odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

西村京太郎「名探偵に乾杯」(講談社文庫) 名探偵は死なず、ただ消えゆくのみ。探偵小説は名探偵と一緒に消えるか

 1976年の初出の名探偵シリーズ第4作。

 名探偵はいかに老後を過ごすべきかに悩む明智小五郎。小林少年も腹の出た中年になり、美泳子という20歳過ぎの娘がいるくらい。おりしもポアロ死去の報がとどき(「カーテン」1975年)、憂鬱は深まる。そこで、ポアロ招待のために改装した別荘にクイーン、メグレ、ヘイスティングスを招き、追悼の一夜を過ごすことを企画する。他には漏らしていないのに、静岡県から借りた孤島には、闖入者が6人もいた。記者にカメラマンにイタコ。新進推理小説家に、20代のアベック。それぞれ偶然そうなったという理由をつけているが、世界の名探偵に会いたいがための冒険と見える。運悪く嵐が到来し、二隻の船のプラグが抜かれ、島は孤絶状態になる(携帯電話もネットもない時代だからね。固定電話すら引いていない)。
 さらにはエルキュール・ポアロの息子と名乗る青年まで来た。証拠のうちの大きいものは、ポアロが書いたとされる探偵作家論。どうも、世界の名探偵をけちょんけちょんにめった切りしたものらしいが死去とともに行方不明になっていたもの。おかしなことに、章のタイトルが書きかえられ、最初の一字を拾うと「HE WILL KILL ME」となる(おお、それなんて「ギリシャ棺の謎」)。自筆の加筆と見えるが意味と理由が分からない。
 記者の提案でイタコでポアロを呼び出し、最後の事件「カーテン」の真相を聴こうということになった。あの自尊心の持ち主が自殺したのに納得いかなかったので。イタコはポアロを呼び出すことに成功、真相を喋る寸前、暗闇の中、カメラマンがイタコの持ち物の矢で殺された。翌朝には、アベックの片割れの女性が鍵のかかった浴室で絞殺されている。続いて、イタコ自身も密室の部屋で縊死しているのが見つかる。別荘においてあったインディアン人形の首が切られているのも発見(それなんて「そして誰もいなくなった」)。パニックになったもう一人のアベックの男性も干潮の砂浜でほかに足跡のない状態で撲殺されていた。事件はクイーンや明智におなじみのものなのに、三人は腰をあげず、ポアロ・ジュニアに探偵役を任せる。なかなかするどい推理をするのだが、ことごとく反証が出て、推理は瓦解。ヘイスティングスと新進推理作家はそれみたことかと、ポアロ・ジュニアをこき下ろす。小林少年(中年)は明智に出馬要請をするが、すかされる。しかし、別荘に戻った時、明智は「すぐに逃げろ」と叫ぶ。わけのわからぬまま浜に出て振り返ると、別荘は爆発炎上した。
 「嵐の中の孤島」「密室殺人」「(犯人の)足跡のない殺人」という大きなテーマが盛り込まれた意欲作。当時の評論家の言によるのか「いまどき密室は流行らない」などいう発言が作中にある。簡単な反論もあるけど、この議論をもっと深めればよかったのに。オートロックにアルミサッシが一般的な家庭事情で密室にする意義は? そこまでして密室にする犯人の動機は(さっさと逃亡して都会の群集に紛れればよいのに)? あたりを問えば、「本格」ミステリーであることの奇妙さみたいなのが浮かび上がるのにね。そこまでの議論にしないのは、大きなトリック(というよりヴァン=ダインやノックスの戒律破り)を仕掛けているから。それが唐突に明智の口から飛び出すので、初読の時は大いに落胆。今回の再読だと、ノックス「陸橋殺人事件」や中井英夫「虚無への供物」みたいな「探偵小説」のベースに対する批判を含んでいるものだと納得。明智やクイーンに、探偵と犯人の対称性や権力関係の議論をさせておけば、この結末はいいんじゃない。そういう探偵小説の中で探偵小説批判をする意欲的なシリーズなんだけど、掘り下げ不足が残念。それに、この作家には読者を巻き込んで小説内のレベルを解体する方法を持っていなかったのも残念。それができれば辻真先の「中学」「高校」「受験」の三作品みたいなレジェンドになれたのになあ。
 あと、ここにはクリスティ「カーテン」の大胆な読み直しがある。「カーテン」を読んだのはずいぶん前なので、作中の解釈が妥当かどうかは判断しないけど、こういう試みは大いに歓迎する。平石貴樹「だれもがポオを愛していた」(集英社文庫)のはるかな前駆作。作者が書きたいことを持っている作品は、時間を経過しても楽しく読めるね。

2020/06/29 アガサ・クリスティ「カーテン」(ハヤカワ文庫) 1975年

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 西村京太郎の名探偵シリーズは第1作「怖くない」と第4作「乾杯」がよい。あいだのふたつはまあひまなときにでも。
 なお作中に名探偵の名作への言及があるから、ポオのデュパンシリーズとドイルのホームズシリーズとチェスタトンのブラウン神父シリーズの短編全部、クイーンの国名と悲劇のシリーズ全部、クリスティの1920−30年代の傑作長編「スタイルズ荘」「アクロイド殺し」「ABC殺人事件」「三幕の悲劇」「オリエント急行」「そして誰もいなくなった」と「カーテン」、シムノン「男の首」、乱歩の初期短編全部と「吸血鬼」「黄金仮面」、ヴァン=ダイン「グリーン家」「僧正」、江戸川乱歩編「世界短編傑作集」全5巻は既読であることが前提。できればハメットとチャンドラーの長編も。がんばらないと。まあ、江戸川乱歩「探偵小説の謎」(現代教養文庫)一冊を熟読するというショートカットもあるが。