odd_hatchの読書ノート

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中島健蔵「証言・現代音楽の歩み」(講談社文庫) 敗戦後から高度成長期にかけて日本の現代音楽を聴いた人の貴重な証言。

 「昭和時代」岩波新書がかかれたのは1957年で敗戦まで。こちらは1977年で、1974年くらいまでのことを書いている。

 これによると、著者の活動は、文学・音楽・政治の3つの分野にあるという。そのうち、音楽に関する証言がここに書かれている。なぜ、証言かというと、彼が幼少時代からクラシック音楽を聴いてきたこと、とくに大きなきっかけは同級生に諸井三郎がいて彼を中心に西洋音楽を聞いたり演奏したり作曲したりするグループができて、そこに参加していたことだった。そして楽譜を集め、演奏会に出入りし、大学で愛好会のようなグループを作り、という活動をしていった。一方、諸井三郎は戦前の20代前半には作曲家として自立するようになり、「スルヤ」というグループで新作発表を行う。民主主義や自由主義が弾圧を受けるようになると、これらの活動は消滅。戦後になると、自身が興味を持っていた20世紀の音楽(ドビュッシーバルトーク、ストラビンスキー、新ウィーン楽派のような前衛音楽)の楽譜やレコードを集め周囲に聞かせる、東大仏文科の教え子の中から作曲家でたつ人が生まれてくる、などなどのことがあって、20世紀音楽研究所を組織し、軽井沢と東京で現代音楽祭を開催した。著者は組織者として有能であったらしく、また特定の政党に参加することはなく、またイデオロギーを振りかざす人ではなかったので、この種の自主組織の理事とか会長とかに担ぎ出されたものとみえる。そして雑用を一手に引き受ける存在であったということだ。まあ、そういう具合なので、東京の現代作曲家、前衛音楽に関心を持つ演奏家、音楽評論家との親交があった。1960年代半ばを過ぎると、こういう組織というか運動というのが自然消滅して、楽団・放送局・大学などと作曲家が個人で交渉するような仕組みになってしまう。そうなったときに、過去のこの種の運動の記憶と資料がなくなり、何が起きていたのかわからなくなってしまう。そういう特に戦後の現代音楽状況を一望するのに非常に有効な資料であるわけ。堀内敬三「音楽五十年史」のあとを補完する資料としてとても有効。
・戦前の作曲活動は、咀嚼の時代と思ってきたけど、NAXOSのシリーズなどで聞くことができるようになり、作者のいうほど模倣の強いものではない。むしろ最新の情報を反映し、独自なものに仕上がった作品であるのがわかる(まあ、1960年代の「前衛」のおかげでしばらく聞けない時期が合ったみたいだが)。
・この国のユニークなところは、戦中の断絶のおかげで、上記の1920年台の前衛と、当時の最前衛(シュトックハウゼン、ブレーズ、ケージなど)が同時にまとめて入ってきたこと。そのために、同じ作曲家が十二音音楽とトータルセリーと電子音楽とミュージックコンクレートと偶然性の音楽を同時に勉強し、作品に反映していったこと。それでいて民族性とか民謡などにも目を注がねばならず、どうにも大変なことが起きていたのだなあ、と。戦後出発した作曲家の猛烈な仕事ぶりはここにモチベーションを見ることができるかも。もうひとつは、解放された自由・民主への寄与であると思う。
・20世紀音楽研究所は、1957年に軽井沢で現代音楽祭を開いているが、これが反映しているのが横溝正史「仮面舞踏会」
岩城宏之「楽譜の風景」(岩波新書)が、ある素人作曲家の無礼で滑稽な振る舞いをしているのを書いているが、たぶんこの現代音楽祭でのできごと(しかし「証言・現代音楽の歩み」には該当するエピソードがなかった)。
・邦人作曲家(この言葉は使うな、と著者はなんども主張する)の紹介者は、21世紀になると片山杜秀氏ということになるが、その前はこの人だった。途中の一章(「点か線か」)で彼が書いたライナーノートを収録。
・作曲家の仕事が主に書かれているので、この国の演奏家、演奏団体、来日団体の記述が少ないのが残念。あと、ときおり戦前に来日しそのままこの国にとどまって亡くなった人たちが紹介される。ピアニスト・クロイツァー、同シロタ、指揮者プリングスハイム(この人は非常に長命で1972年に89歳で死去。柴田南雄「グスタフ・マーラー」(岩波新書)によると、戦前のマーラー初演はこの人と芸大オーケストラだったが、戦後はほとんど活動していない)など。アメリカに亡命した演奏家、作曲家は知られているが、この国に来た人の情報は少ないので、発掘してほしい。
 自分はこの本を読んで、現代作曲家の名前といくつかの作品を知った。あいにくレコードは高価で田舎にはなかなか見つからなかった(NAXOSのおかげで少しは改善したから)。その代わり、この本にはほとんど登場しない(すなわち「前衛」であるより民族的であろうとした伊福部昭芥川也寸志早坂文雄というような人に関する興味を最近まで持てなかったのが残念。
・著者は、1960年の反安保闘争で文学者・芸術家をまとめる仕事をしたり、日中文化交流の仕事で何度も中国訪問の機会をもっていたり、とそちらの出来事は簡単に触れられるだけ。こちらの証言も面白いと思う。とくに1958年の大躍進政策とか1967年の文化大革命の評価のゆらぎについては興味がある(執筆当時の1977年では毛沢東の死去、四人組の逮捕が報じられたので、文革のでたらめさに怒る文章が追加されている)。

  
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