odd_hatchの読書ノート

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ジョン・ディクスン・カー「蝋人形館の殺人」(ハヤカワポケットミステリ)

蝋人形館の殺人 (Hayakawa pocket mystery books (166))

蝋人形館の殺人 (Hayakawa pocket mystery books (166))

元大臣の娘オデット・デュシェーヌが死体となってセーヌ河に浮かんでいるのが発見されます。致命傷は刺傷で他殺と考えられました。オデットが死ぬ直前に蝋人形が展示されているオーギュスタン陳列館に入ったのを彼女の婚約者が目撃しており、陳列館と事件との関係をバンコランは調べていました。そして館主オーギュスタンの案内でバンコラン達が陳列館に入ると、蝋人形のひとつにオデットの友人であるクローディン・マルテルが血を垂らしながら抱かれていたのです。陳列館の横にはマスクをつけた男女が出会う秘密クラブが隣接しており、事件は思いもよらぬ方向へ進展していきます。
http://members.jcom.home.ne.jp/4054323601/mystery/carr/waxworks.htm

 高校生のころにカーの探偵小説に大いにはまって、20冊くらい読んだものだ。最初は1930年代の作品で存分に探偵小説の醍醐味を味わった。その後の処女作の「夜歩く」(ハヤカワ文庫)を読んで、プロットも情景も一切頭に残らないのに驚いたものだ。今回読んだ「蝋人形館の殺人」は、彼の長編第4作になる。ここから名前を拝借してコミックでは有名になった「バンコラン」探偵の登場作。やはりプロットと情景がすんなりと頭に入ってこなかった。それは、ジェフ・マールなる語り手の一人称で書かれていることや、一人合点の情感を必要以上にまぶした文章のせいだった。これを読みながら、1980年代に20代で登場した日本のミステリー作家の作品を思い出した。ここでも若い、あまりに若い文章で長いプロットを読まされたものだ。
 そうして気づいたのだが、1920年代は本格探偵小説の黄金時代と言われるのだが、それを推進したクイーン、カーは20代だったのだ。そして、日本でも大正の終わりころにすなわち1920年代の半ばに雑誌「新青年」で探偵小説作家が誕生したのだが、初期の編集長を務めた水谷準をのぞくと、ほとんどの作家がやはり20代だったのだ。このような文学運動が、若い書き手によって同時多発的に進行した例はきっと他になかっただろう。(ちなみにカーは25歳で「夜歩く」を1930年に出版した)
 彼らの同世代の作家にはヘミングウェイフィッツジェラルドがいる。彼らの小説は探偵小説が舞台にしたのと同じ、ニューヨークやロンドンやパリ、当時の最先端都市だった。そして探偵小説に現れたのと同じように、都会の喧騒で浮かれ騒ぐ新しい世代の若者のことを描いた。作品に登場する若者たちは、無邪気に遊びまわっているが、心の奥底では孤独と退廃を感じている。それを解決するすべを彼らは持たない。探偵小説に現れる若者の前に犯罪が現れ、ヘミングウェイたちの小説では若者たち自身が破滅を予兆することで、彼らの不安を増大する。彼ら、10代で世界大戦を20代でバブル経済を体験したインテリの若者が感じていたのは、破滅感とそれに対する無力とニヒリズムだったのだろう。
 バンコランはひどく芝居気があり、気障で、他人にかまわない傍若無人さでいる。その彼が謎解きをするときには、犯人にひどく同情的になり感傷的になる。このあたりカーのニヒリズムとロマンティシズムが反映している。彼もやはり時代の子であるということになるのだろう。
 この人の作「赤後家の殺人」(創元推理文庫)では、自分の生死にかかわる(かもしれない)賭けをトランプを引いて行う(取り上げたカードの数字の大小で決める)というシーンがあり、その場面のスリルがとても印象的だった。これの原型といえるシーンが「蝋人形館の殺人」にもあり、なるほどこういうこだわりが作家を続ける原動力なのだなと思った。1932年作。

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ジョン・ディクスン・カー「蝋人形館の殺人」(ハヤカワポケットミステリ)-2