odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

三木笙子「クラーク巴里探偵録」(幻冬舎文庫) ホームズ-ワトソン関係にひとひねりを加えた趣向は興味深い。1920年代風の作風なのでその時代に書かれていれば大傑作。

 花の都パリへの憧れというと、荷風の「ふらんす物語」に始まり、久生十蘭金子光晴が集い、笠井潔が駈込むという具合に繰り返し書かれてきた。ここにタイトルの最新作(2014年刊)があり、日本人はどのようにパリを観るのか、そこの興味を持って読むことにする(読書前の書付)。
 と思っていたら、日露戦争直後のことでした。その前の1900年に川上音二郎一座がヨーロッパ公演をしたのが有名だが、もっと小さな芸人一座も洋行していた。漱石荷風の随筆にあったと記憶。なので、以下の設定は不思議ではない。

川上音二郎一座がパリ滞在中に録音した演目。1900年

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ヨーロッパを巡業中の曲芸一座で、敏腕の番頭として名高い孝介と料理上手の新入り・晴彦。裕福な贔屓客から頼まれ、ストーカー退治や盗難事件の解決など厄介事の始末に奔走する日々を送っていた。華やかなパリで生きる人々の心の謎を解き明かすうちに、二人は危険な計画に巻きこまれていく。人の温もりと儚さがラストを彩る連作短編ミステリ。
https://www.gentosha.co.jp/book/b7799.html

幽霊屋敷 ・・・ ブルジョアの家でポルターガイストがでたので調べてほしいと言われる。おとなしそうな息子とその母の家に深夜石が降る。家をうろつき女中に聞きこみを開始。何とも古風な探偵小説。
(書き方も古風。全体が3-4パートに分かれているが、このサイズ98ページなら10パートくらいにして静と動のコントラストをつけたほうがよいし、女中のヒアリングはもっとページが必要だし、冒頭に孝介の推理力を披露させるエピソードがあったほうがよいし。)

凱旋門と松と鯉 ・・・      日本大使館の職員から下宿のお内儀が誰かに尾行されているので調べてほしいといってくる。お内儀の部屋にある絵葉書から孝介は推理する。

オペラ座の怪人 ・・・ パリのアパルトマン。劇場関係者が多く賃貸している部屋の三階は家主の書いただまし絵で飾られた部屋ばかり。孝介と晴彦が無断で見物していると、家主が賊に襲われ、売れない役者のがあてた宝くじの当選金10万フランが盗まれた。アパルトマンから抜け出すには門を通らなければならないが、そこは孝介らが監視している。賊は脱出していないのに金もろとも見つからない。そのうえ、だまし絵の部屋には盗まれた紙幣と同じ番号の紙幣が書き加えられていた。幽霊?

東方の護符 ・・・ 「幽霊屋敷」からほのめかされていた晴彦の秘密が暴かれる。孝介そっくりになるよう真似して、身代わりが務められるようにしていた。その芝居の結末。

 

 パリの中産から上流階級で起きる不可解事件を超人的な探偵が解決する。それは家族の確執を明るみに出し、桎梏から解き放つ。19世紀末から20世紀初頭の短編探偵小説はそういう構造の物語だったが、21世紀の本書は忠実に再現する。
 とはいえ、途中から関心を失ったのは、ドレフィス事件や日露戦争、普仏の外交などが一切かかれず、どのキャラクターも西洋人の衣装を着けた日本人ばかりで、パリどころか江戸の下町で起きていそうな話だったから。オカルト、絵葉書、だまし絵、阿片窟など当時の流行りを調べて登場させたのだが、細部の描写からパリで起きているという感じがまったくしなかった(絶対にパリなど知らない黒岩涙香の作のほうがパリらしさを感じるのだ)。どこかに的確な比喩か固有名が出ていれば、そうはならなかったと思う。一方で、現代の若者読者はそういうのを不要にするのか。異国で過去の物語であっても、実際はコスプレ現代劇であればよく、その要請に従ったのかしら。
 とりわけ日本大使館の後ろ盾がある旅芸人一座に、パリのブルジョア中産階級が事件の捜査を依頼するというのに鼻白んだのだった。同時代にロンドンにいたガンジーを持ち出すまでもなく、漱石や熊楠らは西洋人からの警戒や蔑視の視線を受けていたのだからね。そこまでの信用をパリ市民から受けるような存在になる理由がないし。
海渡英祐「ベルリン1888年」(講談社文庫)
柳広司「吾輩はシャーロック・ホームズである」(角川文庫) 2005年
 通常のホームズ-ワトソン関係にひとひねりを加えた趣向は興味深い(ちょっと先例を思いつかない)。でも、自分は家族関係の修復がテーマになるところで冷めてしまう。探偵は家族の紐帯から解放されて、第三者のカメラアイを保持することが重要だと思うから。なのに探偵が家族の重さに耐えるというのがどうにもうっとうしい。最後の晴彦の決断に、座の全員が後押しするというのも。ああ、ふたつの家族からがんじがらめになって晴彦は自由を失ってしまったなあ。
 これが1920年代に書かれていれば傑作だったのだがなあ。