odd_hatchの読書ノート

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三浦佑之「古事記を読みなおす」(ちくま新書)-2 著者は政治的には読まないのだが、記述のはしばしからヤマトの政治が見えてくる。

2024/08/06 三浦佑之「古事記を読みなおす」(ちくま新書)-1 古事記と日本書紀を一緒にする「記紀神話」は誤り。「古事記」にしかない出雲神話は重要。 2010年の続き

 

 政治的には読まないという方針をとっているようなので、支配や植民地などの権力のあり方への言及はほとんどない。それでも古層の語りの中から、当時の列島には複数の豪族集団があった。交易し、人の行き来があった(なのでヤマトに追い出された神が他の地に行く話が頻出する)。それらの集団は公正かつ平等であろうとしていようなのだが、ヤマトだけが侵略的であり、公正平等な豪族集団の関係をヤマトを中心にする中央集権体制に変えた。

第4章 纏向(まきむく)の地の物語 ・・・ 東征を終えてヤマトの集団は奈良盆地の大和の地にはいった。そこには先住者がいて対立や葛藤があった。そのうえイズモの神々を征服したことも彼らには触れられたくない過去である。そこを古事記恋物語として描く。その次はヤマトタケルの物語。知恵のある少年として描かれるが、最期のイズモタケル征伐でのヤマトタケルの策略はずるい。ちなみに別の伝承ではヤマトタケルが「天皇」とされる。記紀が編纂される以前(7世紀)には別の継承者を立てる別書が多数あったと思われる。そのなごりがヤマトタケルの「天皇」表記であるだろう。
(遠山美都男「天皇誕生」中公新書ヤマトタケルは役職名であり、多数のヤマトタケルが別々の場所に征伐に向かったとしている。またこの前後の章を読むと、ヤマト政権は4世紀後半には奈良に誕生していたとみれそう。その見立てからすると、古事記は「建国」から3世紀以上たってから作られた。)

第5章 五世紀の大王たち ・・・ このころになると海を渡る人の記述が増える。半島からと日本海からの交易があったようだ。各地の豪族集団が交易をしていたのが、ヤマトが独占するようになり、交易の拠点が北九州から奈良に移る(ということは当時できていたシルクロードの終点になった)。天皇の後継者争いが激しくなる。勝利者儒教の徳を備えた者として描かれる(この1世紀後には聖徳太子のように仏教の徳を備えた者に変わる)。古事記の記述は滅んでいく側に立って語られているのではないか、と著者はいう。

第6章 滅びへ向かう物語 ・・・ 古事記のもとになる伝承は6世紀後半にはあったと思われる。下巻は割と最近のできごとであり、伝承には実際のできごとが反映していると思われる。古事記は滅ぼされる側の立っていて、鎮魂的性格をもっている(日本書紀は王権の側からみている)。古事記天皇記・国記になろうとした(がそのものとはいえない)。
トリビア。物部(もののふ、もののべ)は武士(もののふ)のこと。 → 高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)を参照。

終章 古事記とはいかなる書物か―語りの世界と歴史書の成立 ・・・ 1990年以降木簡が大量に発見できたので、日本語表記の歴史研究が進み、7世紀には日本語の文を書く基礎技術はできていたと考えられる。そうすると、太安万侶の「序」の記載(稗田阿礼の口承を太安万侶が記述法を作りながら書いていった)は疑わしい。しかも同じ天皇が性格の異なる二つの歴史書の編纂を命じた理由もよくわからない(律令と歴史書は国家の永遠性を保証する大事な文書であるので)。すでに以前から「序」は偽作と思われていたが、著者は9世紀(古事記本文ができてから1世紀以上あと)に追加されたと考える。古事記は鎮魂的性格を持つと思われるが、何を鎮魂したかというと律令制以前のシャーマニスティックな世界、語りによって表現されていた世界なのではないか。では誰が作ったかというと不明。

 

 個々の伝承の読み取りは根気が続かなくて読み流し、サマリーのような書物の外部にあるものばかりに関心が向いてしまった。というのは、じぶんは古事記日本書紀を皇国イデオロギーの元として読みたいとおもっていたからであり、その関心に触れるところはほとんどなかったので。それでも古事記の記述から見えてくる古代の王権や社会は、教科書で習ったことと大きく異なり、それはとてもインタレスティングだった。
(昔は、梅原猛や上山春平なんかをおもしろがって読んだが、三浦佑之のような研究者の手になるものと比べると、いいかげんでイデオロギッシュなのがわかった。京都学派の評価は自分の中では駄々下がり。さらに妄想を展開すれば、著者の水準で古事記を読むとなると、本居宣長の「古事記伝」は学問的には無用、歴史的文献ということになりそう。本居の読解に依拠する神道があれば、その考えもまゆつばになるのではないか、とも。)

 

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