odd_hatchの読書ノート

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トマス・フラナガン「アデスタを吹く冷たい風」(ハヤカワポケットミステリ)

 トマス・フラナガンはこの解説(1961年初出)によると、謎の作家。EQMMに短編をこれだけ発表しただけ(当時)。このあと1970年代から長編を書いて高評価を得たらしい。あいにく邦訳されていない。
 さて、テナント少佐シリーズは舞台設定が尋常でない。地中海に面した架空の小国家、そこは最近の革命で「ジェネラル(将軍とも訳される)」が独裁国家を作っている。周囲とは鎖国状態にあり、この国に乗り入れるための鉄道では密入国と密輸の防止のために厳しい監視状態になっている。テナント少佐は、以前の国家では大佐で、ジェネラルの軍に対抗する側にいたが、革命後失脚して少佐になっている。かれは革命に共感をもっていないが、しかし使命には厳格に対処しようとする。このあたりのアンビヴァレンツな意識は、現代人のものだ。いわゆる「探偵(本格であれハードボイルドであれ)」にみられる超越的な視点を持つわけにもいかず、事件に対して無責任な第三者としてふるまうわけにもいかない。事件を解決しても自分の手柄にならず、評価されるわけでもない(作中でも、彼は昇進しないし、頭はいいが得体がしれないと周囲からは敬遠されている)。
 このような設定の上で、本格ミステリの常道である不可能犯罪が論理的に解決されていく。いやあ、素晴らしい。長らく絶版だったのだが、オールドファンの推薦によって数年前に復刻された。ミステリを読みまくってすれっからしになった読者、しかも大人の雰囲気を楽しみたい読者にお勧めです。なにしろ、荒れ地や戒厳令下の緊迫した状況を乾いた文体で読むことになるのだから。さらには、作者の人間を見る目の冷たさ、皮肉さのおかげで、人のみっともなさや情けなさ、無思慮さなどを痛みを伴って読むことになるのだから。夢や希望、あこがれなどは期待することができない物語。ある程度の読書経験と社会人経験を積んでいるほうがより切実にたのしむことができる(追加すると、1940-50年代のミステリ映画をみている人も吉)。文庫化を希望。

アデスタを吹く冷たい風1952 ・・・ 隣国共和国との国境は警備兵で監視されている。唯一、この道を通過するのは共和国の商人ゴマールの葡萄酒を運ぶトラックだけ。警備兵が毎回捜査しても、銃(かつてテナントのいた軍がジェネラルに敗北する前に埋めたもの)を運んでいる(それは国内の抵抗派にわたり内戦になっている)。憲兵も監視できる見通しのよい一本道でどうやって銃は密輸されるのか。
獅子のたてがみ1953 ・・・ ジェネラルは腹心のモレル大佐を憲兵隊長にし、テナントをその部下とした。二人の関係は最悪。モレルは、スパイ容疑をでっちあげてテナントにアメリカ人医師ロジャースの射殺を命じる。テナントは命令通りに、部下に射殺を命じた。命令を拒否すると自分が査問にかけられ、実行するとアメリカとの外交問題になる。テナントの「たったひとつの冴えたやりかた」。モレルは「獅子」の異名をもつ男。
良心の問題1952 ・・・ 深夜にテナントはアメリカ人医師ロートンを尋問する。彼の患者が射殺された。この患者はドイツの強制収容所の囚人ブレーメンで、ロートンの手によってインシュリンを打たなければならない。事件の容疑者はドイツ人ヘルツィッヒ。この男は親衛隊(SS)将校で、連合軍捕虜虐待の容疑を受けている。この男は囚人の死体をみて「豚め」とさげすみ、手の刺青がないことを見せる(笠井潔「哲学者の密室」にあるように、絶命収容所囚人と親衛隊将校は刺青をしていた)。
国のしきたり 1956・・・ 国境の鉄道駅には優秀なバドラン大尉が密輸を阻止している。しかし、このところ数回の密輸が成功したために チョーマン旅団長とテナントが視察に訪れた。大尉は、靴に宝石を隠した商人、めもうの首飾りを太股にテープで留めた小娘、バッグにポンド紙幣を隠した英国人紳士を見つける。大尉の手際はみごと。でもテナントは密輸が行われたと報告する。
もし君が陪審員なら1958 ・・・ 法曹関係者が今日無罪判決の出た事件をおしゃべりする。風采のあがらぬ商店主の男が妻殺しで起訴されたが、結果は前記のとおり。弁護士が意外な事実を話す。すなわち彼は孤児だが、理解ある叔父に養育され、3人の妻を持っていた。そのいずれもが殺されている。事件は、その当時連続殺人鬼の犯行に似ていた。いずれも起訴されなかった。奇妙な味の結末。そうだな、チェスタトンの短編をハードボイルド風に語ったというところ。
うまくいつたようだわね1955 ・・・ 犯罪研究家アレックを射殺したので、妻ヘレンは夫の友人で顧問弁護士を呼び出した。彼はアレックと犯罪研究でしりあい、アレックの膨大な蔵書に興味をもっている。ヘレンは自分を助けてくれと弁護士に頼む、そのためにロングガウンの裾が乱れるのも気にしない。奇妙な味の結末。高級なヘンリ・スレッサー
玉を懐いて罪あり1949 ・・・ サンテッスン「密室殺人傑作選」(ハヤカワポケットミステリ)に「北イタリア物語」のタイトルで収録された。15世紀の北イタリア。フランスはイタリアの所領を狙っている。ボルジア家は貴重な宝玉をフランスに贈与することで戦端を回避しようとした。その受取の場となったモンターニョ伯の居城で事件が起こる。宴席の夜、護衛の兵が殺され、宝玉は盗まれた。証人は聾唖の若者ノフリーオのみ。モンターニョ伯は絵画による訊問を試みる。緊迫した雰囲気、異端訊問にも似た恐怖の裁き、論理的な解答。最後の一行の驚愕。傑作。少なくとも2回は読み直すべし。


 テナントのいる国はユーゴあたりかとも思ったが、やはりこれはフランコ政権下のスペインなのだろう。若いころの解放戦争への参加の模様はオーウェル「カタロニア讃歌」を思わせるし、その挫折、現状に対する不満、ここらへんの感情は堀田善衛「バルセローナにて」(集英社文庫)とか、笠井潔「バイバイ、エンジェル」にも共通するよう。

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ 646)

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ 646)

<追記2015/7/14>
 「文庫化を希望」といっていたら、2015年6月に文庫化されました。