odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

諸井誠「名曲の条件」(中公新書)

 さまざまな楽曲をみて、「名曲の条件」を探るという試み。もちろん、「条件」は明示できなかったけど、そのかわりに聞き方とか見方とかそういうものが変わった。
・英雄の条件 ・・・ 英雄の調性は「変ホ長調」。この調性で「英雄」を描く際に、ベートーヴェンは他人の旋律を借用し、Rシュトラウスは自作を引用した。いずれも作曲技法のひとつ。(あと、ワーグナーの「ラインの黄金」も変ホ長調で、英雄ジークフリートを描写しているよ、だって)
・名曲が認められるまで ・・・ チャイコフスキーの協奏曲を取り上げ、ヴィルトゥオーゾ(名技)を聞く喜びを語る。
・編曲の魅力を捉える ・・・ ドビュッシーラヴェルの編曲を取り上げる。二人とも頻繁にピアノ曲をオケ版にしたが、編曲にあたって付け足したところもあったりして、違いを聴き比べるのはおもしろいよ。(管弦楽からピアノ曲への編曲の大家には、リスト、バラキエフ、タールベルク、ゴドフスキー、ホロヴィッツ、シフラなどたくさんいて、それぞれ聞き比べるのも面白い、と自分の感想を加えておく)
・雨だれの構造
・指輪の構図 ・・・ 楽劇は言葉に発想の源をおいた声楽入りの交響曲舞台芸術化、総合芸術化だ、というのが面白い。
トロイメライをめぐって ・・・ ロマン派音楽の核心は、夢と愛、幻想と情熱というのがおもしろい。
 以上の3つは、楽曲分析。この種の知識が無いのでパス。
・改作の意味を探る ・・・ ブルックナーはどうしてあんなに改作したのだろうか。1982年刊行当時は、ノヴァーク版かハース版は聞けたが、初稿・第2稿などの異版は聞けなかった。
・三つの未完成交響曲 ・・・ シューベルトブルックナーマーラーを取り上げ、当時出版されたばかりのマーラー第10交響曲を紹介。これもほとんど聞けなかった。
・形式のコンプレックス ・・・ ベートーヴェンの第9交響曲終楽章はソナタ形式だよ。偉大なものは単純であるというフルトヴェングラーの言葉を体現しているよ。
 1982年の刊行。当時あまりに面白くて一日で読んだな。昭和生まれの音楽評論家のこの本は、明治生まれの評論家のものと違う新しさを持っていた。重要なところは、作曲家の天才と努力は評価するけど目標や目的にはしない、作曲者個人と作品だけで語っても仕方がない、音楽を文学してもつまらない、人と作品を縦横に横断して、それまで無関係と思われていたところに親近性とか類似とか影響関係をみてみようというもの。だから、作曲技法として借用・引用・コラージュを見ることになり(オリジナリティは気にしない)、作曲者がどう思ったかではなくて作曲者はどのようなテクニックで書いたのかが重要になり、編曲・改作など同じ作品のいろいろな版を聞いてやろうということになる。なるほど、この10数年後(西暦2000年前後)に戦後生まれの評論家を集めて洋泉社などから、おちゃらけた(ように見える)音楽解説本がたくさん出たが、彼らの聞き方・語り方の元はここにある。
 もうひとつは、音楽を聴く態度が「選んで聞こう」だった。この「選ぶ」というとき、あらえびすの「良き曲、良き演奏、良き録音」の標語にあるように、ある種の基準で選択されたものだけが聞くにふさわしいとされる。それが「なんでも聞いてやろう」に変わる。このとき選択基準なんてのはなくなってしまって、金と保管場所に制限がなければなんだってよくなる。一方、「選んで聞こう」で推奨された演奏はこの時代になると相対的に価値が下落してしまう(フルトヴェングラーホロヴィッツなど「巨匠」と言われた人たちのものだ)。なんでも聞こうになるには、音楽が廉価で大量に入手できるようになってのことだが、その契機は輸入CDが格安で売られるようになったことだけではない。その前にラジカセとカセットでエアチェックをして、大量のデータをもつようになった。ここから変化が始まった。