国の衰退になり、そこにゲルマン民族が侵入する。
(この説明は、過去に読んだヨーロッパの古代-中世史にはなかった。とても分かりやすい。
弓削達「世界の歴史05 ローマ帝国とキリスト教」(河出文庫)
鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)-1
中村勝己「世界経済史」(講談社学術文庫)
古代では政治的人間ホモ・ポリティクスを理想にしていたが、中世では魂の平安を求める人間・霊的人間ホモ・スピリチュアーリスが理想とされた。また(西)ヨーロッパでは強制的な単一国家を求めるより、下から自発的な集団から国家を作るようになった。そこには政治的であるより、人間の平等を信じ労働を尊重する新しい思想が必要。国家の官職よりも、人と人の結合・忠誠に基づく人間関係を重視する社会が必要。これらが中世で形成されることになった。この議論もここにつながりそう。
ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-1
ローマの帝国、あるいはギリシャの都市国家は沿海にできて海上貿易で理を得るところだったので、内陸との関係が薄かった。古代は人口密度が低く、ローマ盛時でも15人/㎞^2.なので市場が形成されず、技術発展の意欲に乏しかった。ここらも歴史書にはでてこない記述。和辻哲郎の粗雑な「風土」1935年の30年後にはここまでの記述ができるようになったんだね。日本の歴史学界は。)
本書では強調されていないが、転換期(2,3世紀から7,8世紀)になるとローマやゲルマンよりもビザンツのほうが人口、生産性、技術において優れていた。
2022/04/06 井上浩一「生き残った帝国ビザンチン」(講談社現代新書) 1990年
2022/04/05 中谷功治「ビザンツ帝国」(中公新書) 2020年
高橋保行「ギリシャ正教」(講談社学術文庫) 東のキリスト教の歴史と教え。ロシア文学読解の参考書。 - odd_hatchの読書ノート (hatenablog.jp)
あるいはシルクロードの最盛期で西の果ての唐も優れた文化と文明を作っていた。ローマとゲルマンの生産性や人口密度の低さは、富の流出になって、長い停滞が続く。
宮崎市定「世界の歴史07 大唐帝国」(河出文庫)
前嶋信次「世界の歴史08 イスラム世界」(河出文庫)
こうやって本と本がつながるのは、読書の快楽のひとつ。
2022/04/8 増田四郎「ヨーロッパとは何か」(岩波新書)-2 1967年に続く