odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

中川右介「戦争交響楽」(朝日新書) 1933年から1945年までの欧米のクラシック音楽関係者の動向、ヒトラーとスターリンに芸術家は翻弄される。

 1933年から1945年までの欧米のクラシック音楽関係者の動向を描く。思入れはなく、淡々と事実を記すだけ。スター総出演の観がする記述であるが、そのなかではトスカニーニワルターフルトヴェングラーカラヤン(生年順)が主役になる。脇を固めるのはショスタコーヴィチ。彼らが1990年までに亡くなり、その後調査が進んで、どのような行動をしてきたのか(いつどこでコンサートやオペラを振ったのか、作品を書いたのか)が詳しくわかるようになった。上の4人に同時代を生きたクラシック音楽家の伝記や研究書は邦訳だけで100冊を超えているだろう。それを読み込んで、編年体に並べ、うまくいけばその時に会った人でなにが会話されたかなどを加える。そうしてできたのが本書。根気のいる膨大な作業を行ったことに脱帽する。


(その作業からフルトヴェングラーカラヤンは「https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20180426/1524702241:title=カラヤンフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)]2007年に、ショスタコーヴィチは「冷戦とクラシック」(NHK出版新書)2017年にスピンオフしたのだと思うと(ほかにも多数ありそう)、成果はキチンとあげているのだった。)
<参考エントリー> 上記のおもにヨーロッパの歴史は以下のエントリーで補完。
2021/03/19 木村靖二「第一次世界大戦」(ちくま新書)-1 2014年
2021/03/05 林健太郎「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)-1 1976年
2021/03/09 江口朴郎「世界の歴史14 第一次大戦後の世界」(中公文庫)-1 
2021/03/08 江口朴郎「世界の歴史14 第一次大戦後の世界」(中公文庫)-2 
2021/03/05 林健太郎「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)-1 1976年
2021/03/04 林健太郎「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)-2 1976年
2021/02/02 村瀬興雄「世界の歴史15 ファシズムと第二次大戦」(中公文庫)-1 
2021/02/01 村瀬興雄「世界の歴史15 ファシズムと第二次大戦」(中公文庫)-2 

 

 記述はおもに指揮者に向けられるのであるが、真の主人公はヒトラースターリンにほかならない。彼らの気まぐれや思い付き、時には周到な宣伝戦略で、クラシック関係者は手ごまとして使われ、翻弄され、捨てられたのだった。この独裁者は常に民衆の支持を必要としていて、取り巻きを信用できようができまいが、人を動員する運動を行っていた。その際に音楽は人を集め、集まった人を熱狂させることができる。通常、音楽は政策や国家、民族の垣根を越える普遍性を持っているとされるが、それは平時の民主国家(かつ自由経済体制)においてだけ成り立つ。全体主義や戦時体制では人を動員する運動のためにいかようにでも使われたのだった。作品が持っている成立の背景や作品に込められた物語が捻じ曲げられても使われる。それに音楽の再現に必要な人は政治的な存在であり、彼が政治的に鈍感で意見がなくても、演奏される場に込められた政治的なメッセージに賛成しているとみられるのだ。フルトヴェングラーヒトラーの誕生祝いでベートーヴェンの第9を指揮するとか、ナチスドイツの占領地でメンゲルベルクコルトーカラヤンバックハウスが演奏すれば、彼らはヒトラーの支持者をみなされる(可能性がある)のだ。なので、彼らは戦後に全体主義に加担した責任を問われた。
 それと同じことが2022年のロシアによるウクライナ侵攻で起きた。ロシアの戦争を侵略とみなした団体は、ロシアの演奏家に侵略政権をどう思うかと問いかけた。プーチンと個人的に親しいらしいワレリー・ゲルギエフは返事をしなかったので、ロシア以外の仕事をキャンセルされた。ボリショイ劇場音楽監督を務めるトゥガン・ソヒエフは自分の立場を説明したうえ辞任した。ロシアの劇場やバレエ団に籍を置く外国人や留学生も多くは辞めて国外に脱出した。「戦争交響楽」に書かれた事態は、ひとりの独裁者によって、全体主義の集団支配によっていつでも起こりうるのだ(自分はこの分野に詳しくないのだが、軍事政権のミャンマーではパンクバンドが迫害されている)。
 で、全体主義の不寛容が起きたときどうするべきかという問いの参考に、本書は有効ではない。ここに登場するプロの演奏家やその卵たちは特別な技量があって、それなりの資産があり、国外の知り合いや国内の有力な支援者を持っていたりするからだ。徴兵にとられることはなく、専門技能で国家に奉仕するという用に優遇されていた。ドイツにとどまった音楽関係者が国外に亡命するとき、逮捕の情報を事前に伝えに来る者がいたり(フルトヴェングラーの場合)、軍人だけが乗れる飛行機のチケットを融通してもらったり(カラヤンの場合)、旅券がでないどころか国内旅行すら制限されているのに家族を連れて中立国に行けたり(ワルターベームの場合)と普通の国民にはできないことをやれていたのだ。1941年にナチスがパリに入場した時、500万人いたパリ市民は200万人に減っていたという。300万人が数か月の間に脱出したとき、彼らのような優遇を得ることができたのはどれだけいたか。(これも2022年のウクライナ国民が一か月で500万人近く国外に脱出した時の様子から、パリで起きたことが想像できる。パリに限らず、戦地や占領地で大量の難民がでた。)
 演奏された作品も中立になれない。それぞれが意味を与える。たとえばベートーヴェン交響曲第5番ナチスも繰り返し演奏させたが、それはドイツのナショナルアイデンティティの鼓舞である。一方、ベートーヴェンをドイツに独占させないという意思で、アメリカやイギリス、フランス、ソ連でドイツ音楽はよく演奏された。市民社会の自由・平等・博愛の精神を主張するためである。戦時体制や全体主義では、作品の中立性や普遍性を強く主張できない。体制の都合に合わせた意味付けが行われ、国民の統制と敵対国への宣伝に使われる。ショスタコーヴィチ交響曲第7番は作曲の経緯とレニングラード初演の様子は感動的であるが、後に作曲家はこれらについた意味を否定した(とヴォルコフは「ショスタコーヴィチの証言」に書いている。たぶん偽書)。アメリカでは初演後熱烈に受け入れられたが、冷戦がはじまるとソ連音楽熱は冷める。初演の指揮者であるトスカニーニものちにこの曲を否定する。
 という具合であって、この膨大な音楽家の事例からなにごとかの生き方の教訓を得ようとしても難しい。また、音楽に対する素朴な信頼を持ってはならない、たいていの場合そこには主催者の意図があるというのは知っておいていいと思う。

