odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジャック・リッチー「カーデュラ探偵社」(河出文庫) 日光と鏡を嫌う吸血鬼は就職しないといけない資本主義社会でどのように種族維持を図ればよいか。

 吸血鬼は人間の血を吸い、被害者を吸血鬼にすることによって種族を永らえている生物?である(とする)。吸血鬼同士は生殖できないということにしておこう。となると、吸血鬼という種が保存されるためには人間という宿主が必須である。このような種族増加の方法は効率的といえる。人間と吸血鬼には外見の差異がほとんどないので、人間社会に人知れず溶け込むことが可能であり、そうすればほぼ食物と種族増加のための手段は無限といえる。しかし問題があるのは、人間を吸血鬼に変えるほど新しい食物の獲得ができなくなること。すなわち地球の人間がすべて吸血鬼に入れ替わったとき、種としての吸血鬼は未来を失う。そういう事態を描いたのが、R.マシスンの「アイ・アム・レジェンド(ここは昔の邦題である「地球最後の男」がよい)」。マシスンの作品では、吸血鬼にも過激派と穏健派がいて、人間との共存は可能であるとされる。
 さて、このリッチー作ではもう少しスマートな解決が用意されていて、吸血鬼は種族増加にほとんど興味がなく、小さな一族が維持できればそれでよいとされる。そのためには吸血行為の際に吸血鬼に転換するほどの血は吸わないことにし、貧血と疲労感を味あわせるくらいにとどめておく。そうすると、人間は吸血鬼に転換することがないので、食物の枯渇、種族維持の問題が解決されるというわけだ。持続可能な(サスティナビリティな)吸血鬼社会を実現しているというわけだ。これは見習いたい。

 しかし、人間の経済活動の変化は吸血鬼にも予測不可能であったらしく、地代家賃を支払えないために(中世にためた資産はインフレで価値をなくし、共産主義社会が貴族の財産を没収し、消費行動が増えたために動産を切り売りしていったためだろう)、労働しなければならなくなる。そのときに選んだ職業が、ボクサーに探偵というのがわらいどころなのだが、これもまた合理的な選択といえる。なにしろ日中の活動が不可、鏡を避けなければならない、十字をきられるのはだめ、居場所を知られたくないという複雑な要件をかかえているのだから。
 そういうわけで、吸血鬼が探偵という設定を作ったことだけで、これはもう傑作といえる。この連作は、もちろん探偵小説史を飾るわけではないが、浮世の憂いを10分間は忘れるストーリーを提供してくれる。理屈ぬきに、ただし探偵小説としての視線を忘れずに、読むことにしよう。
 収録作は、
キッド・カーデュラ ・・・ もしもドラキュラがボクサーになったら。

カーデュラ探偵社 ・・・ とある屋敷の遺産相続(親族には遺産はやらん)を発表することにしたら、吸血鬼が殺されかけた。

カーデュラ救助に行く ・・・ 毎朝4時半に娘が暴漢に襲われる。助けたのに娘は礼もいわないし、翌朝も同じことが起きた。

カーデュラと盗癖者 ・・・ さして高額でもない装身具が身内に盗難された。娘はカーデュラを雇って、窃盗癖のある犯人を捜す。

カーデュラの逆襲 ・・・ 宿敵イェルシング教授の孫がまた吸血鬼一族を追い回すようになった。カーデュラの施した奇妙で効果的な策略。皮肉な決着のつけ方が見事。

カーデュラ野球場へ行く ・・・ 試合中の野球場で窃盗犯が殺された。「雪がない」という言葉を残して。いったい何の謎?

カーデュラと鍵のかかった部屋 ・・・ ゴッホの秘密の作が盗まれたので取り返してくれという依頼。依頼主が告げた容疑者もまた胡散臭い連中。このシリーズの白眉。あれ、あとがきを見たらホックが自分と同意見(えっへん!)

カーデュラと昨日消えた男 ・・・ 窃盗で捕まった相棒を救出してくれという依頼。そこに見つかった陰謀。

無痛抜歯法 ・・・ 日曜日の昼さなかに金庫の搬出が行われる。なかなかうまくいかない。9歳の子供だけがおかしなことに気がつく。最後のオチが効果的。

いい殺し屋を雇うなら ・・・ 「中村主水を殺してくれ」という依頼が中村主水に舞い込んだ、と思いなせえ。どうやら主水は家のことでも妻のことでも自分を殺そうとする奴を何人も思いつくらしいってんだ。さあ、どうする、主水よ。後味悪いなあ。

くずかご ・・・ もしもくずかこに生首が入っていたら。

さかさまの世界 ・・・ 心臓麻痺で死んだ男。指には電球の破片。かれにはいたずら好きの友達がいた。かれには遺言書を書き換えた元妻がいた。警察は事故としたが、私立探偵は事件と直感する。後味悪いなあ。ロス・マクドナルドみたいな一編。

トニーのために歌おう ・・・ 不良の兄が事件を起こして死刑判決を受ける。兄の入れ知恵で知事の息子を事件に巻き込み減刑を勝ち取ろうという策略に弁護士の「ぼく」は加担する。しかし、思うようにはならず、しかも巻き込まれて死刑を受けた知事の息子は、初めて世間の注目を浴びて自己意識に目覚める。結末は不吉なのに、なぜか心温まる一編。
 カーデュラがタイトルに入っていないのは、独立した別の短編。


 ああ面白かった。なんで、こんないい作家がこの国で人気が出なかったのかな(最盛期は1950−1970年代)。ペーソスが足りないのと、たぶんTVや映画の制作に関わらなかったから(と妄想)。早すぎたE.ホックです。この人のファンは読むべし。