odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

カレル・ヴァン・ウォルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」(潮OH!文庫)

 長年、日本を調査しているオランダ人ジャーナリストによる日本批判。1994年に出版され、ベストセラーになったという。

 以下を読むときのポイント。彼の観察によると、日本は「管理者たち」という流動性のある階層にいる少数者が権力を独占している。だれか個人やなにかの集団であるかのように特定できない。そのような集団に入ることによってさまざまな便宜を与えられるが、忠誠を強いられる。「管理者たち」はいくつものグループをもっていて、グループ間の競争に勝つことが最も重要な課題になる。しかし他のグループが無くなるほど圧勝することはしないで、競争が永続するように運動している。これは明治維新以来(たぶん江戸開幕以来)で、WW2の敗戦によってもこのシステムは温存され、平成のころにはほぼすべての抵抗勢力(在野の政党、労組、市民運動など)を排除し、全体主義体制を作り上げた。「管理者たち」は利益をたらいまわしにし、市民大衆を無気力・無関心・怠惰なものにしつけた。
 そのような日本を「人間を幸福にしない日本というシステム」といい、脱却の方法を示唆する。

 

第一部 よい人生を妨げるもの ・・・ 「富める国の貧しい人々」は打ちひしがれた人々。将来に希望を持てず、疲労して、他人を攻撃してばかり。なぜか。明治維新以来の官僚独裁体制がそうしてきたから。独裁というが個人や団体に権力が集中しているわけではなく、政治エリートという階層や集団(とても流動性が高い)に集まっている。その目的は、公共領域・私的領域のすべてを政治化して、社会・企業・私生活・個人を統制する制度を維持することにある。表層的には現状維持と慈悲深さを演じているが、実際は市民が政治的になることを阻害し、圧力集団になることを妨害する。官僚も政治家も産業界も「偽りの現実」にとらわれていて、そのイデオロギーからしか社会や大衆をみることができない。150年以上継続したその制度(WW2の敗戦でも払拭されない)の結果、政治家は説明責任を果たさず市民の支持がないので無力であり、無知にされた大衆は怠惰で改革をあきらめていて、官僚は自分のグループの利益と権力を最優先にするので「国益(あいまいで危険な言葉)」にならない活動をしていて、企業はこの制度で金儲けし制度の代弁者になっている。政治家された中流階級は消滅し、会社を通じて統制されたサラリーマンは成熟できず、プライバシーを持てず、あきらめと無力で打ちひしがれている。サラリーマンの利益を代弁する政党も存在しない。そこにおいて何ができるか。重要なのはシティズンシップの獲得と「偽りの現実」から離脱すること。
(ここの分析は、アレントが「全体主義の起源」で分析した全体主義の体制そのもの。政治・法律・公的法的決定に代わって行政・政令・匿名の処分による支配形態。植民地の支配形態が本国の支配形態になるのは、西欧の帝国主義国家であったが、日本では当初から植民地の支配形態であった。江戸幕府が官僚化した時からの伝統である。)

第二部 日本の悲劇的な使命 ・・・ 日本の官僚制は明治維新以来、寡頭支配であり、反民主的だった(ことに軍人)。彼らは目標を経済成長においたが、その目的は、1.国際的名誉(西洋にどうみられるかでナショナリズムを満足させる)、2.安全保障(「日本は孤立している」という認識に固執)、3.状況の論理(明確な国家目標がないので、状況に応じて危機回避することだけをする)。このような日本は、外から見ると陰謀国家であり、内から見ると説明責任の中枢が存在しない。これらは少数の「管理者たち(アドミニストレイターズ)」だけによって決められ、有権者は将来設計に参加できず、傍観者にさせられている。
 WW2敗戦後、日本を占領したアメリカはナチスのような集団が官僚制主義と全体主義を起こしたと誤認し、上のようなシステムに手をつけなかった。戦後アメリカは軍事的なメリットを優先して経済紛争に目をつむったが、冷戦終結後はその必要がなくなった。日本の説明責任を持たない官僚はうろたえ、「バブル経済」で失策を続けた。(それ以後も官僚と政治家は失策と無策を続けて、経済停滞がいまだに続いている。)

第三部 日本はみずからを救えるか? ・・・ 日本の「管理者たち」は惰性の集団になり、期待した仕事をやり遂げられず、説明責任を果たさない。明治政府は外来思想に基づくイデオロギーなので(本書にはないけど、神道の核心部分にキリスト教の影響がある)、他の外来思想を排除し禁止して、抵抗できないようにした。そのさいに、「国益」「文化」「伝統」「調和」「日本人らしさ」などのあいまいで不正確な言葉を使った。長年の権力で「管理者たち」は無能になり(戦前の軍部、戦後の官僚。これは労組ほかの市民組織でも同様。無能力で無気力なものが管理するようになり、政府の管理者たちと一心同体になっている)、そのかわりに、大衆が無関心で無気力になるようにしつけている。「仕方ない」とあきらめさせ、それが国民の総意であると錯覚させている。このような「偽りの現実」が社会を覆い、「管理者たち」もそれに束縛されている。
 ではどうするか。怠け心と恐怖心を克服し、市民社会をつくるシチズンになろう。そのプロセスは、1.読め、調べろ。2.周りの人に話かけ仲間にしろ。3.同じ志のもののネットワークを作れ。

 

 10年ぶりの再読。前回はとても興奮しながら読んだのだが、今回はもっと穏やかな気分で。というのも、書いてあるのはアーレント全体主義の起源」の方法に基づく日本の全体主義社会分析だし、「革命について」に基づく市民社会の構築だとわかったから。参考書は「ハンナ・アーレント」カテゴリーにあるもの。シチズンシップは以下。
2017/05/26 宮島喬「ヨーロッパ市民の誕生」(岩波新書) 2004年
 上のまとめに入れ忘れたが重要なことは、日本の官僚は私的領域に関与している。それはおもには官庁-企業を通じたライン。もうひとつは中央官庁-地方自治体というライン。その結果、市民大衆のほとんどすべての領域(仕事、労働、活動)を政治的に指導・監視している。市民は政治に無関心ではあるが、ほとんどすべての行動が政治的な制約や監視を受けている。このような社会の政治化は全体主義に特有な現象。日本ではあまりに長く続いているので、市民が政治化されていることを気づかない。あるいは「しかたない」とあきらめている。
 明治維新以後(あるいは江戸開幕以来)の日本の全体主義化は以下が参考になる。
2021/04/13 與那覇潤「中国化する日本」(文芸春秋社)-1 2010年
2021/04/12 與那覇潤「中国化する日本」(文芸春秋社)-2 2010年
 こういうのを知るのが歴史を学ぶことだと思う。個人の伝記や事件の詳細を知ることはかえって「偽りの現実」醸造に加担することになるのではないか。