 

 メモ
・ドイツでは新人指揮者を試すときに、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を振らせるらしい。この巨大な作品が入団テストになるとはねえ。驚いた。アジア系初のバイロイト指揮者・大植英次が振ったのが「トリスタン」だったのだが、上のような意味合いを持っていたのかしら。
・これまでCDで知っていた戦前ドイツの指揮者が登場する。カール・エルメンドルフ、ロベルト・ヘーガー、ハインツ・ティーチェン。みなナチス党員でしたか...。戦争中、ドイツにとどまっていた指揮者にはレオ・ブレッヒ、カール・ベームオイゲン・ヨッフム、ヘルマン・アーベントロートハンス・クナッパーツブッシュなどがいたが、チケットを完売できるのはフルトヴェングラーカラヤンの二人だけだった。
・当時は若者でポストがなくて機会をうかがっていたひとたちが、戦時の偶然でチャンスを得て評価された。フェレンツ・フリッチャイカルロ・マリア・ジュリーニレナード・バーンスタイン。彼らは戦争終結直後(ときに戦時中)のチャンスで成功を得た。以後、死去するまでの長い経歴の最初になった。(その影には失敗した若者が無数にいたのだろう)。

 

<参考エントリー> 本書に登場する人たちが書かれた本
2012/11/20 清水多吉「ヴァーグナー家の人々」(中公新書)
2018/04/26 中川右介「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書) 2007年
2012/11/22 カルラ・ヘッカー「フルトヴェングラーとの対話」(音楽之友社)
2012/11/21 クルト・リース「フルトヴェングラー」(みすず書房)
2016/06/23 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-1 
2016/06/22 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-2
2016/06/21 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-1
2016/06/20 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-2
2016/06/17 ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-1
2016/06/16 ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-2 
2016/06/15 ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中公文庫)-1
2016/06/14 ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中央公論社)-2
2018/04/17 カール・ベーム「回想のロンド」(白水ブックス) 
2012/11/14 ホセ・マリア・コレドール「カザルスとの対話」(白水社)-2
2012/11/15 アルバート・E・カーン「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」(朝日新聞社)
2014/12/24 シュテファン・シュトンポア「オットー・クレンペラー 指揮者の本懐」(春秋社)
2016/10/21 クロード・ピゲ「アンセルメとの対話」(みすず書房) 1963年
2012/11/13 エドウィン・フィッシャー「音楽を愛する友へ」(新潮文庫)
2012/11/16 トーマス・マン「リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大」(岩波文庫)
2018/04/16 ジャック・ティボー「ヴァイオリンは語る」(新潮社)